風を変えた猊下の被災地入り…チベット尼僧の悲劇再び

遂に安倍元首相との会談も実現。大反響を巻き起こした法王猊下の被災地訪問は、報道の風向きも変えた。一方、僧侶の焼身抗議は終息せず、各国での反中共行動も激しさを増している。
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「東北の被災地にダライ・ラマが訪ねて行ったことは有り難いことでね。本当に誰かがチベットを訪ねた方が良いよ。国が奪われようとしているんだから」

11月4日の定例会見で石原慎太郎都知事は、そう力説した。今回会う予定があるのか、記者から訊かれて即答したのだが、石原都知事も法王猊下が10月末から来日していることを知らなかったという。
▼伊丹空港を出る猊下10月29日(読売)
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今年2回目となる来日は“静かに”始まった。10月29日、伊丹空港に降り立った法王猊下は翌日、大阪市内で講話。5,000人以上が詰めかけたが、過去の講演や説法と同様に報道されることはなかった。
▼大阪・舞州アリーナの講演会(法王代表部)
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続いて向かったのは真言密教の聖地・高野山。法王猊下の高野山訪問は、昭和55年の秋以来、実に31年ぶりとなる。ここでのメーンは、チベット密教の伝統に基づく「金剛界マンダラ灌頂」だ。

灌頂(かんじょう)とは、密教特有のイニシエーション。高野山には猊下の到着する10日程前からチベット人の高僧が入山し、マンダラを描くなど準備を整えていた。
▼高野山に到着した猊下一行11月1日(OHHDL)
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灌頂は純粋な宗教儀式で、一般のメディアが取り上げないことも頷ける。しかし、そこにこそチベット密教最高位である法王の核心がある。中共が恐れるスピリチュアル・リーダーとしての格だ。

今回、高野山側は猊下の宿泊先に最も格式の高い金剛峯寺を用意した。最高位の僧としての厚遇である。その一方、道すがらコンビニに立ち寄ったりするのが、いかにも猊下らしい。
和歌山・かつらぎ町のコンビニで(EPA)
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高野山を下った猊下は、その足で東北の被災地へと向かう。仙台に到着した11月4日から、一気に関連報道が相次いだ。意外にも、メディアの取り上げ方は、近年例を見ない程に厚かった。

【参道で直接訴えるハプニングも】

「震災で身近な人を亡くした皆さんの心の痛みを、一人の人間として分かち合いたかった」

東北入りした法王猊下は11月5日、宮城・石巻市の西光寺と仙台市の孝勝寺を訪問し、慰霊法要を営んだ。石巻市は震災の犠牲・不明者が3,800人を超え、市町村単位では最大の人的被害を受けたエリアだ。
▼西光寺に到着した猊下11月5日(パユル)
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「ここに孤児はいるのですか?」「津波の時はどこにいたのですか?」

西光寺に到着した猊下は、境内で出迎えた人々にそう声を掛けながら参堂。この際に1人の園児を抱きしめた印象的なショットは、海外にも配信された。今回の被災地入りは国際的にも関心が高かったのだ。
▼参道で待っていた園児と11月5日(共同)
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「人生を強い決意で正しく生きて欲しい。その結果として必ず美しい町を再興することが出来ます」

犠牲者供養の読経に続く法話で、そう猊下は参列者に語りかけた。法要には大津波犠牲者の遺族ら約1,000人が招かれ、本堂はぎっしり埋まっていた。ハプニングが起きたのは、法話の途中だった。
▼西光寺での法話11月5日(時事)
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「外に出て皆さんと話したいのです」

突然のように、猊下は立ち上がって本堂から参道に歩み出た。西光寺の境内では本堂に入りきれなかった大勢の人々が、モニター越しで法話を聴いていたのだ。
▼本堂を出て境内の参列者と対面(法王代表部)
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被災者への熱いメッセージだった。猊下は4月末に都内で震災犠牲者の49日法要を営んだ時から、被災地訪問を切望。遺族らとの直接対話は、願いが実現した瞬間だった。

この日は「悲劇を克服する方法」の一例として、1959年の中共軍ラサ侵略についても触れた。関係者によると猊下が講話で自分の悲劇体験を語ることは珍しいと言う。

参考動画:YouTube『ダライ・ラマ法王石巻慰霊法要(日本語字幕付)』

また、西光寺の法要には石巻市の亀山市長も駆け付け、謝辞を述べた。行政トップが公式に対面するのは昭和42年の初来日以来、初めてのケースだ。今回の被災地入りは、異例尽くめで画期的だった。
▼ネーム入りの特製大漁旗が贈られた(時事)
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国内の報道姿勢も、おしなべて好意的で、3年前に頻発した邪悪な“中共フィルター”は皆無だった。だが、チベット本国で現在進行中の悲劇を組み合わせて報じられることはなかった。

【抗議の尼僧は灯油を飲んだ…】

「人間は絶望した状況でしか焼身自殺などしない。中国政府は過去60年に渡る少数民族の扱いを見直すべきだ」

11月4日に仙台市内で会見した猊下は、チベット東部で相次ぐ僧侶の焼身抗議に言及。離日直前に都内で開かれた7日の会見でも同様に、中共の弾圧を非難した。
▼都内での会見に臨む猊下11月7日(AFP)
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「文化的ジェノサイドが行われている。この15年、強権的な政策を取っており、人々は“文化大革命”が始まったようだと感じている」

再び訃報が届いたのは11月3日のことだった。チベット東部カム地方のタウで、尼僧が焼身抗議を行った。パルデン・チュツォ(Palden Choetso)さん、35歳。即死だったと見られる。

「灯油を全身に浴びただけではなかったのです」

目撃者の報告はショッキングだった。3日正午過ぎ、チョルテン(仏塔)の周囲に大勢が集まって儀式が行われていた最中、チュツォさんは灯油を飲み、そして自らに火を放ったという。
▼焼身抗議したチュツォさん(SFT)
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「法王猊下万歳、チベットに自由を」

火に包まれながら、チュツォさんは訴えて続けた。そして間もなく、言葉を発することは出来なくなり、代わりに、口からは炎が吹き出したと目撃者は語る。余りにも壮絶な最期だ。

チュツォさんは尼僧院に属していたが、遺体はタウ最大のニャツォ僧院に運び込まれた。遺体の強奪・隠滅を図る中共当局から守る為だ。悲劇の直後からチベット人は、当局との対決を強いられるのである。
▼衝撃情報は直ちにインドへ11月3日(パユル)
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焼身抗議の発生に気付いた当局は、やはり遺体の引き渡しを求め、僧院を包囲した。同時に町のチベット人も事態を知り、多くが僧院に参集。その際、町中でスローガンを叫ぶ住民も目撃されている。

一触即発、大規模弾圧の危機だ。現地からの情報が途絶えたことで不安が高まったが、RFAや人権団体は11月6日にチュツォさんの葬儀が行われたことを確認。葬儀の参加者は約1万人に上ったという。
▼チュツォさんを悼むチベット女性ら(AP通信)
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チベット住民や僧侶は3日間、チュツォさんの遺体を守り切ったのだ。だが、弾圧の危機は去っていない。当局側は尼僧院近くの映画館を占拠して前線基地を築くなど2000人規模の部隊が展開している。

8月にツェワン・ノルブさんが焼身抗議を行ったのがタウだ。ンガバと同じく、抗議と弾圧の悲劇的な連鎖が強く懸念される。終息の展望が開けない中、世界各地では抗議活動が激化しつつある。

【同時抗議…中共大使館突入に成功】

11月4日、デリーの中共大使館前で25歳のチベット青年が焼身抗議を行った。目撃者によると青年は単独行動で、路線バスから降りた直後、液体燃料を被り、自らに火を放ったという。
▼デリー焼身抗議の瞬間11月4日(ロイター)
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「各国の指導者と平和を愛する人々が、チベット問題の解決に向けて力添えしてくれることを私は乞い願います」

青年は抗議を行うにあたって遺書を綴っていた。幸い周囲の警官によって火は直ちに消し止められ、一命は取り留めたが、搬送先の病院の医師によると両脚に深刻な火傷を負った模様だ。
▼この後、火は消し止められたが…(AP通信)
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チベット人による焼身抗議は、98年にデリーで起きたトゥプテン・ゴドゥップさんの悲劇に遡る。中共に抗議するハンストが続く中、ゴドゥップさんは自らに火を放って絶命した。



当時、非常に衝撃的な出来事としてチベット世界に動揺を与えたものが、それが今年だけで11人に上っているのだ…絶望したチベット難民の間にも焼身抗議が波及する恐れがある。

一方、デリーの焼身抗議とほぼ同時刻、パリでは10数人のチベット人が中共大使館に突入した。11月4日午前3時、それは周辺の警備が最も手薄になる時間帯だった。



フランス人3人を含む約20人が密かに中共大使館に接近。そして数人が敷地内に入ると、建物の壁を登って雪山獅子旗を掲げた。間もなく拘束されたが、大成功だ。

この突入劇の2日前には、G20の舞台となった仏南部のカンヌに多国籍のチベット・サポーターが集結。主要国の介入を求める横断幕を駅の正面に掲げた。
▼カンヌ駅頭での抗議活動11月2日(SFT)
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「ASSEZ」とは英語の「Enough」だ。11月2日の世界同時アクション共通のスローガンで、和訳するなら「もう、たくさんだ」が近い。チベット弾圧を無視し続ける各国政府に向けた言葉である。

胡錦濤はG20参加のついでに周辺国も歴訪。屠殺鬼の行く先々でも抗議活動が行われた。だが、それを阻むように出現したのが中共の飼い犬軍団だった。
▼ウィーンのシナ人とチベット女性10月31日(ロイター)
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五星紅旗を握る屈強な男の横で、チベット人女性が警官に守られるケースも見られた。そして屠殺鬼がザルツブルグを訪れた際には、シナ人がチベット支援者らに襲いかかる事件も発生した。

負傷者など被害の詳細は不明だが、虐殺五輪をめぐる抗議頻発を境に、中共は赤い旗を付けた太い鉄パイプを各地のシナ人に持たせ、チベット支援者を迎撃するようになった。
▼ザルツブルグでシナ人が襲撃11月1日(AFP)
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海外での影響力を高める中共の黒い影。亡命先でも怯えなければならない。これは我が国を含め、諸外国で暮らすチベット難民にとって深刻な問題だ。

【猊下と安倍元首相の会談が実現】

グローバル・アクションが行われた日、チベットの新たな政治指導者ロブサン・センゲ首相は、ワシントンD.C.に居た。改めて米議会にチベット問題を訴えかける為に訪れたのだ。
▼D.C.で会見するセンゲ首相11月2日(AP通信)
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故トム・ラントス議員を顕彰して創設された人権委員会の公聴会には、センゲ首相と共にチベット人の高僧も証人として招かれた。キルティ僧院の管主キルティ・リンポチェである。

少々混乱するが、キルティ僧院はインドにもある。中共の侵略後、ンガバにあるキルティ僧院からは高僧が相次いで亡命。インド北部のマクロードガンジやダージリンに分院が創建されているのだ。
▼米公聴会で証言するリンポチェ11月3日(AFP)
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米公聴会でリンポチェは、文革時代から続くキルティ僧院の悲劇的な歴史と現在の凄惨な状況を淡々と証言。出席した議員から大きな反響を得ることが出来た。

「緊張を生み、独自の宗教や文化、言語などの脅威となっている」

米国政府の反応は早い。公聴会の翌日、米国務省のスポークスマンは連続する焼身抗議に強い懸念を表明。中共政権に改善を要求すると共に記者や外交官の入域を促していることを明らかにした。
▼ンガバ中心部に展開する弾圧部隊10月(AFP)
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一方、我が国でも意外な動きがあった。11月7日、法王猊下は都内のホテルで安倍元首相ら国会議員16人と会談。今回の被災地訪問に感謝の意を示した他、中共の民主化問題に関しても意見を交わした。

会談には長島昭久首相補佐官や渡辺周防衛副大臣も同席。政府高官と猊下と対面したケースは過去にもあったが、首相経験者で会談したのは安倍元首相が初めてだ。
▼会談を終えた猊下11月7日(阿比留記者)

「民主主義や基本的人権といった普遍的価値をアジアで広げるのが、私が展開した価値観外交だ。様々な働き掛けを行いたい。日本国民もチベット人の置かれた状況にもっと注意するよう私も努力していきたい」

猊下が北京への圧力を求めたのに対し、安倍元首相はそう答えた。9月に下村博文元官房副長官らが訪印したことが超党派での対面に繋がったという。今回の来日のフィナーレを飾るに相応しい会談だ。

いつもなら脊髄反射で発狂する中共だが、表面的には不気味に沈黙している。米議会の動きも含め、これで中共の治安部隊による大規模弾圧が止むとは考えられない。
▼マクロードガンジの抗議活動11月2日
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しかし、武装占領下のチベット人は今、深い絶望の中にある。せめても必要なのは、ひと筋の希望を照らす言葉だ。「世界は決して見捨てていない」という言葉だ。

有力な人権団体でも、高名なジャーナリストであっても難しい。希望を繋ぐメッセージを発信することが出来るのは、主要国の政治家だ。


  〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
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参考記事:
■RFA11月3日『Second Nun Dies in Protest』
■RFA11月6日『Thousands Gather over Nun's Death』
■パユル11月4日『Tibetan exile sets self on fire outside Chinese Embassy in Delhi』
■AFP11月4日『チベット仏教の尼僧が焼身自殺、今年11人目 中国』
■産経新聞11月5日『中国にチベット政策の改善要求 米報道官 僧侶らの焼身自殺相次ぐ』
■産経新聞11月5日『【緯度経度】ワシントン・古森義久 チベットへの弾圧、米議会が糾弾』

■時事通信11月7日『安倍元首相、ダライ・ラマと会談=長島補佐官ら同席』
■産経新聞11月7日『ダライ・ラマ14世が自民・安倍氏らと会談 中国に民主化への働き掛けを』

■読売新聞11月5日『ダライ・ラマ14世、石巻で「必ず再興できる」』
■朝日新聞11月5日『石巻・仙台の講話に計2000人』
■河北新報11月5日『ダライ・ラマ、石巻で慰霊法要 「心の痛み分かち合う」』
■時事通信11月4日『「少数民族の扱い、見直しを」=チベット僧焼身自殺でダライ・ラマ』

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