ビルマ・ラングーンの満月…長井記者射殺現場を歩く

約15年ぶりに訪れたラングーン。2007年9月、大規模抗議デモの最中に長井健司記者が撃たれた現場を見つめる。そこは見通しの良い交差点だった。なぜ、ここで?新たな疑問も生まれる。
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オートバイの走っていないアジアの大都市を他には知らない。国家によって輸入が厳しく規制されている為だ。僅かに見かけた大型二輪車は、軍政関係者か、強いコネクションを持つ者の所有物だという。

この国では、男も女もインド系もムスリムも、大半の人々がロンジーと呼ばれる筒状の腰巻きを身に着けている。
▼下半身を覆う布がロンジー
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約15年ぶりに訪れたビルマの首都ラングーンは、あまり変わらないように見受けられた。むしろ、ダウンタウン一帯に関しては、古ぼけた印象さえ覚えた。

10年程前にもビルマを再訪問しようと計画していた。しかし当時、一部の欧米人活動家らが「入国を拒否せよ」とのキャンペーンを続けていて、それに同調する形で入国を諦めた経緯があった。

問題視されていたのは、入国時の強制両替だった。外国人が入国する際は、300米ドルをFEC(外貨兌換券)に交換することが義務付けられていたのだ。この強制両替が「軍政への資金援助に他ならない」というのがキャンペーンの主旨だった。
▼ダウンタウンの路地を歩くロンジー姿の女性
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国外に持ち出せば紙切れになるFECは、かつて中共や北朝鮮も導入していたものだが、数年前に廃止。それにより、入国を自粛する理由がなくなり、約15年ぶりの再入国を果たした。3度目の入国である。

前回は約1ヵ月をかけて古都マンダレーや遺跡の町バガンなどを巡ったが、今回は僅か数日間、しかもラングーンのみの訪問だった。一瞬にしか過ぎない滞在で、ビルマの現状を論じる気は毛頭ない。
▼市内には英国植民地時代の建物が残る
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加えて、滞在したのはラングーンのダウンタウンにあるインド人街だ。余りにも特殊なエリアである。例えるなら六本木や新大久保を見て、我が国を評するようなものだろう。

けれども、目的の場所は、ラングーンのダウンタウンにあったのだ。

【日本人に限り入国を認めず…】

今回のビルマ入国は、極めて無計画とも言えるものだった。それは敵愾心に近いものがあったのかも知れない。

ビルマ入国には必ずビザが必要となる。在日本の大使館では簡単に取れるが、在バンコクのビルマ大使館では、日本人へのビザ発給拒絶が続いているとの情報が流れていた。

日本人のみNGなのである。

サベツだ、と半島人なら火病って国旗とかを燃やすかも知れないが、そこは冷静に、開館前から大使館のビザセクション建物前に並んでみた。すると、アッサリと観光ビザを獲得することが出来た。
▼ビルマ仏教の聖地・シュエダゴンパゴダ
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少し肩透かしである。調べた所では、最近になって緩和され、日本人にも他の外国人同様に発給するようになったようだ。

ビルマ・ビザは以前から申請用紙に職業を書き込む欄があった。これはジャーナリストの入国を制限する為の悪名高い措置なのだが、技術系であってもメディア関係者は拒絶。フォトグラファーもダメだという。

何か旅行テクニック的な話しだが、この制限措置が、日本政府の弱腰姿勢にも繋がってくる。何故、一時的にせよ在バンコクのビルマ大使館が日本人のみを入国NG対象にしたのか?

2007年の9月17日、ラングーン市内で起きた日本人ジャーナリスト・長井健司記者の射殺事件に直接関係している。

そして、約15年ぶりとなるビルマ再入国の直接の動機も、長井記者が凶弾に倒れた場所を、この眼で確かめることだった。

【長井記者射殺…惨劇の現場を探る】

バス料金の大幅値上げなどに端を発した小規模デモがビルマ各地で始まったのは、2007年8月中旬のことだった。いわゆるサフラン革命の始まりだ。その動きに対し、フンタ(軍事政権)側は、抗議の中心人物を相次ぎ拘束。事態は収拾するかに見えた。
▼僧侶による抗議活動2007年9月24日(ロイター)
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しかし、9月5日、抗議デモに参加していた僧侶が暴行を受けたことがターニング・ポイントとなり、9月23日にはラングーンで10万人を上回る大規模なデモに発展する。

別の取材でバンコクにいた長井健司記者が急遽、ビルマに入国したのは、その2日後の25日。そして、27日午後1時半過ぎ、ラングーンのダウンタウンを埋め尽くしたデモの撮影中に至近距離から被弾した。
▼銃撃され倒れる長井記者2007年9月(ロイター)
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当時の報道では「市中心部、スーレー・パゴダの近く」とあった。通りの名称まで伝えた記事は皆無だったと記憶する。スーレー・パゴダとは、ダウンタウンのランドマークでもある金色の仏塔だ。

長井記者が撃たれたのは、スーレーパゴダ北側のビルが建ち並ぶ区劃。場所を割り出す手掛かりとなるのは、撃たれた瞬間を捉えた複数の映像と写真だ。そこには中央分離帯のある大通りが映り込んでいた。
▼スーレー・パゴダ
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ダウンタウンで中央分離帯の設置された道は少なく、それがスーレー・パゴダから真北に延びる通りであることが判った。更に、一部の映像は歩道橋の上から撮影されていた。しかもアーチ状の飾りが付いた特徴的な歩道橋だ。

場所を探し当てるには、それだけで充分だった。

【露店が並ぶダウンタウン有数の繁華街】

迷彩服を纏った兵士に長井記者が射殺されたのは、市街地を東西に貫くアノーラタ通りとスーレー・パゴダ通りの交差点。そこは、商店が立ち並ぶ繁華街の真ん中だった。
▼長井記者が撃たれた現場近くの歩道
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当時の映像では、商店は軒並み鉄扉を降ろして閑散としていたが、日常生活を取り戻した現在は、歩道に露店が並び、絶え間なく市民が行き交っている。主要な交差点とあって交通量も多い。

まず、目印になった歩道橋に登り、さりげなく現場にレンズを向けた。正面には黄金に輝くスーレー・パゴダが聳えている。パゴダを撮影する振りをしながら、シャッターを切った。距離は40m以上。
▼バスの背後附近が該当する現場
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決定的な瞬間が撮影されたポイントでもある。当時と違って通りにはバスや乗用車が犇めいているが、オレンジ色の発電機や並木は変わりなく、そこにあった。

次いで、歩道橋を降りて路上から現場を伺う。反対側の歩道附近から撮影を続けていた時、露天商のインド系青年がこちらを見て微笑んでいるのが分かった。カメラの先には、外国人観光客が写すべきものなど何もない。何を意図して撮影しているのか、理解していたかも知れない。
▼反対側の歩道から捉えた現場附近
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ラングーン市民の多くが、2007年9月に、そこで何が起きたか知っている。とりわけ、現場で商売を営む者が知らないという事はないだろう。

当初は、ビデオ機能を使って現場をドリー(視点移動)撮影する予定だったが、車道の交通量も歩行者も多く、諦めざるを得なかった。また、交差点には交通警官も立っている。
▼銃撃現場附近の車道脇
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軍事国家で一般の警察官などは木っ端役人の類いである。しかし、ビルマには私服姿の厄介な連中が存在するのだ。撮影に先立って、ある市民から「注意するよう」警告を受けていた。

【観光客は気付かない真の監視社会】

軍政が支配するビルマの首都には、サフラン革命以降、グリーンの軍服を着た連中が街の至る所にいるようなイメージがあった。ところが、数日の滞在で軍服を見かけたのは僅かに2度だけで、しかも、その内の1人は自転車でヨロヨロ走っている軍人だった。

やや拍子抜けする思いである。だが、実際には複数の監視員が市内に配置されているという。そう証言したのは、観光客を案内して日銭を稼ぐ、俗に言う“日本語使い”の青年だ。

「市内のいたる所にいる」

彼は日本語で端的に語った。その監視員が2007年の秋から急増したものか否かは分からない。市街地を散策していても、監視を受けているような印象は全く受けなかったが、彼は「いっぱい居る」と断言する。
▼長閑なダウンタウンの屋台
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監視員とは何者なのか?

ビルマにはUSDA(連邦団結発展協会)という軍政翼賛組織が存在する。その数は公称で2000万人。ビルマの総人口が約5000万人なので、明らかに大袈裟な人数だが、各地に大量にいることは確かだ。

そしてUSDAの傘下には「スワンアーシン」と呼ばれる特別の治安維持・諜報担当グループが控えている。スワンアーシンは民兵組織とも言われるが、武装レベルや訓練など実体は不明だ。
▼市民を排除する兵士2007年9月26日(ロイター)
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だが、2007年のサフラン革命の際には、デモ鎮圧に加勢し、過剰な暴力を振るったことがリポートされている。また軍政側は、長井記者の遺体を運んだのもスワンアーシンである、と日本政府に公式文書で回答しているという。

イランのバシジや旧東独のシュタージのような強力な組織ではないにせよ、こうした市民監視システム・抑圧装置は、共産主義=全体主義国家特有のものだ。

ビルマの人々は実に穏やかで、観光客の評判も極めて高い国だが、国民を相互監視の恐怖に陥れる「裏の顔」があることを忘れてはならない。
▼武力鎮圧後の市街地2007年9月27日(ロイター)
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長井記者もビルマ入国後、カメラを手に取材を続ける過程で監視員と見られる男にマークされていた。恐らく、その男は下部組織スワンアーシンのメンバーではなく、情報局員などハイレベルな監視員だったとも考えられる。

そして指令の下、群衆の前で“狙い撃ち”されたのだ…

【見通しの良い交差点での発砲】

「10数m離れた場所から治安警察が撃ったものが、偶然、当たった」

長井記者射殺に関してビルマ軍政側は、そう説明していたが、事実は異なっていた。2年前に警視庁組織犯罪対策2課は、司法解剖の結果、1m以内の至近距離から撃たれたものと断定した。

■YouTube『Burma - Kenji Nagai』


映像で判る通り、間近にいた兵士が撃ったのである。また事件から約1年後、JNN『報道特集』は、デモ鎮圧部隊に出されていた命令書をスクープした。そこには、こう記されていた。

「カメラ、ビデオカメラ、録音機を使って記録している者は最重要射撃対象である」

一兵士は、指令を忠実に実行した模様だ。しかし、現場を訪れて新たな疑問も生まれた。なぜ、それが四方から見渡せる市内の中心部だったのか?

直ぐ近くには複数の細い路地がある。追い込んだ上で拘束することも出来た筈だ。
▼長井記者射殺現場近くの路地
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決定的な瞬間を撮影し、第92回ピューリッツァー賞(速報写真部門)を受賞したロイターのパキスタン人カメラマン、アドリース・ラティーフ氏。彼がカメラを構えた歩道橋の上にはデモを見守る複数の人がいて、同時に動画も撮影されていた。

各国のメディアで繰り返し流された映像である。到着した軍部隊も大勢の眼があったことを知っていたに違いない。更に、瞬間を捉えた別の映像も存在している。

【現場からは高層ホテルの窓が見えた】

■高層ホテルから撮影された映像


もうひとつの映像が、角度や高さから、交差点北側に位置する高層のトレーダース・ホテルの一室から撮影されたことは明らかだ。このホテルは高級アパートも兼ねていて長期滞在の外国人も多い。

ジャーナリストを徹底排除し、外国からの「眼」を避けていた軍政側は、なぜ、見通しの良い場所を射殺現場に選んだのか…長井記者は、非常に言葉は悪いが「見せしめの為に処刑」されたように思える。
▼左側の高層ビルがトレーダース・ホテル
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しかも、それが日本人記者だと知った上での凶行だ。

我が国の政府は、長井記者のビデオカメラやテープを含む全遺品の返還と事件の真相究明を求めているが、標的となった可能性に関しても追及すべきだ。

軍政側は長井記者の「死亡」について謝意は示しているものの、国営紙などは「観光ビザで入国し、取材活動を行った」などとして、射殺を正当化するかのような見解を発表している。これがフンタの素顔だ。
▼軍政が撮影した長井記者の遺品(DVB)
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一方、我が国の外務省サイドも、長井記者が身分を偽って査証を取得したことに引け目を感じ、弱腰になっているとも言われる。同様に、我が国の報道各社も軍政のジャーナリスト入国禁止令を素直に守り、潜入取材などを避けている模様だ。

無法な要求をしているのは軍政側だ。連中の身勝手な措置など順守する必要などない。嫌がる相手の懐に飛び込んで、事実を掘り起こしてこそ、ジャーナリズムの存在価値がある。

長井記者の悲劇から既に2年以上が経った現在、その非業の死は、闇に埋もれる危機にあるのだ。サフラン革命以降、情報が先細り傾向にあったビルマ情勢だが、昨年秋に、大きな動きがあった。

【虐殺犯・習近平が民主化進展と妄言】

「制裁は引き続き重要だが、関与か制裁かの選択は誤りで、2つを用いていく」

米国のクリントン国務長官は、昨年9月23日、ビルマ軍事政権との対話に踏み切る方針を表明した。制裁強化を訴え続けてきた前政権の政策を転換したもので、これを「実務的関与政策」と呼ぶ。

そして11月3日、キャンベル国務次官補が米高官としては14年ぶりにビルマを訪問。アウンサンスーチー女史や軍政幹部と会談し、「関係改善の用意」を表明した。
▼スーチー・キャンベル会談11月4日(AP通信)
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米国の対話政策への転換は、ビルマと北朝鮮の核連携問題がきっかけとも言われるが、真意は不明。またキャンベル次官補が、軍政の最高実力者タンシュエ議長と会談できずに帰国したことも謎だった。

だがキャンベル次官補の帰国後、アウンサンスーチー女史はタンシュエ議長に対し、それまでの強硬姿勢を転換する方針を手紙で伝えた他、NLD(国民民主連盟)の長老3人に引退を勧告するなど、大きな変化の兆しが相次いで出始めた。
▼NLD幹部らの集会1月4日(AP通信)
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何が起ころうとしているのか…ビルマでは年内に総選挙が予定され、国際社会が注目する中での水面下の動きだ。

各国の経済制裁によるビルマ軍事政権の孤立化は、中共支配を強める結果を招いただけとも指摘される。つい最近も、孤立化したネパールが、一瞬にして中共に呑み込まれたケースがあった。

我が国に土足で踏み込んだ習近平は、その足でビルマに赴き、タンシュエ議長と会談。関係の強化を約束した。2007年度と2009年度のジェノサイド首謀者の会話を少し紹介しよう。
▼ビルマに入国した習近平12月19日(AP通信)
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習近平「ミャンマー政府が進めている緩やかな民主化を嬉しく思います」

タンシュエ「中国は長く、私たちに支援を続けてくれた。限りなく感謝しています」

やはり屠殺鬼同士、ウマが合うようだが、習近平の口から「民主化」などというワードが出てくるのは、冗談にも程がある。中共では、市民の大量虐殺・不当拘束・拷問を「民主化」と言うらしい。
▼殺害後に遺棄された僧侶2007年(DVB)
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ちなみにHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)の最新リポートによると、ビルマではここ2年間で政治囚の数が2倍に膨れ上がり、2,100人以上が投獄されているという。

参考:HRW12月18日『逮捕は増加、総選挙を控えた今も政治囚は2,100人以上』

ビルマは、発展の遅れた最貧国と名指しされるが、実は豊かな土地に加え、天然ガスや鉱物などに恵まれた資源大国でもある。昨年10月には、雲南省に延びるパイプラインが着工し、将来的には年間10億ドルのマネーが中共から軍政に転がり込む計算だ。
▼富を独占するタンシュエ議長(AP通信)
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軍事政権の後ろ盾となっている中共が地球上に存在する限り、確かに経済制裁は効果が薄い。残念だが、他にフンタを揺さぶる手段は見当たらないのが現状である。

総選挙に前後して、米国は条件付きながらもビルマ軍事政権を容認する方向に動くのではないか…その場合、我が国の民主党政権も対米追従を打ち出すのは確実だ。

今年の晩春から初夏と見られていたビルマ総選挙だが、1月6日、軍政側は10月に行う方向で調整していることを明らかにした。

そこで私たちは、非道の軍事政権を国際社会が、なし崩し的に承認する過程を目の当たりにするかも知れない。すでにアジアは、全体主義の黒い霧に覆われ始めているのだ。


  〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
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【Side Story】

明けましておめでとうございます。

さりげなく復活しました。今年は「もっとコンパクトに」と心掛けていたもののナゼか、逆の方向に…長文失礼!

■以前までは、ヤンゴーンという中途半端な名称を用いていましたが、堂々と「ラングーン」と表記することに決めました。ついでに首都移転も認めません。「軍事政権の名付けたものには徹底反発する」という意気込みもあるんですが、バゲージタグに記された「RGN」の3文字に衝撃を受けたのが真相。
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IATAの空港コードにまで政治力は通用せず。某国のメディアよりマトモです。そう言えば、ホーチミン・シティも「SGN」(サイゴン)のままだったな。単に、システム的に変更が面倒なだけなのかも。

■バックパックを背負ってフラフラしている間に、まさか祖国では「國體護持」を本気で叫ばなければならない事態にまで陥っているとは…それに関しては後々、語るとして、昨年末に敢行された書籍の紹介です。

『イチローと村上春樹は、いつビートルズを聴いたのか』(PHP研究所 1300円)
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ご存知、西村幸祐さんの新刊。『撃論ムック』連載の「サブカルチャーから見た戦後精神史」が単行本になりました。音楽評論家で近代日本思想史の専門家でもある杉原志啓氏との対談集です。

スポーツを含む我が国の「戦後文化」を、現代の情報リテラシーに照射させながら、ふたつの知性が語り尽くしています。著名文化人の知られざるエピソードを明かされる一方、既存メディアが抱え持つ問題点にも言及。我が国で育まれた独自の文化を鋭い視点で解読しています。

『ゴジラと御真影』(オークラ出版 1,600円)
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『撃論ムック』連載コラム「知垢庵夜話」の但馬オサムさんの新刊です。「何ッ?」と、思わず書店で釘付けになる衝撃的なタイトル。内容もタイトル以上に刺激的で、円谷映画のヒミツから朝鮮進駐軍の悪業まで幅広い蘊蓄と愛国の見事なコラボレーションが完成しています。

ネタバらしは禁則事項ですが、第2章の1編「ウルトラセブンから考える日本民族」など、知ったかぶって誰かに懇々と解説してしまいそうな秘話連発です。

ここで緊急告知。

1月10日、上記2刊の御3方が勢揃いするトークライブが「新宿ロフト・プラスワン」で行われます。午後1時からスタートで、なんと2部構成。前回、満席となった阿佐ヶ谷でのライブは、3時間が一瞬に過ぎ去りましたが、今回はもっと長い時間を予定。スペシャルゲストの登場もあるとのことです。筆者も見に行きます。

当日券は2,000円。前売りは1,800円ですが、告知が遅過ぎたかな…前売り券の予約は、下記からどうぞ。返信メールが来た時点で予約が成立します。

『西村幸祐トークライブ「ああ言えば、こうゆう!」』

参考記事:
■DVB(ビルマ民主の声)2009年10月27日『Photos released of murdered Japanese journalist』
■ロイター2008年4月8日『長井さんを撮影したロイターのカメラマン、ピュリツァー賞受賞』
■ヒューマンライツ・ウォッチ『ビルマ弾圧の実態』(PDF)
■毎日新聞12月28日『世界を読む:スーチーさん解放へ 軍政とNLD、米仲介で歩み寄り』
■ジェトロ『ミャンマー
不透明さ増すミャンマー情勢:2010年総選挙に向けて』

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