慰安婦捏造の女ボス罷り通る…南鮮“歴史再修正”の末路

「植村遺族会」の没落は、より凶悪な反日モンスターの跋扈を許した。屈服した李明博、取り込んだパク・クネ。北シンパの女ボスは、南鮮政府の慰安婦捏造史を更に書き換え、迷路に導いた。
画像

「その際のファーストコンタクト(最初の接触)は非常にいいムードでした」(読売新聞25年10月29日付記事)

野田佳彦は、そう回顧する。2011年10月、野田は首相としての初の訪問国に南鮮を選んだ。当時大統領だった李明博は、南鮮重視のスタンスを示す新首相を歓迎し、こう語ったという。

「歴代の韓国の大統領は任期後半になると、『反日』を使いながら支持率を上げようとする繰り返しだった。私はそういうことをしたくない」
▼野田・李会談2011年10月19日(官邸HP)
画像

その2ヵ月後、李明博は豹変する。短期間で立て続けに開かれた首脳会談。京都を訪れた李明博は、1時間の会談で約40分に渡り、捏造慰安婦問題を捲し立てた。野田はその時の模様を、こう明かす。

「ソウルの在韓日本大使館前に少女の像のようなものを設置したので、それを撤去するように言ったところ、相手はより感情的になってしまいました」

首脳会談の席で火病を爆発させる李明博。我が国の外交当局も官邸も予測していなかった事態だ。実在モデルなしの腐れビッチ像が大使館前に据え置かれたのは、李明博の訪日4日前だった。
▼腐れ像設置記念集会2011年12月(AFP)
画像

首脳訪問直前の騒ぎは、宮沢訪韓を狙い撃ちした朝日新聞の捏造スクープ記事を思い起こさせる。この場合も、大使館前デモ1000回記念での像設置を把握しながら、最悪のタイミングで会談は設定された。

「憲法裁判所の判決が大きかったのでしょう」

二重人格ばりの李明博の変わり方について、野田はそう解説する。ただし、慰安婦絡みで南鮮政府の対応を“違憲”と断じた判決は、同年8月。初会談の際に無風だったことと矛盾する。
▼野田・李会談in京都2011年12月(AFP)
画像

「10月(の会談時に)は、まだ最初だから抑えていたのでしょうね」

野田が説明する「抑えていた」とは李明博の本音や感情を指すのだろうが、李政権が圧力団体を押え込んでいたという意味にも取れる。

南鮮政府の態度が急激に変化した2ヵ月間。そこで鍵を握るのが、悪名高い反日組織「挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の勢力拡大だ。

【捏造史を丸呑みした憲法裁】

3年前の8月末、南鮮の憲法裁判所が示した狂気と捏造の異常判決を示した。我が国のメディアは判決要旨を手短に伝えただけで、外交問題化に触れる報道は殆どなく、深刻に受け止める者は少なかった…

しかし、この判決は南鮮の自称慰安婦利権を大きく変化させるものだった。裁判の本質は、慰安婦捏造騒ぎを扇動する「挺対協」の大勝利だ。90年代から続く騒動の歴史すらも修正させてしまった。
▼ソウル市内の憲法裁判所(共同)
画像

「1990年11月16日、韓国挺身隊問題対策協議会の発足と、1991年8月、日本軍慰安婦被害者である金学順の公開記者会見を通じて、日本軍慰安婦被害者問題が本格的に提起された」

騒動の始まりについて南鮮憲法裁は判決の中で、そう表現した。朝日新聞と植村隆ママが共謀した金学順の実名“告発”よりも、挺対協の発足を先に置く。一方、植村の遺族会は完全に抹殺された。
▼裁判で連戦連敗だった植村ママ(file)
画像

理由は分かり易い。憲法裁に捏造慰安婦問題を持ち込んだのが、挺対協だったのである。憲法裁は、挺対協が強調する「慰安婦=性奴隷」の捏造史を全面的に採用、裁判は原告側の思惑通りに進行した。

朝日新聞が後援する「太平洋戦争犠牲者遺族会」は、我が国だけではなく、自国でも請求権訴訟を起こしていたが、連戦連敗。それを横目に挺対協が仕掛けた裁判は、訴えを法廷が丸呑みする“勝利”に終わる。
▼東京“慰安婦訴訟”の高裁判決H16年
画像

思いもよらない「世代交代」が突然起きた。河野談話のヒアリング会場に強制捜査が入り、植村ママこと粱順任(ヤン・スニム)ら約40人が立件されたのは、2011年の4月だった。

挺対協の憲法裁勝訴と遺族会の摘発が、ほぼ同時に起きた。南鮮には慰安婦捏造団体が大量に存在するが、上位組織として取り仕切ってきたのは、この2団体。そのひとつが瓦解したのだ。
▼摘発前年に来日した植村ママH22年
画像

遺族会は決して穏健団体などではないが、河野談話のヒアリングを仕切るなど南鮮政府と歩調を合わせるケースもあった。一方、調査に猛反発したのが挺対協だった。

これまで南鮮政府は、2団体を互いに牽制させつつ、外交問題化の再燃を抑えてきたのではないか。利権目当ての集団が対立することは、青瓦台にとって都合が良かったはずだ。
▼会談で暴走した李明博2011年12月(FNN)
画像

しかし、遺族会の自爆で南鮮国内の捏造運動は、バランスを失う。その煽りをモロに受けたのが、李明博だった。2011年12月の豹変は恐らく、挺対協の“慰安婦独占”体制確立と密接に関係している。

【一族郎党みんな北スパイ】

「歴史の正しい清算の為、南北女性たちの連帯がより一層切実な時に、金委員長の逝去で大きい悲嘆に暮れている北の同胞を考えると哀悼の心を禁じることはできない」(西岡力著『増補新版・よくわかる慰安婦問題』草思社文庫274頁)

李明博が京都で錯乱した直後の2011年12月下旬、挺対協は金正日の死亡に際して、このような弔電を打った。挺対協は、反日を表看板に掲げた親北組織と内外から繰り返し指摘されてきた。
▼挺対協代表・尹美香(file)
画像

挺対協を率いる尹美香(ユン・ミヒャン)は、韓国神学大の神学科卒という生粋の親北派だ。同科は、金日成との会談で名を馳せた文益煥(ムン・イクファン)の牙城で、多くの北シンパを輩出している。

尹美香の夫・金三石(キム・サムソク)と義理の妹・金銀周(キム・ウンジュ)は、1993年に「兄妹スパイ事件」で逮捕されている。2人は東京滞在中に北工作員と接触し、兄は懲役4年の実刑となった。

また義理の妹・金銀周の夫は、2006年に「一心会スパイ事件」で逮捕された崔基永(チェ・キヨン)だ。この男は、内乱陰謀容疑で解党手続き中の「統合進歩党」幹部でもある。
▼尹美香の囲み解説(読売新聞作成)
画像

血の繋がりはないものの錚々たる親北犯罪ファミリー。そして尹美香自身も、夫が逮捕される前年の92年に来日し、北朝鮮統一戦線部のダミー組織「朝対委」の工作員と接触したことが判明している。

ちなみに、この時の挺対協と朝対委の連携が、後にバウネットの“女性国際戦犯法廷劇”に発展した。NHKが大特集した狂気の反日芝居。そこに挺対協が深く関わっていた事実も見逃してはならない。
▼慰安婦役者の演説を仕切る尹美香
画像

南鮮メディアは、挺対協と北の関係を把握している。しかし、植村遺族会のマネジメントなくなり、挺対協が自称慰安婦のプロモートを独占する中、批判的な報道は消えた。

挺対協と敵対すれば、慰安婦役の朝鮮女を取材することは不可能になる。南鮮の報道機関にとって自称慰安婦は、外せないネタだ。異常なのは、そこに南鮮政府も相乗りし始めたことである。
▼「統一賞」授賞会見の尹美香2013年3月
画像

2011年末に再燃した捏造慰安婦騒ぎで、中心的な役割を果たしているのは、尹美香であり、挺対協だ。だが、それはあくまでも南鮮の国内問題に過ぎない。

【背後に見えた「圧力団体」】

「挺対協は、元慰安婦に対する日本の国家賠償を求め、アジア女性基金の償い金を受け取らないよう元慰安婦に働きかけただけでなく、受け取った元慰安婦に嫌がらせをしてきました」(読売新聞25年11月1日)

そう語るのは、野田政権で外交・安保担当の首相補佐官だった長島昭久議員だ。読売新聞の特集インタビューに答えたもので、南鮮政府こそ「政治決断が必要」と説く。
▼読売新聞25年11月1日紙面
画像

「韓国政府がこうした圧力団体に気兼ねし、日本に一方的譲歩を求め続ける限り、慰安婦問題が前進することはありません」「韓国側こそ圧力団体におもねらない政治的決断を見せてもらいたい」(前掲紙)

長島元補佐官は2011年10月の首脳会談に同行した他、昨年8月にはソウルで外交通商部長の尹炳世(ユン・ビョンセ)と会談。具体例は不明だが、南鮮政権に挺対協の強い影響を見出したのだろう。
▼首脳会談に同行した長島元補佐官(官邸HP)
画像

本来は、南鮮政府自身が挺対協と政治決着をつける必要があった。しかし、憲法裁判決でモンスター化した圧力組織に、まず李明博政権が屈服。京都会談では挺対協の代弁に終始した。

予兆はあった。ソウル日本大使館前の水曜レギュラー公演をオーガナイズする挺対協は、腐れ像設置計画の首謀グループでもあった。当初は、行政の許可が下りず、設置強行には不安定要素が多かった。
▼腐れ像の無許可工事2011年12月(FNN)
画像

ところが、腐れ像は早朝からのゲリラ工事で瞬く間に完成。政府は抗議することもなく、違法建造物を黙認した。あの腐れ像は、南鮮政府が国内での政治決着から逃げたことを体現したものだ。

腐れ像イベントに続き、挺対協は翌年5月、ソウル市内に捏造だらけの“慰安婦博物館”を開設。南鮮政府が、建設費の15%にあたる3,500万円相当の資金援助をしていた事実も判明する。
▼ソウルの反日お化け屋敷(産経新聞)
画像

そして、パク政権で挺対協の暗黒パワーは、さらに増大する。

【性奴隷20万人の虚構採用】

いきなり反日フルスロットルで登場したパク・クネは昨年6月、捏造慰安婦問題に関する官民タスク・フォースを女性家族部内に設置。挺対協の女ボス・尹美香をメンバーとして招聘した。

あの橋下発言騒動と時期が重なるが、パク政権は尹美香の“入閣”を機に、従来の歴史認識を大幅修正。女性家族部長ら閣僚が根拠のない反日プロパガンダを国際舞台で絶叫するようになった。
▼UN本部で嘘吐く女性家族部長10月(共同)
画像

「10万人以上と推測される彼女たちは、ある国家の部隊に配置され、囚人のような生活を強いられた」

女性家族部長・趙允旋(チョ・ユンソン)のUN総会演説だ。名指しは避けたが、国際社会に向って10万人以上という虚を垂れ流した。また3月には外交部長が平然と「性奴隷」を使うようになった。
▼パリ巡業を仕切る尹美香 昨9月(聯合)
画像

南鮮政府の歪んだ歴史認識は、河野談話の時代とは全く違う。女子挺身隊は慰安婦に化け、更に慰安婦は性奴隷に“転職”した。挺対協が掲げる極端な捏造ストーリーの丸写しに変わっているのだ。

3月12日、外務省の斎木昭隆事務次官が、ソウルに飛んだ。3時間を超す本格協議になったが、斎木次官は日程を切り上げて即日帰国。協議で南鮮側は、脅し・ゆすり・タカリに徹した模様である。
▼ソウル入りした斎木次官3月12日(共同)
画像

「両国関係の発展には日本が正しい歴史認識を持つことが必要だ」

一部メディアは、南鮮側の要求を「従来の主張」と定型句で表現するが、中身は完全にすり替わっている。パク政権が言う「正しい歴史」とは、挺対協が国際宣伝する「20万人の性奴隷」とイコールだ。

ハードルは跳ね上がった。日本国民が性奴隷20万人の捏造話を受け入れ、謝罪と補償を容認することは、遠い将来にわたっても絶対にない。そして、南鮮側が一度上げたハードルを降ろすことは難しい。
▼朗読劇の台本を演出中?
画像

突破口のないダンジョンに自ら迷い込んだ南鮮。パク政権の問題だけではない。それは歴史を都合良く改竄し続けた民族の末路だ。



最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります

banner1

関連エントリ:
23年12月19日『李明博“慰安婦講義”の狂態…外務省が掘る反日墓穴』

参照:
□西岡力ドットコム24年6月29日『慰安婦謀略の背後にうごめく日韓親北左派の偽善』
□読売新聞11月1日『慰安婦 韓国こそ政治決断を』(長島昭久公式HP保存用PDF)
□読売新聞11月26日『決断せぬ韓国へ「疲れ」』(長島昭久公式HP保存用PDF)
□官邸HP『平成23年10月19日 韓国訪問』

参考記事:
□産経新聞11月1日【阿比留瑠比の極言御免】野田元首相に見るウブさ…信じては裏切られる日韓関係
□統一日報3月5日『「反日」の仮面をかぶった元慰安婦支援団体の陰に潜む従北派(上)』
□統一日報3月5日『「反日」の仮面をかぶった元慰安婦支援団体の陰に潜む従北派(下)』
□ZAKZAK10月17日【新・悪韓論】ライダイハンを直視しているのか? 韓国女性閣僚による厚顔な国連総会演説

"慰安婦捏造の女ボス罷り通る…南鮮“歴史再修正”の末路" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント