川嶋母娘が見た朝鮮暗黒面…擁子さんに祖国から恩返しを

“幻の書”と呼ばれたノンフィクションの傑作が待望の邦訳出版。『竹林はるか遠く』に描かれた朝鮮半島の真実とは…そして地獄から生還した少女は60年後、不当な弾圧と攻撃に晒された。
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「初めての空襲警報が鳴ったとき、私たちは壕を掘っていた。警報が突然鳴り出すと、担任の榎本先生が怒鳴り声で全員地面に伏せるように命じた」(『竹林はるか遠く』17頁)

川嶋擁子さんが空を見上げると、そこには3機編隊の米軍機の姿があった。昭和20年7月、米軍は列島各地に加え、朝鮮半島北部にある要所への爆撃を開始した。
▼羅南公立尋常高等小学校S10年
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「私たちは日本人で、朝鮮北部に住んでいた。私は未だ祖国を見たことがなかった。父は満州鉄道で働いていたので、私は満州の国境線から八十キロ程離れたこの古い町で育った」(前掲書11頁)

川嶋擁子さんは、朝鮮北部の羅南(ラナム)に一家で暮らしていた。大東亜戦争末期、米国は「飢餓作戦」と命名された海上封鎖・物流拠点の空爆を続け、我が軍の駐屯地があった羅南も標的となった。
▼朝鮮半島北東部の羅南
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「一九四五年、七月二十九日の真夜中のことであった。母と姉の好と私は、竹林の中にある私たちの家や、友人たちと永遠の別れを告げて。朝鮮北部の羅南から脱出した」(前掲書10頁)

登場人物は、当時11歳の川嶋擁子さん、16歳だった姉の好(こう)さん、18歳の兄・淑世(ひでよ)、そして母親。満州と羅南を往来していた父は、仕事で家を離れていた。
▼1930年代の羅南市街地
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兄・淑世が少し遠方の町にある工場への勤務が決まり、実家を離れた日の深夜、事態は急転。ソ連兵が大挙侵入してくる予想が高まり、擁子さんらは親切な陸軍伍長の案内で、汽車に乗り込むことになった。

まず汽車で京城に入り、釜山港を経て、本土に向う長い長い旅路。川嶋母娘は、そこで地獄絵図を見ることを、生き地獄を体験することをまだ知らなかった…

(注:以下ネタバレは含みません)

【実に27年待った名作の和訳版】

「私たち三人は駅まで一番近い川沿いの道を歩いた。大きな窪みが幾つもあり、私がそれにつまづいて転ぶ度、母が手首を結んである細引きをぐいと引っ張って起こしてくれた」(前掲書38頁)

鉄道駅を目指し、暗い道を黙々と歩く川嶋母娘。耳を澄ますと近くから、行進する軍隊の足音が聞こえてきた。それは我が軍でも、上陸したソ連兵でもなかった。

「朝鮮語の力強い掛け声であった。『イル、イー、サム、サー』彼らは私たちのすぐそばまで来ていた。私はみじろぎひとつしなかった。『彼らはきっと反日朝鮮軍よ』と好がささやいた」(前掲書39頁)
▼米国で出版された原書
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川嶋擁子さんの幼い瞳に焼き付いた修羅の朝鮮半島は、後年、一冊の本に自らの手で纏められた。1986年で米国で出版された『So Far from the Bamboo Grove』。渾身のノンフィクションだ。

川嶋擁子さんが真実を記した戦争ノンフィクションの傑作は、たちまち評判となり、米国内の中学校は副読本として採用。数多くの米国人の子供たちに親しまれている。
▼米国の中学校訪れた擁子さん(2011年)
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そして1998年、川嶋擁子さんはボストン図書館が最も推奨する児童文学者にも選ばれた。「全国両親推薦賞」に続き、「全国英語教授協会推薦文学賞」など数々の賞が授けられる。

また米国の平和団体「The Peace Abbey」が贈る有名な賞にも輝いた。過去にマザー・テレサやダライ・ラマ14世法王猊下も授賞している栄誉ある賞だ。
▼『竹林はるか遠く』公式紹介動画より
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「戦争とは恐怖そのもので、勝負はなく互いに『負け』という赤信号なのだということを私に教えてくれました。私はそのことを本書を通して地球上の全ての子供たちに伝えたい」(前掲書227頁「日本語版刊行に寄せて」より)

米国での原書出版から実に27年…今年7月11日、川嶋擁子さんのノンフィクション大作は『竹林はるか遠く』と題され、ハート出版から刊行された。初の日本語版、事実上の本邦初登場である。
▼『竹林はるか遠く』(ハート出版刊)
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大手書店の売り上げ速報はまだ発表されていない。しかし『竹林はるか遠く』は予約開始直後にアマゾンの「本のベストセラー」1位に輝き、1ヵ月以上も上位をキープし続けた。

読んで納得の名作だった。同時にショッキングな内容でもある。ネタバレは避けるが、悲劇と不運と絶望の中、意外なシーンで涙を誘われることも…間違いなく、近年最高峰のノンフィクション作品である。

【60年後、恐怖の朝鮮人再び】

「私たちが後片付けをしていると、どこからともなく突然、三人の共産兵が私たちの前に立ちはだかった。私たち三人は恐怖で身動きできなかった」(前掲書68頁)

川嶋母娘が必死の思いで乗り込んだ汽車は砲撃を受け、前に進むことが出来なくなった。母娘3人は、荷物を抱え、線路を辿って歩き続ける。その道中には、武装した朝鮮人が待ち受けていた。
▼公式紹介動画のイラスト
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「好(こう)は北部なまりの朝鮮語で答えた。兵隊は三人とも好を見ていた。『お前はいくつだ』 好は答えなかった。『今夜楽しむには、丁度いい年頃だな』と一人は言った」(前掲書68~9頁)

終戦直後の朝鮮半島でやむことなく続いた蛮行の数々…『竹林はるか遠く』には、少女が目の当たりにした陰惨な歴史事実が、時に狂おしく、時に淡々と暴き出されている。まさに朝鮮の暗黒面だ。

米国の児童が親しむノンフィクション作品に“異変”が起きたのは、2006年秋のことだった。ホ・ボウンという在米2世の朝鮮人少女が学校教材の『竹林はるか遠く』に抗議したのが始まりとされる。
▼中学校に招かれた擁子さん2011年
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作品に登場する朝鮮の“国技”に激怒し、教材として使わないよう学校に強要、登校拒否を宣言したという。奇しくも、悲惨な体験をした川嶋擁子さんと同じ11歳の少女であった。

「2度と『ヨーコ物語』のような小説が幅を利かせられないようにしなければならない」

少女の母親パク・ヨンスンも、猛烈な抗議を展開。ノンフィクション作品をデタラメと糾弾したのだ。これに米国内の南鮮人団体が呼応、全学校から『竹林はるか遠く』を追放するよう主張し始める。

「米国の学校でこの本を教材として使用するのは、韓国系生徒や保護者らに対する一種の人種差別であり、人権侵害だ」
▼公式紹介動画のイラスト
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あろうことか禁書扱いにするよう訴えたのは、駐ボストン南鮮総領事の池永善(チ・ヨンソン)だった。南鮮の在米公館が、一冊のノンフィクション作品弾圧で前面に出てきたのである。

そして、川嶋擁子さんへの執拗な個人攻撃も波状的に始まった。

【事実無根のデマで謝罪を要求】

「京城に来て五週間が経ったある日、好が深刻な事態を知らせた。『私たちは京城を出なければいけない。朝鮮人の男たちが、薮の中へ女の人たちを引きずって行くのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ』好は震えていた。『女の人たちは金切り声を上げて日本語で助けを求めていたの』」(前掲書111~2頁)

朝鮮人にとって不都合・不愉快な歴史真実である。南鮮人は、それを嘘と決め付け、著者個人を嘘付き呼ばわりしたのだ。歴史を直視できない野蛮人集団である。

「著者の父親は731部隊の高位幹部だった」

まったくのデタラメだった。しかし、在米の南鮮コミュニティは積極的に流言を拡散。南鮮メディアも追従し、川嶋擁子さんに「否定するなら証拠を出せ」と脅し始めたのだ。
▼中学生に語る川嶋擁子さん
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擁子さんの父は満州鉄道に勤務し、シベリアに6年間抑留されるという辛い体験を重ねた。しかし、南鮮人はシベリア抑留者全員を“戦犯”と断定。そして731部隊の医官というデマを飛ばしたのである。

もっとも731部隊のどこが悪いのか不明だ。正式名称は関東軍防疫給水部本部。満州の風土病を研究し、感染症の予防に努めて何十万の現地住民を救った我が軍の専門機関だった。
▼関東軍防疫給水部本部の建物
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中央日報の例の「原爆コラム」でも激しい違和感を覚えたが、“731部隊の生体実験”は、史実ではない。2007年に公開された米公的資料でも実験に関する記録は確認されなかった。

参照:衆議院HP政府答弁書15年10月10日『七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問に対する答弁書』

代々木党員・森村誠一が著した『悪魔の飽食』は「真空状態で人体が破裂した」などの記述が現代科学と相反することも判明。政治的な架空戦記なのだが、未だ南鮮ではドキュメント扱いされている…
▼森村誠一のホラー小説
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「この本は表紙から最終行までウソだ」

2007年2月16日付の聯合ニュースは、米国の歴史学者の発言を掲載した。旧日本軍の研究で知られるダニエル・バレンブラット氏の緊急提言だという。しかし、これが完全な捏造記事だった。

「こんな酷い捏造引用は今まで見たことがありません」
▼D.バレンブラットの著作
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バレンブラット氏は、そうコメントし、呆れ果てた。インタビューを受けたこともなく、発言は名前を騙った捏造だったのである。しかし、南鮮メディアも含めた暴走は止まらない。

「まず謝罪が先だ」と川嶋擁子さんを脅し、米国の一部の州は『竹林はるか遠く』を副読本リストから外してしまった。戦後60年余りを経て、再び朝鮮人が擁子さんに集団で襲い掛かったのである。

【祖国からの勲章と恩返しを】

「下に見える線路がざわめいていた。人々が撃たれたところの上まで来たようだったが、崖を下りて見る勇気はなかった。『みんな死んだ!』朝鮮語を話している声が上まで届いた」(前掲書129頁)

兄・淑世(ひでよ)の働いていた工場は朝鮮人の襲撃を受け、爆破された。 そこで淑世は、同僚が撲殺されるのを間近で見た。半島を単身南下する途中も、大勢の日本人が嬲り殺しにされる光景に出くわす。
▼公式紹介動画のイラスト
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『竹林はるか遠く』は、擁子さん母娘の生々しい体験と並行し、淑世が見た地獄も克明に記されてる。恐怖に怯え、傷付きながら一途に祖国を目指した川嶋一家のドキュメントだ。

「この本のため韓国人の子供たちがクラスで孤立する状況になっている。政府次元の是正活動を積極的に広げていく」

ボストン総領事・池永善は、南鮮政府も弾圧に加担していることを明言していた。実際に南鮮の外交通商省が米連邦教育省や各州に圧力をかけていた事実も発覚した。
▼児童に歴史教える擁子さん2012年(HPTA)
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現在、米国内で広がる腐れビッチ碑の設置と表裏一体の構造だ。『竹林はるか遠く』に関して南鮮側は「在米子弟がいじめられる」と主張していたのである。

吉田清治の架空戦記をノンフィクションと決め、偽り史実を訴える一方、川嶋擁子さんの手記を「創作」として糾弾、謝罪を求める…異常な事態が起きているのだ。

『竹林はるか遠く』は、2005年に『ヨーコの物語』と題され、南鮮で翻訳出版された。当初はクレームもなく版を重ねていたが、直後のデマ騒ぎで結局、増刷中止に追い込まれ、禁書となった。
▼南鮮で出版された『ヨーコの物語』
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朝鮮が官民上げた弾圧活動は、一定の広がりを見せたが、限界もあった。作品の評価は揺らがず、川嶋擁子さんの講演は数年先までスケジュールが埋まっているという。かけがえのない不朽の名作なのだ。

擁子さんは大学で英語を学んだ後、米国人の伴侶を得て渡米。ヨーコ・カワシマ・ワトキンズとして米国の児童らに日本文化を教える活動も続けていた。そこで、この珠玉の作品が生まれた。

■米国で講演する川嶋擁子さん


異常なのは南鮮だけではなかった。我が国では27年間も翻訳版が世に送られなかった。数年前にあった出版の動きも最終的に実現に至らず、長く“幻の書”扱いになっていたのだ。

そして、川嶋擁子さんが日本国内で講演をすることもなかった。明らかに不可解な現象である。また待望の邦訳版出版でも既存メディアは一切無視。不可解極まりない状況である。
▼祖国を夢見る擁子さん(紹介動画より)
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これまでの日本文化紹介の功績を讃え、我が国の政府が擁子さんを招聘し、勲章を授けるべきである。それだけの価値がある活動だ。他方、国会議員は何年かの勤続で首に勲章をぶら下げる…

そして日本国民の多くも、南鮮の妨害行為を傍観するだけだった。ささやかでもいい。擁子さんが愛した祖国と我々日本人から恩返しをしたい。今回の翻訳版出版は、その絶好の機会だ。



最後まで読んで頂き有り難うございます
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参考動画:


参照:
■ハート出版:新刊紹介『竹林はるか遠く』
■プレスリリース7月11日『ハート出版、全米の中学校で教材にも採用された名著「竹林はるか遠く」を刊行』

参考記事:
■産経新聞19年2月3日【緯度経度】ソウル・黒田勝弘『気に入らない話は“歪曲”』(魚拓)
■中央日報2007年2月3日『「韓国人を傷つけたことは謝罪するが歪曲ではない」ヨーコカワシマ・ワトキンスさん』

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