外交売国奴・田中均の罵声…親北タッグ10年ぶり再共闘

必ず残さなければならない交渉記録を闇に葬った。しかも話し合いの相手は北朝鮮の情報将校だ。小泉訪朝で“拉致つぶし”に奔走した史上最悪の外交官・田中均。老獪な親北操り人形が再び蠢き出す。
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「日朝首脳会談の立役者とされたアジア大洋州局長は、取材記者の間で『平気でウソをつく外交官』と言われた。新聞記者がウソを責めると『外交官は、国益のためにはウソをついてもかまわない』と言った」(後掲書115~6頁)

北朝鮮問題の専門家・重村智計氏は著書『外交敗北』の中で、そう綴っている。敢えて実名を伏せたこのアジア大洋州局長こそ、田中均だった。戦前・戦後を通じて史上最低レベルの売国外交官である。

もちろん「国益」とは程遠く、私利私欲と名誉欲に溺れ、拉致被害者の北朝鮮逆送を企んだ人物だ。田中均が言う国益の「国」とは、我が国ではなく、あくまでも北朝鮮を指していた。
▼日朝首脳会談の頭撮り写真
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2002年9月に平壌で行われた第1回日朝首脳会談。会談が始まる直前、“頭撮り”のため室内に招かれた日本メディアのカメラは、テーブルの誰もいない席に置かれた不自然な書類を捕らえていた。

まもなく現れたのが田中均の交渉パートナーだったキム・チョルだ。報道陣が一斉に退室する間際、NNNのENGカメラだけが、偶然その姿を映像に収めていた。
▼席に着くキム・チョル(NNN)
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キム・チョルは当時、北朝鮮・国家安全保衛部の副部長を務めていた。この部署は、南鮮KCIAに相当する情報工作機関。その副部長という要職担当者は北鮮軍の少将クラスに匹敵すると言われた。

情報将校キム・チョルと田中均の極秘接触は、米9・11テロ後に本格化した。丸1年後の首脳会談開始までに2人の密談は30回近くに及んだとされる。ちなみにキム・チョルは仮名で実名は今も不明だ。
▼取材受ける田中均(朝日コリア)
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「北朝鮮が日朝正常化交渉で失敗したのは、政治家に頼んだからである。日本では官僚が力を持っている。私のような力のある官僚に頼まないと日朝正常化の問題は解決しない。小泉首相も私が動かしている」(前掲書127頁)

田中均はそう豪語したという。この発言要旨は、後に北朝鮮側の幹部が明かしたものだ。北朝鮮外交部を無視して、工作機関の情報将校を相棒に選んだことが、田中均の終わりの始まりでもあった。

【翻訳に5時間…田中が隠したメモ】

北朝鮮が政府認定拉致被害者11人全員の情報を出す…田中均の報告を全面的に信用した小泉首相は同年8月30日、日朝首脳会談の開催を内外に向けて発表した。

ところが「全員の情報」は伏せられ、メディアには「数人の安否情報が出る」とリークされた。これに関与したのが田中均だった。正常化交渉の進展だけを目論み、わざとハードルを下げたのである。
▼南鮮TVに出演する田中均2009年
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そして我が国の外交史上最も「異様な5時間」が訪れる。2002年9月17日、日朝首脳会談に先立って田中均と北外交部の事前折衝が開かれた。平壌宣言の細かい表現など最後の詰めを行う実務協議だ。

この協議が終了した直後、北朝鮮側が1枚の紙切れを田中均に渡した。拉致被害者の安否を記した重大な内容で、紙切れには「5人生存・8人死亡」という情報が記されていた。
▼第1回日朝首脳会談02年9月17日
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その“安否リスト”は正午過ぎに首相官邸に届いたが、内容を知り得たのは福田官房長官ら少数に限られた。一方、平壌に詰め掛けた日本メディアの取材団に明かされたのは、夕方になってからだった。

すでに午前・午後の2回に渡って開かれた日朝首脳会談は終わり、調印式を残すだけである。国内世論が沸騰しても、手遅れだ。田中均が安否リストを受け取ってから実に5時間が過ぎていた。

「翻訳に時間がかかった」

田中均は、そう説明したが、まったくのウソだった。“安否リスト”は味も素っ気もない箇条書きで、短いものだった。外務省の担当通訳であれば、翻訳に10分も掛からない内容である。
▼北朝鮮作成の“安否リスト”
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田中均ら日朝正常化だけを目標にした連中が握り潰す格好で、空白の5時間が生まれたのである。もし当日の正午頃にリスト内容が明かされれば、批判殺到で平壌宣言は調印に至らなかった可能性も高い。

極秘交渉の最中から、拉致被害者を邪魔モノ扱いしてきたのが、田中均である。外交官の資格を問う以前に、人間として失格だ。

【中山恭子参与が田中均を一喝】

「局長、あなたがやっているのは外交ではない。北朝鮮へのお願いだ。外交官なら、お願いをやめて外交をやりなさい」(前掲書157 頁)

面と向かって、そうキッパリ言い切ったのが、中山恭子元拉致担当相だ。当時は内閣官房参与として拉致被害者奪還に尽力していた。来る参院選では是非、当選を果たして頂きたい。
▼拉致被害者を奪還した中山参与(FB)
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田中均の親北暴走が頂点に達したのは、拉致被害者5人が帰国した時だった。田中均は、5人は一時帰国扱いで北朝鮮に逆送すべきと主張。「2週間の一時滞在」という密約をキム・チョルと交わしていたのだ。

「日朝間の信頼関係が崩れてしまう。日朝協議ができなくなる」
▼南鮮メディアに答える田中均(聯合ニュース)
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田中均の態度は強硬で、言葉は脅しに近かった。帰国を果たし、家族と再会した拉致被害者を再び引き離せと言うのである。しかも、そこには自分が今後も日朝交渉をリードしたいという本音が隠れていた。

北朝鮮側は一時帰国扱いで5人を“再拉致”した後、正常化交渉で人質として日本に揺さぶりを掛けてくる。そう見抜いていたのは、官邸内で安倍晋三官房副長官と中山参与の2人だけだった。
▼事態を打開した安倍官房副長官
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安倍・中山コンビの強い決意は次第に国民の間でも理解が広がり、「誘拐犯の元に人質を戻すのか?」といった常識的な声が優勢になった。だが、最後まで田中均は脅迫をやめなかった。

「これで(私と)Xとのルートは死にます。5人の子供たちの帰国にも長い時間がかかります」

田中均という国賊外交官を象徴する発言だ。実際には、蓮池・地村両夫妻の子供は1年半後の2004年春に帰国。その2ヵ月後には曽我ひとみさんの娘2人と夫も帰国を果たした。
▼講演する田中均2007年(FCCJ)
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単なる脅し文句に過ぎなかった。加えて田中均は、北朝鮮の出方も完全に読み誤っていた。退官後に外交評論すら出来ない低レベルだ。しかし小泉首相を報道陣が囲む席で田中均は、大声でこう言い放つ。

「総理、本当によかったですね。最初から拉致被害者5人を戻すべきではないとした私どもの決断は正しかったですね」(前掲書160頁)

その言葉を聞いた関係者は、誰もが耳を疑い、開いた口がふさがらなかったと証言する。

【北情報将校との交渉録が消えた】

「私は11年前の官房副長官室での出来事を思い出しました。彼は被害者の皆さんの『日本に残って子供たちを待つ』との考えを覆してでも北朝鮮の要求通り北朝鮮に送り返すべきだと強く主張しました」
▼街頭演説する安倍首相6月20日(FB)
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安倍首相は6月12日、個人名義のFacebookで、田中均に苦言を呈した。その日の毎日新聞朝刊で田中均は、国際会議で日本の極端な右傾化が指摘されているとして「外交のイロハ」を説教したのだ。

雑なインタビュー記事で、本格的な外交評論でも分析でもなく、団塊サヨクが普通に愚痴をこぼすレベル。安倍首相への私怨以外に主張がなく、情報の少なさは、逆に新鮮だった。

「そもそも彼は交渉記録を一部残していません。彼に外交を語る資格はありません」

一方で安倍首相は外交上の重要問題をズバリ指摘していた。国家安全保衛部キム・チョル副部長との30回近い極秘交渉で、まったく記録を残していない折衝が2回あったのである。
▼安倍首相ロンドン会見6月19日(AFP)
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しかも、それは探り合いが続いていた初期ではなく、日朝首脳会談が開かれる直前の重要な折衝だった。誰と誰を生存者とするのか…安否リスト具体的な中身に関わる事柄だった可能性もある。

交渉記録を残さないことは、外交上絶対にあってはならない。加えて田中均が消し去ったのは、北朝鮮の情報将校とサシで話し合った内容だ。そこに平壌宣言の裏約束があったと疑われても仕方がない。

【10年後の“安倍つぶし”再共闘】

「みんなあれ(安倍晋三官房副長官)が悪い。あいつさえいなければ、うまくいっていた」(前掲書133頁)

平壌の幹部は、田中均とキム・チョルが安倍批判で意気投合していたと明かす。小泉訪朝後も2人は事後対策の為にシナ国内で接触を続けたのだ。自らの失敗を棚に上げて逆恨みする醜悪な態度である。
▼講演する田中均2010年(FCCJ)
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安倍首相による田中問題の告発について、朝日新聞と毎日新聞は社説で取り上げ、「個人攻撃の言論弾圧」などと息巻いた。SNSなど新しいネットワーク上の言論は一律に「過激」だからダメなのだという。

表現の自由を守る為に自由な発言は制限されなければならない…2つの社説は余りにも発想がオリジナル過ぎてまったく意味が分からない。つまりは参院選前に安倍首相を叩きたいだけなのだ。
▼街頭演説する安倍首相6月21日(FB)
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キム・チョルは、恨み骨髄で金正日に「安倍が妨害して正常化ができなかった」と報告。朝鮮総連も繰り返し、安倍批判のリポートを平壌に送った。重村智計教授は、当時の様子をこう振り返る。

「これは、とんでもない責任逃れと『安倍晋三つぶし』の陰謀、というしかない。この『安倍晋三つぶし』には、日本の一部メディアも利用された」(前掲書133頁)

タネを明かせば背景は単純だ。拉致被害者を置き去りに
して国交正常化を急いだ田中均。この国賊外交官と連携して“安倍つぶし”で動いていたのが、朝日や毎日など反日メディアだったのである。
▼インタビューで放言する田中6月6日(毎日)
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第1次小泉訪朝から10年以上が過ぎた。田中均はライバルに惨敗して外務省を去り、キム・チョルは最後まで本名を明かすことなく再び闇の世界に舞い戻った。

それでも北朝鮮をこっそり支持し続け、隙あらば国内の親北勢力を支援する…我が国のメディアや政治家が形づくる「反日の構造」は何ひつ変わりらない。



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【side story】

重村さんの本に何か田中均ネタがあったのを思い出して読み返したら、「ウソつき外交官」とか痛烈批判のオンパレードだった。文章では一貫して「アジア大洋州局長」と表記して田中均の名前はまったく出てこないのだけれども。

田中均の掟破り外交は、北利権に群がる政治家と一体化していたことが大問題で、群がったのは野中広務とか山崎拓とか加藤紘一・古賀誠とか。安倍首相の田中批判は、そうした古い親北自民大物への攻撃でもあったのだけれど、細野豪志とか全然わかってない様子だな。

で、重村さんが昔は執筆者だった毎日新聞の社説がいろいろヒドい。首相の発言が「敵味方を単純に区別するネット上の過激な言論を助長する」とか、なぜかヘイトスピーチ・キャンペーンの一環に。最近の暴走レベルが少し異常なので気になる。

参考記事:
■毎日社説6月20日『首相らの言葉 著しく思慮欠く罪深さ』
■産経新聞6月19日【阿比留瑠比の極言御免】安倍首相「FB発言」の重大性
■毎日新聞6月12日『保守主義と歴史認識:/1 右傾化、日本攻撃の口実に 田中均氏に聞く』
■朝日社説6月18日『首相の反論―異論受けとめる度量を』(魚拓)
■イザ6月12日『「外交語る資格ない」首相、田中均氏をバッサリ』

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