安倍首相にダイヤの贈物…インドが開く新時代の扉

国防を強固にする硬いダイヤモンドの完成。西の要衝インドで選ばれた指導者は、苦しい時代に安倍首相が助けた人物だった。リーダーとして再会した2人が日印新時代のドアを開く。
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天皇陛下におかれては9月2日、皇居・宮殿にて来日中のインド・モディ首相に御接見せられた。昨年のインド行幸啓が話題にのぼった際、天皇陛下は現地の印象を語られた。

「インドの学生がとても立派な日本語で議論していたことが非常に印象深く感じられました」
▼宮殿「竹の間」にて御接見9月2日(代表)
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お言葉に感激したモディ首相は、インド国内での日本語教育振興を約束、両国関係の一層の親密化を図る旨を奏上した。また若者の環境問題への取り組みについて、天皇陛下は熱心に耳を傾けられたという。

8月30日夕方、安倍首相は京都に入った。デリーから関西空港に到着したモディ首相を迎えた夕食会が京都で開かれる為だ。総理が東京を離れ、外国のVIPを接遇するケースは珍しい。
▼再会でハグする安倍・モディ両首相8月30日
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「とてもウマが合う」

首相周辺からは、そんな言葉も漏れる。安倍首相とモディ首相の親密度は、他の各国首脳らと比べ物にならない。京都で対面した2人は、再会を抱き合って喜んだ。

京都で1泊した両首相は翌31日、市内にある東寺(教王護国寺)を参拝した。敬虔なヒンドゥー教徒のモディ首相は、白い礼服を纏っていた。それは宗教儀式に参加する際に着用するものだった。
▼東寺講堂の安倍・モディ両首相(総理FB)
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不思議なことはひとつもない。真言宗総本山・東寺には国宝の五大明王像が安置する。平安時代の最高傑作と讃えられる木像だ。その中には、聞き慣れない名前の明王が含まれている。

軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)

軍荼利は梵語のクンダリーニに由来する。ヨガ技法の重要な概念であると同時に、それはヒンドゥー世界のクンダリー女神を意味する。インドから伝播する途中、女神は男性姿の明王に変わった。
▼東寺・五重塔を訪ねた両首相8月31日(日経)
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そもそも不動明王の梵名アチャラ・ナータは、ヒンドゥーの最高神シヴァの別名とされる。モディ首相の東寺参詣には確固として宗教的な背景があったのだ。

またヒンドゥー教でゴータマ・ブッダは、ビシュヌ神の9番目のアヴァターラ(化身)として崇められている。インドの町や村にある神様ブロマイド屋では、どこでも「ブッダ」を見付けることが出来る。
▼金閣寺で佇むモディ首相8月31日(PTI)
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吉祥天や弁財天などヒンドゥー世界からやって来た神々は、古くらか日本人の身近な信仰対象となってきた。日中友好人士が喚く表層的な関係ではなく、深い根の部分で我が国とインドは直結している。

【危険視報道のスケープゴート】

惨劇が起きたのは、2002年2月27日の早朝だった。インド西部グジャラート州ゴドラ郊外で夜行列車が放火された。犠牲者58人は巡礼地から帰る途中のヒンドゥー教徒たちだった。明白な宗教テロである。
▼放火テロ直後の車両2002年2月(ロイター)
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地元のヒンドゥー教徒はテロ事件の報復として、関連が疑われるムスリムの店舗などを襲撃。グジャラートの州都アーメダバードを中心に、少なくとも700人のムスリムが大規模騒乱の犠牲となった。

この騒乱が勃発した時、州首相を務めていたのが、ナレンドラ・モディだった。巡礼者虐殺のテロで始まった宗教衝突。しかし、治安維持に抜かりがあったとしてモディ州首相に非難が集まった。
▼焼き討ちされた巡礼列車2002年(ロイター)
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特徴は、インド国内ではなく、海外メディアに煽動された国際社会から強い批判が巻き起こったことだ。バッシングの動機は、モディ州首相がインド人民党(BJP)の政治家であることに起因していた。

海外メディアの色眼鏡の歪みは、テロ事件の4年前に遡る。1998年、インド人民党は総選挙で最大多数を獲得、初の連立政権を樹立。政権交代直後に核実験を実施したことで、世界に誤解が広まった…
▼グジャラート騒乱2002年(AFP)
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海外メディアは、インド人民党をヒンドゥー至上主義のウルトラ・ナショナリストと決め付け、その“危険性”を訴えた。パキスタンとの核戦争を警戒する論調も、目立った。

最も大きな誤解は、人民党の支援団体RSS(民族義勇団)が、ヒトラー・ユーゲント同様の集団として伝えられたことだった。ヨガの鍛錬を軍事教練と見做すような偏見と無知が原因である。
▼心身鍛錬に励むRSSメンバー(file)
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しかし、海外メディアの警戒論とは逆に、インド新政権はパキスタンとの融和に動いた。新たなヒューラー登場とばかりに煽っていた海外メディアや評論家は、大恥をかいたのだ。

そこにグジャラート騒乱が発生する。モディ州首相が若い頃RSSのメンバーだった過去が強調され、異様なイメージが作り上げられた。海外メディアは過去の論評の誤りを隠す為、総バッシングを始めたのだ。
▼アーメダバードの衝突2002年3月(PTI)
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誤解が誤解を生み、モディ州首相は、天下の悪役として欧米社会に名を馳せた…特に米国政府は、騒乱事件を理由にモディ州首相の米国ヴィザ発給停止を宣言。危険人物のレッテル貼りに“貢献”した。

孤立した。モディ州首相は、孤立してしまった。インド国内の評判とは別に、世界の指導者は誰も見向きしない。そんな時だった。極東から光がそっと差し込んだ。救いの手である。
▼州首相時代のモディ氏2013年(AP)
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手を差し伸ばしたのは、安倍首相だった。そのことをモディ首相は決して忘れない。

【ダイヤモンド構想の硬度】

第一次政権末期の2007年7月、モディ州首相は経済ミッションを引き連れて来日した。その一行を首相官邸に招くなど手厚くもてなしたのが、安倍首相だった。

時期は、第一回インド訪問直前。どのような経緯で、安倍首相がグジャラート代表団を大歓迎したのか、詳しくは分からない。“悪役”のモディ州首相と交遊を深めることにはリスクが伴う…
▼官邸訪問したモディ州首相07年4月(印センター)
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他の先進国の首脳と違って、安倍首相だけは批判を恐れず、モディ州首相を歓待したのだ。そして、この来日ミッション大成功を受けて、風向きが変わり始めた。

「インドで最も優れた州はナレンドラ・モディ氏が率いるグジャラート州」

米連邦議会調査局が2011年9月に出したリポートには、そう記されいた。入国拒否など忘れたふりだ。そして、翌12年春にはタイム誌の表紙を飾ることになる。
▼米『タイム』アジア版’12年3月26日号表紙
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もう大絶賛である。モディ州首相の経済手腕を高く評価し、グジャラート州を発展モデルとしてベタ褒めする。天下の悪役ではなかったのか…その手の平返しには潔さすら感じる。

国際的な評価を得たモディ州首相が再来日し、安倍首相と対面したのは、2012年夏だった。あの運命の総裁選前である。この時は、モディ州首相が安倍元首相にエールを送る格好だった。
▼官邸に招かれたモディ代表団’07年4月(印センター)
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2年後に2人が首脳として再会することになると誰が予想できただろうか。打算のない、本当の友情で結ばれているように見える。それでこそ安倍首相がTwitterでフォローする4人のうちの1人なのだ。

2年前の総選挙圧勝で復活した安倍首相を盟友はどう見ていたのか…今年5月、モディ率いるインド人民党は同じように総選挙で圧勝を果たした。歴史に残る大勝だった。
▼総選挙圧勝に導いた新指導者5月(地元紙)
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人民党の次期リーダーとして先頭に立ったナレンドラ・モディは、喝采を浴びて首相の座に就いた。メディアは殆ど伝えなかったが、それは過去最良の日印関係スタートが約束された瞬間だった。

愕然としたのは習近平指導部だ。東に安倍首相、西にモディ首相とは、悪夢でしかない。その一方、安倍首相が掲げたセキュリティ・ダイヤモンド構想は、提起から2年かからず完成した。
▼安倍政権発足直後に発表された新構想(産経)
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南の基点となるオーストラリアにはアボット政権。西の要衝・インドにはモディ政権が誕生したのである。ダイヤモンドは更に硬度を増し、輝きを湛えている。

【就任式のチベット大逆転劇】

BJP(インド人民党)が、米共和党のような国民政党だと知っていても、初の本格政権誕生に亡命チベット人たちは期待を抱いていた。対中共で一歩も譲らないと見込んでいたのだ。

しかし、希望は打ち砕かれた。BJPの創始者でもあるバジパイ首相は、パキスタンとの融和に続いて、中共とも交流を深めた。強硬姿勢を貫くことはなかったのだ。
▼初代BJP政権のバジパイ首相(当時)
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ヒマラヤ山脈に複数存在したチベット系小国のひとつ、旧シッキム王国。ブータンとネパールに挟まれた地域にあり、シナ人とは地理的にも歴史的にも無縁である。

ところが、北京の老人たちは、シッキムが中共領土だと言い張っていたのだ。シッキム王国が大チベットの衛星国だったことが、暴論の根拠なのだが、1975年の王制廃止で“帰属問題”が浮上する。
▼シッキムから臨むヒマラヤ山脈
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新しい州に加えたインド政府に中共が因縁を付け始める。それに対し、パジパイ首相は、2003年のシナ訪問の際、シッキム領有を認めさせる代わりに、チベットを支那領と公言した。

国境線の扱いで譲ったわけではなかったが、チベット亡命政権にとってはショッキングだった。「取引材料に使われた」と憤るのも当然だ。BJP政権は、コングレス(国民会議派)より心もとない。
▼シッキム州の州都ガントク
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ところが、モディ首相の誕生でチベット人の見方は激変した。デリーの大統領官邸で5月26日に行われた首相就任式。招待された首脳の顔ぶれについて、英国のエコノミスト誌は、こう伝えた。

「就任式に、中国の指導者は招かれなかった。代わりに正面席に座ったのはチベット亡命政府で首相を務めるロブサン・センゲ氏だった」

完全中継したインド国営テレビの映像でもセンゲ首相の姿はバッチリ映し出されていた。通信社は報じなかったが、パキスタンのシャリフ首相以外にも特筆すべき招待者が居たのだ。
▼首相就任式に招待されたセンゲ首相(印国営TV)
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日本のメディアは、6月に中共が習近平の特使として外相をデリーに派遣したこと伝えた。しかし、その背景には就任式の異例のチベット厚遇があったのである。

つづいて、モディ首相の初の本格的な外遊先に選ばれたのが、我が国だった。そこには、苦しい時に手を差し延べてくれた安倍首相が待っている。

【パール博士は日印の至宝】

「仏像を眺めながら、改めて、日本とインドの深い歴史的つながりを感じました」

安倍首相は自らのFacebookに、そう書き込んだ。軍荼利明王の縁起について、モディ首相から説明するシーンがあったのかも知れない。京都迎賓館では鯉に餌やりするなど実にリラックスした雰囲気だ。
▼錦鯉を愛でる安倍・モディ両首相(PTI)
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京都迎賓館と言えば、つい3年前、南鮮の大統領が半狂乱になって騒いだエピソードが思い起こされる。言葉通りの無礼者だ。本物の歴史大国・インドの優雅な指導者と比べることすら愚かしい。

「18世紀にあったような拡張主義が見られる。ある地域では、ある国が他国を侵略している。海を侵害し別の国を占領しているところもある。こうした拡張主義は人類に発展をもたらさない」

痛烈な発言だ。都内で9月1日に講演したモディ首相は、名指しを避けながらも中共に非難を浴びせた。9月中に習近平が慌ててインドを訪問する予定があるにも拘らず、我が国を援護してくれた。
▼聖心女子大での講演9月2日(読売)
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もっとも、中共は序列1位よりも先に、インド北部ラダック地方に侵略部隊を派遣した。両軍激突の事態には至っていないが、外遊前に武力で脅しをかける薄汚い手口。本物の侵略国家である。

「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割は我々も忘れていない」
▼第1回安倍・モディ首脳会談9月1日(AFP)
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元赤坂の迎賓館に舞台を移した9月1日の晩餐会で、モディ首相は、そう語った。大東亜戦争に“戦犯”など存在しないと言わんばかりの神発言。2006年のシン首相国会演説に続く、伝説のスピーチだ。

参照:H18年12月16日エントリ『インド首相の親日演説…中共との黒い友情は不要』

そしてパール博士の故郷を訪ねたのも、歴代総理の中で安倍首相1人しかいない。

【モディ首相が靖国を詣でる日】

翌2007年8月末、病いに伏す直前に安倍首相はインドを歴訪した。東部の大都市カルカッタを訪れた安倍首相は、パール博士の長男プロシャント・パール氏と対面。こう讃えた。

「お目に掛かれて嬉しく思います。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めています」
▼パール博士の長男と対面07年8月(官邸HP)
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参照:H19年8月24日エントリ『闘将ボース2年間の閃光…日印を繋ぐ巨星よ永遠なれ』

既に親交を深めていた当時のモディ首相も、安倍首相の歴訪に注目していただろう。この歴訪の最後に安倍首相が足を運んだのが、ネタージことスバス・チャンドラ・ボース記念館だった。
▼ボース記念館訪れた安倍首相07年8月(AFP)
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そこでモディ首相の元RSSの肩書が輝く。大戦後、志半ばで散ったネタージの後を継ぎ、独立運動に立ち上がったのが、RSSの青年達だ。我が軍が創設したINA(インド国民軍)を師と仰ぐ集団でもある。

マハトマとネタージはインド独立の両輪だ。コングレスがガンジー&ネルー直系であるのに対し、モディ首相のBJPは、ネタージの系統と言える。そこではネタージと共に戦った皇軍兵士も英雄に他ならない。
▼ボース記念館で歓迎受ける07年8月(AFP)
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もしかしたら、モディ首相が靖国神社を参拝することも有り得るのでは…と帰国直前まで夢想していた。実現すれば、画期的な参拝だ。しかし東京滞在中のモディ首相は多忙を極め、夢は夢に終わった。

例え、望んでも外務省サイドが“近隣諸国”を理由に拒んだかも知れない。確かに、首脳クラスが支障なく靖国神社に詣でる土壌が完成しているとは言い難い。我々日本社会の側にその責任はある。
▼茶道を嗜むモディ・安倍両首相9月1日(代表)
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モディ政権は長期盤石との誉れも高い。繰り返し、我が国を訪れてくれることだろう。何年先になるか判らないが、在任中にモディ首相が堂々と靖国参拝できるような環境を日本人が築き上げることが大切だ。




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関連エントリ:
25年12月12日『両陛下とゆく麗しのインド…感動に包まれた神々の国』

参照:
□首相官邸HP9月1日『日・インド首脳会談等』
□首相官邸FB
□安倍首相FB

□島田卓の「ニャンてことだ!インド」2012年3月19日『米タイムが、モディ・グジャラート州首相を特集―その意味は』
□剣kenn諤々2013年1月10日『なぜか報道されない安倍総理のセキュリティダイアモンド構想』
□日印協会HP『月間インドニュース5月』
□インディア・センター2007年4月『グジャラート代表団訪日』

参考記事:
■NHK9月2日『天皇陛下 インド首相と懇談』(魚拓)

■産経新聞9月2日『「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相』
■産経新聞9月2日『インドのモディ首相、中国の領土拡張主義を強く牽制 日本との安保協力を強調』
■産経新聞8月30日『日印首脳が京都迎賓館で夕食会 「おもてなし」親密さアピール』
■産経新聞9月2日『「まるで記者のようだ」中国問題問われ苦笑 モディ首相が大学で講演』
■WSJ9月3日『モディ首相、都内で和太鼓の腕前披露―ジャムセッションも』モディ首相、都内で和太鼓の腕前披露―ジャムセッションも
■ニューズウィーク8月20日『インドにも「侵入」を繰り返す中国』
■PRESIDENT9月1日『第18代インド首相 ナレンドラ・モディ -インドで誕生した「安倍派」の新首相』
■日経新聞6月27日(The Economist記事和訳版)『中国がみるモディ新首相は「インド版安倍首相」』
■ニッポン.com7月31日『モディ新首相訪日は日印戦略的連携強化の幕開け(ブラーマ・チェラニー)』
■ロイター5月16日『インド総選挙は最大野党BJP圧勝、モディ政権誕生へ』

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