甦る文革とチベット人狩り…遂に転生ラマも自己犠牲

わずか3日間で3人…年明けから続発した焼身抗議では転生ラマも自らに火を放った。チベット各地から悲痛な映像が届く一方、流出した画像には今も進行する「文革の狂気」が刻まれていた。
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「大勢のチベット人が拘束され、負傷者も多く出た。そして公安側も車両2~3台が焼かれるなどのダメージを受けた」

1月9日、チベット人殺害を実行した中共公安当局に対し、チベット人住民が立ち上がった。非常事態が発生したのは、チベット東部アムドのラブラン。一気に緊張が高まったのは、前日の夜だった。

発端は、工事現場から2張のテントがなくなるという些末な出来事だった。現地の公安当局は、2人のチベット人に嫌疑をかけ、捜索。その過程で1人を銃で撃ち殺した。
▼大僧院を中心とするラブランの町
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殺害されたツェドゥンさん35歳には、アリバイがあった。中共当局が盗難事件をデッチ上げた末に、射殺したのだ。チベット人住民が激高するのも当然だった。

「地元の公安は群の中心地に逃げました。ところが9日の朝、特殊部隊が22台もの車両で町にやって来たのです」

現地に住むチベット人はRFAの取材に対し、そう語った。到着した中共治安部隊は催涙弾を発砲し、チベット住民の弾圧を強行。この際、多くの拘束者に加え、一部の情報では死亡者も出たという。
▼ラブラン僧院周辺のデモ行進08年3月(AFP)
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このラブランは、五輪大虐殺が続発した4年前、僧侶が中共当局に抗議して大規模なデモ行進を開いた土地柄だ。ゲルク派6大寺院のひとつラブラン僧院を中心に形成される小さな門前町である。

新たな情報は途絶え、現地の状況は闇の中だが、ここでは2008年3月にも大規模な弾圧が行われている。緊迫した状況が続いていることは疑いようもない。
▼チベット人を拘束する弾圧部隊08年3月(AFP)
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ラブラン弾圧の直前、約300㌔南西のダルラも大混乱に陥っていた。目撃者によると、数百人のチベット人がデモ隊列を組んで地元警察署を包囲、一部は窓やドアを叩き壊したという。

そのきっけかは、地元で尊敬を集めていた高僧の焼身抗議と公安の非道な対応だった。

【身を捧げた転生ラマの訴え】

「灯油を飲み、僧衣に浴びせた後、自らに火を放ちました」

ソナム・ワンギュル師は1月8日午前6時頃、ダルラの警察署前で焼身抗議を行った。享年42。地元住民によるとワンギュル師の最期は、これまでの焼身抗議にも増して凄惨だった。

「師の身体は爆発したかのようにバラバラになりました。そして、それらを公安が持ち去ったのです」

爆発という形容が写実的なものか否か詳細は不明だが、遺体は酷く損傷し、公安が上半身などを持ち去ったことは事実のようだ。警察署に集まったチベット人が返還を求めていたのは、遺体の“すべて”だった。
▼ソナム・ワンギュル師(ICT)
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ダルラの焼身抗議は、チベット世界に大きな衝撃をもたらした。それは抗議を行ったワンギュル師がトゥルクだったことに由来する。トゥルクとは転生ラマを指すチベット語だ。高僧の中の高僧である。

入寂したワンギュル師は、トゥルクとして仰がれていただけではなかった。地元で複数の孤児院と高齢者介護施設を経営し、一身に敬意を集めていた高僧でもあったのだ。
▼リンポチェの僧衣纏ったワンギュル師
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遺体の返還を求め、キャンドルを持ち寄って警察署前に集まったチベット人は約2,000人に上った。そして葬儀の為、近隣から駆け付けた住民は、数千人規模に達しているという。

ワンギュル師は自らに火を放つ直前、チベットの自由と法王猊下の帰還を訴え、ルンタとビラを撒いた。ルンタとは風の馬が描かれた祈りの旗だ。そしてビラには、こんな言葉が綴られていた。

「チベット人は決意を失ってはなりません。幸せの日は必ずや来るでしょう」

自らの生と引き換えに、トゥルクが遺した最後のメッセージだった。

【3日間で3人の絶望的状況】

「金曜日のキルティ僧院の2人に続く自己犠牲だった」

米WSJ紙が報じたワンギュル師の記事だ。我が国の既存メディアは単純に「焼身自殺」と表記するが、欧米の一部報道機関は「self-immolation=自己犠牲」と表現を改め始めている。
▼印度ガヤでの追悼集会1月8日(AFP)
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抗議者が何を目的として行為に及んでいるのか考慮すれば、適切な表現だろう。原因は、中共によるチベット弾圧だ。絶え間ない弾圧への絶え間ない抵抗…その中心となったンガバで再び悲劇は起きた。

1月6日午後2時過ぎ、ンガバの町中心部で20歳前後と見られる2人の青年が焼身抗議を行った。1人はキルティ僧院で学ぶテンニ(Tennyi)さん、もう1人は元僧侶とされるツルティム(Tsultrim)さんだ。
▼ンガバのキルティ僧院10月17日(AFP)
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目撃情報によると2人は火に包まれながらもキルティ僧院の方角に向かって合掌していたという。テンニ僧はその日の内に息を引き取り、またツルティム元僧も7日に亡くなった。

厳戒態勢が続くンガバ中心部では昨年10月以降、焼身抗議は確認されていなかった。また他のエリアを含めても、チャムドでテムジン・プンツォク元僧が12月1日に自らに火を放ったのが最後だった。
▼テンジン・プンツォク僧
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1ヵ月以上も新たな自己犠牲の悲報は届いていなかったのだ。それが年が明けて僅か3日間で3人が抗議に臨み、全員が亡くなった…絶望的な状況は何ひとつ変わっていない。

「国際社会は対応に失敗した」

ロンドンに本部を置く支援団体「フリー・チベット(旧FTC)」のブリグデン代表は直言する。そして声明では強い口調で、こう警告している。

「こうした抗議行動は、世界の指導者たちがチベットの絶望的な状況に見て見ぬ振りをする限り続くだろう」
▼自己犠牲の僧を悼む灯火1月8日(AFP)
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各国のリーダー達は、いつまで目を瞑っているつもりなのか…現地から伝えられる目撃情報だけではない。ショッキングな現場を捕らえた映像も続々と届いている。

それらは現地のチベット人が危険を犯して海外に流出させたものばかりだ。

【凄惨な現場に支援団体も封印】

昨年11月3日、チベット東部カム地方のタウで自己犠牲に臨んだ尼僧 パルデン・チュツォ(Palden Choetso)さん、35歳。即死と伝えられた最期を捕らえた映像が約3週間後、海外に渡った。
■閲覧注意


現場はタウ中心部の路上。 チュツォ尼僧は、全身炎に包まれながらも直立…そして突然、崩れ落ちるように倒れる。その瞬間、カタと呼ばれる白い聖布を炎に投げ入れる女性の姿も映っていた。

映像を公開したのは、詳細な情報で知られる「パユル.com」だ。どのようにして入手したのか詳細は明かされていないが、その後のタウの模様を含め、編集している。
▼ニャツォ僧院で追悼する尼僧ら
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キャンドルを手にニャツォ僧院の境内に集まる大勢の僧侶。これは恐らく、11月6日に営まれた葬儀だ。そして映像のラスト部分には、タウの町に集まる武装警察の車列が納めれらている。
▼タウに進行する武装警察車両
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この編集版映像の公開から約1週間後、パユルはオリジナル版に近い映像をアップした。この映像は、倒れ込んだチュツォ尼僧に近付いて撮影したもので、より衝撃性が高い。
■閲覧要注意=YouTube『New RAW Footage Self-immolation By Buddhist Nun Calling For FREEDOM in Tibet & Return of Dalai Lama』
▼チュツォ尼僧の自己犠牲11月3日(AP)
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チュツォ尼僧の映像は、AFPなど一部の通信社が配信した。その一方、報道機関やチベット支援団体が紹介を拒む程ショッキングな映像も海外に伝わっている。

同じくタウ中心部で昨年8月15日、焼身抗議で息を引き取ったツェワン・ノルブ僧。昨秋にSFTが1枚の写真を公開したが、克明に捕らえた映像をRFAが入手し、同11月半ばに公開していた。
▼ノルブ僧の自己犠牲8月15日
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ノルブ僧はガソリンを浴びて自らに火を放った…その最期は余りにも残酷で辛い。撮影者が途中からサングラスのようなもので被写体を隠すのも理解できる。

かつてガンガー沿いのガート(火葬場)に通った者でも直視できないし、自己犠牲に臨んだ僧侶の尊厳にも配慮する必要がある。その中、こうした映像が現存することだけ認識して頂きたい。
■閲覧厳重注意=YouTube『Tsewang Norbu of Tawu Nyitso monastery self immolated to protest against Chinese rule in Tibet 』

この映像公開から間もなく、中共によるチベット地域での蛮行“告発するビデオ”が流出した。凶悪な実態を生々しく捕らえた決定的な証拠映像だ。

【チベット人狩り…21世紀の文革】

映像の舞台はチベットの首都ラサ北方の小さな村。かつて河口慧海が学んだセラ僧院に近いエリアだという。その村を中共の治安部隊が急襲した時の模様が22分間収録されている。



アサルトライフルを携えた武装警察や特警の要員が次々と民家を襲い、高齢女性を含むチベット人住民を拘束してく行く…正に“チベット人狩り”の現場だ。

正確な日時は不明だが、難民らの証言から2008年3月の映像と見られている。当時、逸早く平和的抗議を行ったのがセラ僧院だった。それに対する治安部隊の報復が周辺の村々で繰り広げられたのだ。
▼覆面・完全武装で民家襲撃中のスワット
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この映像は、治安当局が何らかの目的で撮影し、昨年暮れになって流出したものだ。残虐なシーンは含まれていないが、拘束された住民の多くは今も消息を絶ったままである。

この“チベット人狩り”映像が公になる直前には、僧侶を弾圧する中共治安部隊の極秘写真も流出した。チベット人女流作家ウーセルさんによると、写真は中共の軍事関連サイトにアップされたものだという。
▼僧侶を連行する中共治安要員08年4月
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後ろ手に縛られ、連行される僧侶の首にはプレートが掛けられている。そこには「分裂国家」といった“罪状”が刻まれているが、遠い文革時代ではなく、つい最近、21世紀に撮影された写真だ。

これも正確な日時は不明だが、2008年4月と解析されている。つまり、4年前のチベット大虐殺の記録だ。文革時代と何ら変わらない非道行為が現代も行われていたのである。
▼拘束した僧侶を晒して移動08年4月
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完全武装のスワットと一堂に集められた僧侶の写真もある。文革の狂気を彷彿とさせるものだが、写真の左上に目を凝らすと、宙に浮いた人ようなシルエットが確認できる。これは公開処刑の様子なのか…
▼正座強いられる僧の背後に謎の人影
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しかも、この文革の悪夢が甦った場所は、今も厳戒状態が続くンガバであることが判明した。一部の写真にンガバのキルティ僧院が映り込んでいたのである。
▼奥に見えるのがキルティ僧院08年4月
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なぜ、キルティ僧院の僧侶らが自己犠牲の抗議を重ねているのか…問題の根源は、2008年に起きた大虐殺と“僧侶狩り”にある。4年前から続く非道な弾圧が、僧侶による命を賭した抵抗を生んでいるのだ。

あの大虐殺に沈黙した全ての政治指導者・メディアは、罪深い。五輪開催を控え、チベットでは文革の狂気が進行していた。だが、各国政府も報道機関も半ば気付きながら、こぞって北京に媚を売った。
▼チベット人を連行する中共部隊弾08年4月
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その歪みきった状況は、今も少しも変わりない。誰がチベットに救いの手を差し伸べるのか…イマジネーションも分析能力も要らない。必要なのは、そこで起きている現実を直視する眼だ。


  〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります

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参照:
看不見的西蔵12月2日『被“维稳”的藏人』
チベットNOW@ルンタ

参考記事:
■RFA1月10日『Tibetan Villagers Clash With Police』
■RFA1月9日『Angry Tibetans Parade Corpse』
■WSJ1月10日『Tibet Strife Spreads as Top Monk Kills Self』
■CNN1月10日『Tibetan monk self-immolation death sparks protest in China』
■RFA1月9日『Thousands Attend Funeral』
■Phayul1月9日『Tibet is burning – Third self-immolation in three days』
■ freeTIBET1月9日『Media reports third act in three days』
■RFA1月6日『Two Tibetans Set Themselves Ablaze』
■Phayul1月6日『Self-immolations continue in Tibet: Two Tibetans set themselves ablaze in Ngaba』
■TCHRD1月7日『Two Tibetans Self-immolate in Ngaba』
■ICT1月9日『Tibetan self-immolations continue and spread in Tibet into 2012』

■産経新聞1月9日『チベット高僧、焼身自殺 遺体返却求め数百人デモ』
■AFP1月9日『チベット人僧侶また焼身自殺、1年で15件に』
■時事通信1月7日『また焼身自殺図る=四川省チベット族居住区』

■WEDGE Infinity12月14日『文化大革命さながらの弾圧続くチベット』
■博訊新聞網12月2日『成都和德阳特警在四川藏区维稳时的照片曝光』

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