河野洋平は13階段を昇れ…10年前の愚かなる弁明

10年前、有志議員が研究会に河野洋平を招き、問い質した。その時の河野の口から出た言葉は余りにも愚かしいものだった…後世に禍根を残さない為に今こそ談話を切り崩す必要がある。
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それは河野洋平という売国政治家の野心と下心に発していた…

決定的な資料もなく、ほぼ河野の主観で塗り固められた「河野売国談話」は、我が国を貶め、多大な不利益を与え続けている。

河野売国談話を国民有志の手で叩き潰し、撤回に追い込む作業は急務だ。

2007年度版の慰安婦策動が、これまでとは異なったスタイルで不気味な広がりを見せる中、よーめん氏と瀬戸弘幸氏が最前線に立って「白紙撤回」のムーブメントを開始された。

この国は少し変だ!よーめんのブログ6月16日『署名活動始めました!』
極右評論6月16日『河野談話の白紙撤回を求めて』

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↓署名はこちらからも
『河野談話.com』http://kounodanwa.com

筆者も実名で署名した。これは署名であると同時に、売国・反日勢力から我が国を守り抜く志を明かす決意表明だ。より多くの方が署名活動に参加し、具体的な声をあげることを望んでやまない。

河野売国談話が14年間も生き残って来たことは、取りも返さず、国を憂う人々の声が、メディアの表面上に現れず、敵に打撃を加えるに至らなかったことである。

いま必要なのは、反撃に転じる決意表明と、徹底的に迎撃する気概だ。それぞれが胸に深い思いを秘めていても、形にならなければ、敵陣に打撃を与えることは出来ない。

何よりも“実弾”を撃ち込むことに意味がある。

2007年6月14日…敵陣営を震撼させる一撃が放たれた。それは実に正鵠を射たものだった。

【THE FACTSの衝撃弾】

6月14日付けワシントン・ポスト紙に載った『THE FACTS』は、激しい反響を呼び起こし、広範に知られる出来事となった。

作曲家のすぎやまこういち氏や西村幸祐氏ら5人の「歴史事実委員会」メンバーが中心となった実現したものだ。それは米有力紙の1頁を割いて、慰安婦捏造ストーリーの真実を説き明かしただけに留まらない。
▽WP紙上の『THE FACTS』(AFP)
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多くの有志は既に内容を把握・理解されていると推察するが、重要なのは、この『THE FACTS』が“意見広告”ではなく、歴史的事実の羅列であることだ。

オピニオンと事実(FACT)は全く異なる。それぞれの“見解”の前に、まず歴史的な事実が存在する。慰安婦捏造ストーリーなど、知る由もなかった米国民らに、論議の土台となる基礎知識を投げ与えた…

筆頭に挙げるべき大きな意味は、そこにある。

さらに『THE FACTS』は、反日特ア国家にも激しい動揺をもたらした。

未だに挺身隊との区別がつかない韓国メディアはもちろん、『THE FACTS』は、反日総司令部である北京及びシナ全土に波紋を広げる事態となった。

『中南海の黄昏』6月15日付けエントリでの集計によれば、新聞TV通信社など、100近くの媒体に『THE FACTS』に関する記事が踊ったという。
▽関連記事の写真(中国新聞網)
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その内容は、攻撃的なトーンこそ低かったが、改めて記事の多さと中共メディアの脊髄反射ぶりに感嘆する。確実なリアクションが目に煮える形で現れたのだ。

放たれた弾は決して的を逸れることなく、正確に核心部を撃ち抜いていた…

【余りに稚拙な河野洋平の弁明】

マイク・ホンダが、いみじくも明かしたように、連中は何一つ明白な根拠を持っていない。未だにスモーキング・ガンを手にしていないのだ。論拠としているのは、あくまで河野売国談話だ。

93年の官房長官談話発表後、河野洋平は、調査過程や発言の主旨について殆ど口を閉ざしている。再三、産経新聞がインタビューを申し入れたものの、拒絶し続けているという。

徹底して逃げているのだ。
▽演説する河野洋平(全国町村会HPより)
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その中、ただ1回、河野洋平が吊るし上げにされたことがあった。

今から10年前の平成9年(1997年)6月17日。現在の中川昭一政調会長が代表を務める「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が、勉強会の“講師”として、河野洋平を招いて問い質した。

唯一とも言える河野洋平の弁明である。

河野洋平は直球をかわしつつ、のらりくらりと答弁しているが、問題の歴史的事実に関してはハッキリと、こう答えている。

「官房長官として外政審議室を奨励して、関係各省、それからたしか役所だけではなかったと思いますが、資料がありそうな場所は相当幅広く当たったことは事実でございます。

 そこで、あったか、なかったか、という問題になると、はっきりあったと言えるのは、慰安所がというものがあったということははっきりいたしました。

 慰安所というものがあって、なぜ慰安所をつくったかについてはいろいろ理由もあるわけですが、それは置くとして、慰安所というものがあって、そこに働く女性がいたということもはっきりしている」

(展転社『歴史教科書への疑問』427~428頁)
▽ベトナム首相演説時の河野洋平
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河野洋平は“従軍慰安婦”に関する公的資料捜索の大号令を命じていた。しかし、河野は「慰安所」に関する資料だけで嬉々としていたのだ…

最初から、この売国政治家は慰安婦問題の意味すら理解できていなかったようである。しかも、その認識は、第1次慰安婦策動が尻すぼみになった97年のものだ。

【談話を決定付けた「思える節」】

さらに河野洋平は、曖昧な答弁を続ける。

「そういう資料がなかったということは、資料がないんだからなかったんだ、と決められるかどうか。逆に言えば、資料がなかったのにあったと言えるかと言えば、これもまたその逆でございまして、言えることは、『資料がなかった』ということは事実としてはっきりさせておかなければならない」(前掲書429頁)

支離滅裂な論理展開で、自分でも何を言いいたいのか、よく解っていないようだ…「資料がなかった事実」は仕方なく認めている。ところが、その先があるのだ。

「ただし、資料はありませんでしたが、もろもろ様々な人たちの発言などを聞いてみると、やはりいろいろなことがあったのではないかと。全く非公式に、これはそう簡単なことではなかったのではないか、と思える節もある」(前掲書429頁)

最後は「思える節もある」だ…

つまり河野洋平は「思える節」を材料に、国家を代表する公式発言「河野売国談話」を発表したのだ。自分の主観的な思い込みから文章を作成させ、謝罪したのである。
▽河野洋平&温家宝
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それが我が国に、いかに禍根を残すことになったか、改めて今こそ問われるべきだろう。「河野売国談話」は、河野洋平本人の弁明によって、すでに自己崩壊している。

ちなみに河野を吊るし上げた「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、中山成彬会長(元文科相)に引き継がれ、現在も有志議員として反河野の急先鋒となっている。

展転社『歴史教科書への疑問』には当時のメンバーが多数登場。あの吉見義明を針のムシロに立たせたりしているが、改めて登場議員を眺めると、安倍内閣で登用されている人物が目立つ。
▽展転社『歴史教科書への疑問』
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河野洋平はその日の質疑のまとめで、聞き捨てならない発言をしている。

【買春ツアーと“従軍”を並べる妄論】

「私は最後に一言だけ申し上げますが、やはり日本は品格ある国づくりというものを目指すべきだというふうに思うんです。(略)

 せっかくここに出席させていただきましたから一言だけ申し上げれば、依然として例えば東南アジアに対する買春ツアーとか、そういうものがあると言われている。こういうことが言われる国というものはそんなにありません。

 私はそういう点についても我々はもう少し深刻に考える必要があるのではないかと」
(前掲書446頁)

河野洋平の頭の中で“従軍慰安婦”と、買春ツアーは並列して論じられるテーマのようだ。「次元が違う」というレベルではなく、この男が慰安婦論議の本質をまったく理解してなかったことが分かる。
▽売国奴トリオ
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もっとも河野洋平にとって、慰安婦の真偽など端から問題ではなかった。無理やり、官房長官という立場を利用して、我が国を貶めることが出来れば、それで満足だった…

河野売国談話は巧妙に仕掛けられた反日策動に呼応するもので、 情報戦としての位置付けが最も重要だ。その背景には未だ多岐に渡る問題が仕舞い込まれている。

しかし、上記の平成9年に行なわれた本人の弁明は、河野洋平という大物媚中政治家の愚かさを如実に明かすものだろう。この男は自分が犯した罪の重さを未だに認めていない。それが大問題だ。
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本当に愚かしく、罪深い…

河野洋平は13階段を昇れ。

自ら昇る意思も覚悟もないのであれば、国民有志の手で、階段の前まで引き摺り出す必要がある。


     〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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