感銘深き初の被災地行幸啓…大震災の先に皇国が甦る

大震災から1ヵ月、天皇陛下が被災地に入られた。温かいお言葉は被災者のみならず全国民に感銘を与えている。ご皇族方も相次いで避難所をご訪問。「平成のご巡幸」が本格的に始まろうとしている。
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「これからもがんばっていきます」

障害で発声が不自由な男性は、そう記したメモ帳を手に持っていた。天皇陛下はメモの言葉をゆっくりと読み上げられ、皇后陛下は男性の手を握られて「しっかり、しっかり」と励まされた。
▼メモ帳を掲げた被災男性4月14日(NHK)
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男性は大震災で津波に襲われ、流木に掴まっている所を助けられた。避難所での生活は既に1ヵ月余り。男性の傍らにいた母親は、陛下のご慰問について、こう語る。

「温かい言葉を頂き、感謝でいっぱいです」

天皇陛下・皇后陛下におかれては4月14日、大震災で津波被害が広がった千葉県旭市を行幸啓され、市内2ヵ所の避難所を訪れられると共に、被災地にも入られた。
▼千葉・旭市にご到着4月14日(代表撮影)
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東日本大震災で初となる被災地ご訪問。天皇陛下・皇后陛下は市内沿岸部の飯岡地区でマイクロバスから降りられ、今も家屋が倒壊したままの被災地に立たれた。

旭市では13人が犠牲となった。天皇陛下・皇后陛下は、市長から説明を受けられると、犠牲者が出た自宅跡に向かって黙礼を捧げられた。また、被災エリアの住民にもお声をかけられた。
▼犠牲者を悼まれ、黙礼された4月14日(代表撮影)
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「本当によく来てくださいました。余震が続き不安だったが、元気が出ました」

お言葉を賜った女性は、そう感激する。天皇陛下・皇后陛下は避難所でも時には正座をされながら被災者ひとり一人を見舞われた。天皇陛下は車イスの男性に対し、見上げるようにしてお声をかけられたという。
▼避難所となっている公民館4月14日(代表撮影)
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「まさか陛下と話ができるとは思わなかった。ただ有り難い」

車イスで避難所生活を続ける男性は、感謝の意を表す。また皇后陛下におかれては、避難所の片隅に独りでいた足の不自由な女性に気付かれると、小走りで駆け寄って語りかけられる一幕もあった。
▼避難所の被災者を激励される4月14日(代表撮影)
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「住民が元の生活に戻るための元気が出る思いがした。被災現場で黙礼をして頂いたことにも感動しました」

旭市の明智市長も、天皇陛下・皇后陛下のお心遣いに感激を隠せない。3月末の避難所ご慰問に始まった震災の巡幸。大きな感動を呼んだのが、先週の埼玉行幸啓だった。

【度重なる移動…避難住民の感涙が物語る】

「震災後、辛いことばかりだったが、辛さが一気に吹き飛んだ。孫娘も中学校に入学し、一生忘れない特別な日になった」

励ましのお言葉を賜った女性は、感極まった様子でそう語る。天皇陛下・皇后陛下におかれては4月8日、マンモス避難所がある埼玉県加須市に行幸啓された。
▼避難所の旧県立高校をご訪問4月8日(代表撮影)
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同市の旧県立高校には、福島第1原発がある双葉町からの避難者1,400人が身を寄せている。双葉町は約7,000人の町民だけではなく、役場機能も町議会も避難を強いられている状態だ。

双葉町からの避難者は当初「さいたまアリーナ」で暮らしていたが、3月末に移動を余儀なくされた。地元の不安が続く中の相次ぐ移動。心労もピークに達する頃のご慰問で被災者の感激も一際大きかった。
▼被災男性にお声をかけられる4月8日(代表撮影)
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「とてもとても嬉しかった。一から頑張って行こうという気持ちになりました。先が見えない生活だが、また頑張ろうという気持ちが皆に広がった」

50代の女性は目を潤ませて語った。実に感動的なご訪問だった。天皇陛下・皇后陛下は約2時間に渡り、避難所の体育館を廻られたが、お言葉を賜って大粒の涙を流す被災者も多かったという。
▼避難所の児童と話される4月8日(代表撮影)
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「可愛らしいランドセルですね。お友達をたくさん作ってくださいね」

皇后陛下は、真新しいピンクのランドセルを背負った児童を励まされた。原発の北に位置する双葉町の住民は地元に戻る目処が立たず、避難所から近くの学校に転入する児童・生徒も多い。
▼児童にお声をかけられる4月8日(代表撮影)
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「町民はこれまで3回の移動を強いられ、大きな疲労がたまっていたが、両陛下に励まされて前向きな気持ちに変わったと思う」

双葉町の井戸川町長は、そう話す。行幸啓は事前に告知され、沿道で待ち受ける国民の姿も多く見られる。その中、天皇陛下・皇后陛下が急遽、被災者をご慰労されるサプライズがあった。

【皇居・東御苑、満開の桜の下】

大震災から1ヵ月を迎えた4月11日、天皇陛下・皇后陛下は、地震が発生した午後2時46分に合わせ、御所で黙祷された。サプライズが起きたのは、その日の午前中のことだった。

皇居・東御苑には、東京武道館で避難生活を送る被災者18人が招かれ、散策を楽しんでいた。そこに突然、お出ましになられたのだ。直接お言葉をかけられた被災者は、さぞ驚いたことだろう。
▼東御苑を散策する被災者4月8日(産経新聞)
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天皇陛下・皇后陛下は、ご公務の合間を縫われ、被災者を見舞われたという。宮内庁の「東御苑花だより」によると丁度、桜は満開。招かれていた被災者にとっては、またとない巡り遇わせになった。

「被災者に安らぎを提供したい」
▼東御苑の桜は満開だった4月8日(産経新聞)
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宮内庁は都内の避難所に暮らす被災者に向けて休園日の東御苑ツアーを都に提案。希望者を募り、4月8日には第一陣42人の被災者が東御苑を訪れた。

「地元を思い出します。皇居に来たのは初めて。今日は子供たちを自由に遊ばせてあげたい」

ツアーに参加した男性は、そう語る。この男性は福島県内から妻と子供2人を伴って避難してきた。避難所生活を初めてから家族で外出したのは、この時が初めてだったという。
▼東御苑を訪れた被災者第1陣4月8日(産経新聞)
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「宮内庁関連施設を役立ててもらえないか」

天皇陛下は先月、宮内庁の羽毛田長官に指示されていた。御用邸の開放や御料下賜に続き、被災者への温かいご配慮が窺える。同時に、ご皇族方の被災者ご慰問も始まっている。

【「だから私も頑張ります」と答えた】

「これまで堪えていたものが、話を聞いてもらってほぐれました」

福島県富岡町から避難している30代の女性は、涙を浮かべて答えた。皇太子殿下・雅子妃殿下は4月6日、被災者約130人が身を寄せる東京・調布市の味の素スタジアムをご訪問された。
▼被災女性にお声をかけられる4月6日(代表撮影)
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「体調が優れないのに、来て頂いた。すごく嬉しかった。だから私も『頑張ります』と言いました」

家族4人で避難生活を送る福島県浪江町の女性は、そう感激する。療養中の雅子妃殿下が「公的な活動」で外出されるのは昨年10月以来、およそ半年ぶりとなる。
▼避難所で被災者と語られる4月6日(代表撮影)
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「携帯電話しかないんですが、記念撮影してもよろしいですか」

そうした申し出にも快諾されたという。皇太子殿下・雅子妃殿下は、床に正座されて熱心に被災者の話に耳を傾けられ、1時間の滞在予定は2時間近くに延びた。

その翌日4月7日、秋篠宮殿下・紀子妃殿下は原発事故の避難者140人がいる東京ビッグサイトをご慰問。共用スペースでひとり一人にお声を掛けられた。
▼避難生活する子供達と話される4月7日(代表撮影)
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東京都は福島からの被災者を中心に計3ヵ所500人を受け入れているが、ご皇族が全てを巡られた。それを機に、千葉・旭市行幸啓など14日から都外の被災者お見舞いが始まった。

秋篠宮殿下・紀子妃殿下は4月14日、新潟県の長岡市・小千谷市に避難している被災者をご慰問された。いずれも原発事故で避難生活を強いられている福島県民だ。
▼長岡市内の避難所をご訪問4月14日(代表撮影)
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「両手で握手され、頑張って下さいと優しく声を掛けられて有り難かった」

そう話すのは双葉町から避難している女性だ。自宅が流されたことを語りながら涙を流し、紀子妃殿下がティッシュを差し出される場面もあった。
▼泣き崩れる男性を支えられた4月14日(ANN)
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参考動画:YouTube『秋篠宮ご夫妻が新潟に』(ANN)

ご皇族方の被災者・避難者ご慰問はすでに国民の感動を呼び覚ましているが、激甚被災地への本格的なご訪問は、これからだ。

【激甚被災地へ「平成のご巡幸」】

宮内庁の羽毛田長官は4月13日、天皇陛下・皇后陛下が5月にかけて東北地方を順次ご訪問されると発表した。14日の旭市行幸啓は、その第1弾だった。

天皇陛下・皇后陛下は4月22日、北茨城市の漁港を訪ねられるという。基準値を超える放射性物質の検出でコウナゴ漁が中断された港で、漁業関係者から話を聞かれる模様だ。
▼出漁を見合わせた茨城の漁港4月6日(産経新聞)
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次いで宮城・岩手・福島各県への行幸啓が予定されている。いずれも日帰り日程となり、現地の行在所(あんざいしょ)はないが、範囲は広く、正に「平成のご巡幸」とも言える。

天皇陛下におかれては、現地の受け入れ態勢も最小限に留められているように窺える。14日の被災地ご慰問でも市長のほか随行者は少数だった。
▼千葉・旭市飯岡地区の被災地4月14日(代表撮影)
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また住民が撮影した現地の動画を見ると、天皇陛下・皇后陛下の直ぐ近くを一般車両が普通に走行しているのが判る。かなり衝撃的だ…殆ど交通規制がなされていなかったと推測できる。



通常、地方の行幸啓では県警本部長らがキャリア人生を懸けて臨むが、今回、その様子は見受けられない。大名行列さながらに被災地を闊歩する政治家連中は即刻改めるべきだ。

「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」
▼埼玉・加須市で避難者を労われる4月8日(代表撮影)
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天皇陛下は、3月16日に発せられた震災の詔勅=平成の玉音放送で仰せられた。「私たち皆」と表現されたことを重く受け止める。そこでは政治家が言う「絆」も「オールジャパン」も虚しく響く。

戦後長らく忘れ去られていたが、それは大震災を機に多くの国民が直感するようになった。我が国は皇国なのだ。


  〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
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【Side Story】

■山際澄夫さんが南三陸町被災者への直接支援を呼び掛けられています。関東地方からはヤマト運輸の「宅急便」が翌日に届くとのことです。詳しくはHPをご参照下さい。

http://www.geocities.jp/s_yamagiwa2003/

現地で求められている物品は、女性物・嗜好品・レトルト食品などです。

■“皇室用語の基礎知識”では「巡幸」に「御」を付けることは誤りだそうです。しかしながら「昭和天皇のご巡幸」といった表現に親しんでいることから拙文では「ご巡幸」を使用します。

■ご皇族方の「公的な活動」はパチカメと同様にTVカメラでも代表撮影が行われ、各局にユニ映像が配信されます。ところが一般ニュースでは殆ど放映されません。週末のご皇室番組に少し期待します。

参考記事:
■産経新聞4月14日『両陛下が初めて被災地お見舞い「怖かったでしょう」「大丈夫ですか」』
■NHK4月14日『両陛下 被災地の旭市を訪問』
■時事通信4月14日『両陛下、被災地を初訪問=「頑張りましたね」千葉・旭市』
■毎日新聞4月14日『東日本大震災:天皇、皇后両陛下 千葉の被災地を初訪問』
■読売新聞4月14日『両陛下、旭市で津波の被害現場を視察』
■朝日新聞4月14日『両陛下、被災現場の前で黙礼 初の被災地入り、住民慰問』

■産経新聞4月11日『両陛下、御所で黙祷される』
■毎日新聞4月8日『福島の被災者らが皇居・東御苑散策 宮内庁企画』

■共同通信4月8日『天皇、皇后両陛下がお見舞い 加須市に集団避難の双葉町民』
■読売新聞4月8日『「つらさ 一気に吹き飛んだ」両陛下訪問』
■朝日新聞4月8日『両陛下、福島・双葉町民を慰問 埼玉の避難所で2時間』

■産経新聞4月7日『雅子さま、優しくお声かけ 皇太子ご夫妻、避難所ご訪問』
■時事通信4月14日『秋篠宮ご夫妻、避難所訪問=仮設住宅部品組み立て視察-新潟』
■産経新聞4月7日『秋篠宮ご夫妻が避難所ご訪問』
■共同通信4月7日『秋篠宮ご夫妻、避難者を激励 「体に気を付けて」』

■産経新聞4月7日『天皇、皇后両陛下、避難所歴訪へ…国民に勇気「精神的支柱」8日に加須ご訪問』

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