奉祝!皇紀2667年 紀元節…皇国1万年の地層

皇紀2667年。神武天皇を神話のひと幕とする歴史観がある一方、縄文から連綿と続く謎の王朝も見え隠れする。皇国の原型は古い列島の地層から立ち現れたものではないか…
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インドネシアの首都ジャカルタのムルデカ広場に聳え立つ高さ137メートルの独立記念塔。その中に納められた独立宣言書には、不思議な日付が記されている。

「05年8月17日」

この宣言書はインドネシア独立の英雄スカルノ(初代大統領)とハッタ(初代副大統領)の2人が、我が国の敗戦直後に署名したものだ。

昭和20年(1945年)の8月である。
▽インドネシア独立記念塔(monas)
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2人の英雄が記した「05」という年号は、皇紀2605年に因んだものであった。ポツダム宣言受諾後の我が軍が押し付けたものではなく、2人が自ら記したものだ。

現在でも、この宣言書はインドネシア独立の決意を示した国宝級の文書として大切に保管されている。

奉祝! 
2月11日 紀元節
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本年は皇紀2667年。西暦に660を加えると皇紀となる。

今年も紀元節にあわせて全国各地で奉祝式典が執り行なわれる。中曽根内閣発足後から続いていた政府主催の「建国記念の日の国民式典」は昨年から中止になったが、国民の自発的な奉祝式典は変わりなく開催される。

都内では「紀元節奉祝式典実行委員会」による式典が永田町・星陵会館で行われる他、神社本庁内「日本の建国を祝う会」が明治神宮会館で式典を催す。また、各地の神社でも紀元祭が執り行なわれる。

その中心に位置するのが、奈良の橿原神宮(かしはらじんぐう)だ。

特徴的な美しい神宮である。
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橿原神宮は、神武天皇・皇后を御祭神とし、明治23年に官弊大社として御創建された。国家が造り上げたかのような自虐史観の嘘が喧伝されているが、実際は違う。

民間有志の声の高まりを経て、明治天皇の御聖断によって元京都御所の神嘉殿などが下賜され、鎮座することとなった。

その場所は、東遷の途に赴いた神武天皇が、中津国を平定、畝傍(うねび)の橿原の宮にて即位の礼をあげた故事にちなんでいる。まさに国の礎が築かれた宮址である。

多くの神社が高台に築かれているが、橿原神宮の特徴は、畝傍山を借景とした平かな地に鎮座していることだろう。
▽畝傍山(奈良県HPより)
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畝傍山は、天香具山・耳成山と共に万葉集に登場する大和三山のひとつだ。

明治天皇の御製も残されている。

橿原の 宮のおきてに もとづきて
わが日本(ひのもと)の 国をたおたむ


我が国の長い伝統と高い文化性が、神武天皇ご即位の宮址に見られる。

【神話を超越した縄文期の発見】

神武天皇は神と人を結ぶ初代天皇とされる。イザナミ・イザナギ神より天照大神…その6代のちが神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、即ち神武天皇となる。

戦後、唯物史観が幅を利かす中で、神武天皇以降9代は「神話の中の天皇」とする見方が定着しているようだが、それこそイマジネーションに欠けた歴史観だ。

神武天皇の父君・鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)に、日本古代史を解く鍵があるように感じられる…

まず、この20数年で青森の三内丸遺跡群など縄文遺跡の発掘が各地で相次ぎ、弥生以前の列島の姿が再検証され始めている。文明レベルの劣った縄文人が、高度な文化を誇る弥生人に征服された、といった構図では決してなかったようだ。

縄文人は適当に石を砕いて石器を造っていたのではなく、砕いた石を鋭く磨き上げていた。いわゆる新石器時代人だ。

古代オリエントで新石器時代がスタートしたのは8,000年前だが、日本列島でもほぼ同時期か、それ以前に新石器時代に突入していた。

弥生時代のシンボルでもあった高床式倉庫の跡も青森・三内丸遺跡で発掘され、周辺では環状配石墓(ストーンサークル)も見つかっている。
▽復元された6柱建造物(奥羽日報)
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弥生と縄文の間には大きな文化的格差があったという歴史観が崩れてきているようだ。そこでは「征服王朝」という考え方も立ち往生せざるを得ない。

弥生時代とは、縄文人の造った社会インフラの上に乗っかった可能性が否定できないのだ。縄文人とは氷河期(第4氷期)の終わった1万年以上前から日本列島で暮らしてきた人々である…

そこで、なぜ鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)にこだわるのか?

【奇書に描かれた幻のウガヤ王朝】

神武天皇は『古事記』『日本書紀』に描かれている古代の天皇だが、我が国にはそれ以外の歴史を記したとされる古文書が多数存在している。

東北の古代王朝の姿を描いた『東日流外三郡誌』や天照大神を男性神とする『秀真伝』など、いわゆる偽書・奇書の類いだ。近代に編纂されたことが明らかな書も多く、冥王星が登場するような単純ミスも見られる…

アカデミズムの世界では、これらの超古代奇書に触れた瞬間、笑い者にされ、学者としては一巻の終わりだそうだ。

筆者は以前、古神道に興味を惹かれ、古代奇書に関する解説本を読み漁った経験がある。そこに頻繁に登場するのが「幻のウガヤ王朝」だった。
▽神代からの系譜(ウィキペディアより)
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神武天皇に連なる鵜葺草葺不合命は『古事記』『日本書紀』では1代だが、複数の超古代奇書が、ウガヤ王朝が存在した伝えているという。しかも半端な長さではない。

『九鬼(くがみ)文書』…73代
『竹内文書』…73代
『富士宮下文書』…76代
『上記(うえつふみ)』…72代

額面通り受け取ると、ウガヤ王朝は1,200年以上も続いた計算になる。王朝の成立は実に紀元前1800年から2000年…

まさに伝奇ロマンの世界だが、それぞれの古史文書には、記紀に迫る壮大なスケールで「国生み」の物語が描かれている。『九鬼文書』などは全30巻以上だ。

こうした奇書を笑い飛ばすのは簡単だが、誰が何の利益があって膨大なエネルギーをそこに注ぎ込んだのか…不思議でならない。理屈では考えられない程、気が遠くなる作業だ。

『大東亜戦争肯定論』で知られる作家・林房雄は『神武天皇実在論』の中で、このウガヤ王朝の存在を強く主張したという。

ウガヤ王朝の謎に取り憑かれると、反作用として、続く神武天皇は神話の世界から飛び出し、具体的な歴史上の古代王として鮮明な姿を現す。

林房雄は、ウガヤ王朝を語ると同時に、神武紀元より更に遡る国体の連続性を見つめようと考えていたのではないか?

縄文期の高い文明レベルが判明しつつある現在、その方向は間違いではなかったろう。

【1万年の列島史に刻まれた祭祀王】

「幻のウガヤ王朝」の有無とは別に、天皇誕生には、記紀が示す時代よりも古い地層の叡智が秘められているように思える。古代天皇は、縄文時代の文化を背景に、日本列島に立ち現れたものと想像できるのだ。

「天皇」は世界でも類例のない、祭祀王=プリーストキングである。もとからシャーマニックな存在だった。

それは、神武年代に突然成立したものではなく、縄文期から発展してきたものと考える方が自然だ。つまり渡来文化との接触以前に形成された宗教的な価値観に根ざしているのではないだろうか。

天長節のエントリでも拙く説いたが、国体とは、この日本列島に育まれた文化・文明の根幹と密接に関係し、表層的なイデオロギーによって駆逐されるようなものではない。

わが国体は、1万年の地層の上に聳えている。列島の四季に寄り添って生きた人々の知恵の結晶だ。

皇紀はGHQの日本弱体化戦略によって、戦後、政府機関などが公に用いることを禁じられた。同時に、紀元節も廃止の憂き目に遭った。

それでも多くの国民の熱意を受け、昭和41年に「建国記念の日」として復活を遂げている。

国生み神話や記紀の伝承が、こよなく愛されている証拠だ。

比較するのは少々酷だが、韓国は一時、“檀君紀元”の使用を提唱。1911年に編纂された『桓檀古記』に基づき、西暦紀元前2333年を檀君紀元1年としたのだが、とっくに廃れてしまったようだ。

中共では、学者が黄帝の誕生年を出発点とする“黄帝紀元”を提唱しているようだが、見向きもされていない。そう言えば北朝鮮も独自の“主体年”を提唱していた…

元号との兼ね合いもあって、現在では皇紀が用いられる場面は少なくなった。しかし、記紀のような体系的な史書に基づく固有の紀元があることを誇りに感じる。

皇紀…
実に美しい響きだ。

そこには、建国の物語ばかりか、遥か昔から続く人々の祈りの風景が包みこまれているように思える。

       〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考情報:
紀元節奉祝式典実行委員会

参考文献:
上田篤著『1万年の天皇』(文春新書)
田中勝也著『異端日本古代史書の謎』(大和書房)

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