南京情報戦の75年戦争…河村市長が挑む反日包囲網

中共エリート党員に面と向かって正論を吐いた河村市長。絶賛の声が上がると同時に反日勢力も動き出す。謀略宣伝から始まった南京捏造ストーリーを巡る情報戦は今も続いている。
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「南京大虐殺に関しては、村山談話などで政府の立場はハッキリしていますが、旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害あるいは略奪等があったことは否定できない」

2月22日午前の定例会見で藤村修の口から看過できない発言が飛び出した。官房長官が公の場で「南京大虐殺」というプロパガンダ用語を使ったのは、これが初めてだ。

藤村は二十三重の誤りを犯している。まず、村山談話は「南京」を始め個別のケースに触れていない。この売国談話は、具体的な証拠も例も示さず、抽象的な表現の果てに一方的な謝罪をしている。
▼官房長官定例会見2月22日午前(官邸)
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藤村が語った「旧日本軍の~」というセンテンスは、外務報道官発言の引用だ。南京「戦中日記」の捏造が暴かれた東京高裁判決を受けて示された政府見解である。

参照①:外務省HP平成10年12月25日『報道官会見要旨~「南京事件」関連の民事訴訟判決』
参照②:日本会議熊本HP『南京大虐殺をでっちあげた「東日記」に司法のメス』

重要なのは、外務省が括弧付きの「南京事件」と表現し、プロパガンダ用語の使用を避けていることだ。民主党政権はその慎重な言い回しに気付かず、「大虐殺」と決め付けた。万死に値する。

平成10年の外務省見解も憂国陣営から強い批判を浴びたが、面白いことに、主語が欠落している。誰が非戦闘員を殺害また略奪行為をしたか、明示していない。
▼皇軍兵士と遊ぶ南京児童S12年12月20日
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昭和12年の南京攻略戦で、民家襲撃や略奪行為を繰り返したのは、司令官逃亡で規律を失った国民党軍の兵士だ。逆に城内の混乱を収拾させ、治安維持に務めたのが我が軍だった。

そして非戦闘員とされていたシナ人の殆どが便衣兵だったことは余りにも知られた歴史事実。すでに論争のテーマにすらならない決着済み問題だ。

だが報道で取り扱われる度に、捏造派が大声を上げ、形勢を強めてしまう…そこに南京捏造問題の本質がある。

【自虐史観を砕く近親者の実録】

「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないかと。通常の戦闘行為はあったけどね。残念だけど。真実を明らかにしないと、トゲが刺さっているようなもので上手く行かないですよ」

発端は2月20日、名古屋市の河村たかし市長の一言だった。河村市長率いる地域政党「減税日本」には関心も興味もないが、この発言は素晴らしい。かなり見直した。
▼会見する河村たかし市長2月20日(産経)
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言い放った相手が、中共南京支部の常務委員らエリート党員だったのが良い。表敬訪問された場合、我が国の行政トップは概ね柳腰で媚を売るが、河村市長は違った。

発言に至った経緯は詳しく報道されていない。しかし、昨年12月に名古屋を訪れた南京副市長にも同様の発言をしていたことから、それを受けて中共側が抗議、河村市長が譲らなかったという展開だろう。

「親父は南京で終戦を迎え、南京の寺で部隊が駐屯させて頂き、温かい持て成しを受けた。8年前の昭和12年に、もしそんなことがあったら、何故それ程まで日本軍の人に優しくできたのか、理解できない」
▼劉志偉と河村市長2月20日(産経)
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中共訪問団との面談で河村市長は、そう語った。素朴な疑問だが、こうした肉親や近親者のエピソードが、反日プロパガンダや嘘で塗り固めた自虐史観を砕く突破口になるものだ。

河村市長の亡父・鈊男さんは、我が陸軍第101師団隷下の歩兵旅団指令部伍長として支那戦線で活躍。終戦時には南京市内の古刹・棲霞寺に身を寄せ、昭和21年に帰国している。

父親が他界してから10年が経った平成18年4月、河村衆院議員(当時)は、父親の戦友と一緒に南京を訪問。悪名高い南京記念館を視察し、余りの捏造ぶりに強いショックを受けた模様だ。
▼新装した南京捏造記念館07年(毎日)
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産経新聞・阿比留記者のインタビューによると、その際にも河村市長は今回と同様の疑問を南京市の幹部にぶつけたところ、連中は押し黙ったまま反論できなかったという。

参照:国を憂い、われとわが身を甘やかすの記18年7月18日『河村たかし氏と南京事件』

河村市長は、南京関連の研究者や元軍人に会って独自の調査を進めると共に“大虐殺”の再検証を求める質問主意書も提出。この問題では、けっこうな筋金入りだ。

【河村市長を覆う反日包囲網】

「河村市長は南京大虐殺の史実を否定、南京人民の感情を著しく傷つけた」

南京市側は河村発言に脊髄反射し、姉妹都市として提携している名古屋市との交流凍結を発表。判りやすい報復措置だ。そして中共外交部も南京市の対応を支持、公式に抗議した。
▼1面扱いで横並びの中共党機関紙(JNN)
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「欧米メディアが『日本人が虐殺をした』と伝えたのは伝聞情報。ハッキリした目撃情報がない。目撃者がいないのが決定的だ」

河村市長は2月22日、都内の日本記者クラブで開いた会見で発言の根拠を示した。反日メディアなどは、これを「持論」と表現するが、歴史的な事実だ。
▼日本記者クラブでの会見2月22日(共同)
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一歩も譲る気のない河村市長に有力な援軍は現れない。それどころか民主党政権は「名古屋市と南京市の問題」として突き放し、中共に支援に回る体たらくである。

もっとも外務省が前面に出ても国益を損ねるだけだ。名古屋の中共総領事館移転問題で、反対していた河村市長を袖にし、中共と密約を交わした売国機関が外務省だった。
▼中共が狙う総領事館候補地(共同)
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しかも2月22日は「竹島の日」だ。現在進行形の侵略に沈黙し、フィクションに過ぎない反日ストーリーを擁護するのが、今の政権であり、政府である。

そこに反日メディアが加勢することも目に見えている。お膝元の中日新聞などは、中共による虐殺は手放して声援を送る反人権紙の筆頭格。中共の指示通り、あからさまな市長叩きを始めるのは確実だ。
▼会見する河村市長2月22日(読売)
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中共とタッグを組んだ我が国のメディアによる反日プロパガンダの拡散。それが南京捏造問題を解く鍵である。22日の会見で河村市長は、重要な発言をしていた。

「南京事件については、新たな研究成果も出ており、いろいろな意見がある」

河村市長が指摘する新たな研究成果とは何か?

【75年に及ぶ果てなき情報戦】

「そもそも、南京大虐殺の源流となったのは、虚偽の新聞報道であり、戦争プロパガンダ本のティンパーリ編『戦争とは何か』であったと喝破されている」

小泉政権末期の平成18年6月に河村議員(当時)が提出した質問主意書には、そう書かれている。ハロルド・J・ティンパーリは昭和12年当時、通信社特派員として上海に駐在中だった。

そのことから『戦争とは何か』は、客観的な取材に基づく資料とされてきた。だが、近年の北村稔教授らの調査でティンパーリが国民党宣伝部顧問で、党幹部から依頼を受けての執筆だった確証が得られた。
▼防空壕を出る笑顔の南京女性S12年12月
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ティンパーリの著作は戦時プロパガンダのフィクションだった。そうした指摘は以前からあったが、北村教授は、宣伝部トップの回想録の中に、宣伝刊行物の執筆を依頼したとの記述を発見したのだ。

そして『戦争とは何か』の中文版序文を書いた郭沫若は、国民党の御用文化人と見られていた。しかし我が国からの極秘帰国を支援したのは中共とコミンテルンだった。巧みに国民党に潜り込んだのである。
▼コミンテルンの内通者だった郭沫若
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同じく日本版の序文を書いた黒田善治もコミンテルンの秘密工作員と連携してシナ国内で暗躍していた。これは歴史研究者・長塩守旦氏のが暴き出した事実だ。

『戦争とは何か』と並ぶもう一つフィクション作品『ラーベ日記』。その作者ジョン・ラーベは、上海からゾルゲに指示を出していた赤軍諜報員と深い関係にあったことも新たに判明している。
▼整然とした我が軍の南京入場式
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南京捏造物語創作の背後にはコミンテルンがあった。つまり、従来の「国民党によるプロパガンダ」という枠に留まらず、正体は国際共産勢力による大掛かりな対日情報戦だったのだ。

“犠牲者数”で論争していた20世紀が懐かしい。現在は、当時の国際共産勢力の世界政略として南京捏造物語を捉え直すことが最先端の研究テーマになっている。
▼南京入城3週間後の餅搗き大会
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それでも反日メディアや媚中クリーチャーが河村市長の言う「新しい研究成果」にスポットを当てることは決してない。なぜなら連中こそが1937年から始まった対日情報戦を引き継ぐ核心勢力なのだ。

昭和12年12月の首都攻略戦は、我が軍の圧倒的勝利に終わった。だが、その後75年続く情報戦は未だ終息の気配すら見えない。河村市長も我々も、苛烈な情報戦の渦中にいる。



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参照:
衆議院HP平成18年6月13日河村たかし議員提出『いわゆる南京大虐殺の再検証に関する質問主意書』
「電脳日本の歴史研究会~南京大虐殺はウソだ!」

参考文献:
撃論ムック『情報戦「慰安婦・南京」の真実』

参考記事:
■産経新聞2月20日『「南京事件なかった」と河村名古屋市長 中国共産党の市常務委員に「互いに言うべきこと言おう」』
■中日新聞2月22日『河村市長「南京発言」要旨』
■時事通信2月22日『「目撃者いない」が根拠=南京事件否定発言で-河村名古屋市長』
■共同通信2月22日『南京大虐殺で名古屋市長』(動画)
■産経新聞2月22日『藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明』
■産経新聞2月22日『中国南京市が名古屋市との交流停止 事実上の報復措置』
■産経新聞6月23日『「南京大虐殺」宣伝の裏に共産勢力』

関連エントリ:
□平成18年12月13日『「南京思想戦」のまぼろし…反日謀略の大看板を砕け』
□平成19年7月15日『すべての道は南京に通ず…アイリスの亡霊を呼び醒ませ』

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