吉田清治とKCIAの固い絆…消息絶った朝日捏造特派員

吉田清治を操った「半島の組織」とはKCIAだった。実の息子と元刑事が明かす真実。そして衝撃スクープの先に、反日謀略を仕掛けた工作員記者の姿が浮かび上がる。
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「世界中の慰安婦像をクレーン車で撤去したい。父の過ちを糾したい、少しでも罪滅ぼしをしたい、そういう気持ちから、私の知りうることをすべてお話しします」

重い口を開いたのは、吉田清治の長男だ。ジャーナリスト・大高未貴さんが『新潮45』9月号で発表したスクープ記事。そこには、想像を絶する慰安婦捏造事件の舞台裏が明かされていた。
▽驚愕スクープ掲載の『新潮45』9月号
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“世紀の詐話師”吉田清治こと吉田雄兎とは何者なのか…重用した捏造紙が社葬で封印し、シラを切り通す中、大高さんは関東北部でひっそり暮らす長男のロングインタビューに成功した。

「平成九年の段階でなぜ父親に直接取材をしに来なかったのか。その時に真相を究明していれば少しでも慰安婦報道の歪みが正されていたのではと思います」(『新潮45』’16年9月号73頁)

捏造紙が慰安婦捏造でロジックを組み直したのが平成9年だ。“吉田証言”について「真偽未確認」としながらも過去記事の訂正・謝罪を拒否。議論の余地を残す形で吉田の小説を意図的に延命させた。
▽吉田清治こと吉田雄兎(読売)
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インタビューに応じた長男は、吉田清治が養子に迎え入れた4歳年下の朝鮮人・李禎郁ではない。今回の取材で李禎郁は昭和23年に吉田家の籍から抜けていることが明らかになった。

週刊新潮は2年前、吉田の実の息子2人がモスクワ留学の経験者だと報じた。昭和40年代の異例の兄弟ソ連留学だが、これは事実で、モスクワ大から更に別の大学に進学したという。
▽留学当時のモスクワ大学(file)
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「ソ連留学は総評が橋渡しをしていて旅費も生活費も全部無料。それで試験を受けてみたら受かった」(前掲誌64頁)

手引きしたのは、総評議長の太田薫。吉田清治が直談判して推薦が決まったという。当時の吉田清治はセメント会社寮の住み込み管理人だったが、日本最大の労組のドンが特別扱いする別の顔も持っていたのだ。

ちなみに太田薫は長男のソ連留学と同時期の1965年に「レーニン平和賞」を授賞している。今の孔子平和賞と同じく、その“名誉”は太田薫がコミンテルンの飼い犬だったことを証明している。
▽総評議長・太田薫(wiki)
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大高さんの取材では、このモスクワ留学を背景に驚愕の事実が暴かれる。

【ウソ証言を支えたKCIAマネー】

父・吉田雄兎が失業したことで長男は帰国を余儀なくされたという。北九州で板金工の職に就いた後、一家で横浜に移り住む。そこで予想を超えた出会いが待っていた…

「公安警察の方から、日ソ合弁の船会社で働かないかという話があったんです」(前掲誌65頁)

そして、長男は就職した「東洋共同海運」で、重要書類の写しを確保する作業に加えて「公にできない活動」も行っていたと明かす。単なる情報提供者ではなく、完全なスパイだ。
▽長男インタビューに成功したスクープ記事(ZAKZAK)
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「俄かに信じがたい話」と大高さんも驚いたが、長男をヘッドハンティングした神奈川県警の元刑事に辿り着き、ウラを取る。この刑事は潜入工作をきっかけに、その後も長男と親しい関係にあったという。

「東芝のパーツ工場にソ連の大学を卒業した人物がいるという情報が入ってきて、会いに行きました」(前掲誌65頁)

昭和51年の出来事である。ソ連留学生は希少で、公安がマークしていたことは当然だ。そして長男の就活から4年後、警察署に吉田雄兎が突然訪ねてきた。刑事はその時が初対面だった。
▽笑顔でTBS出演の吉田雄兎
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「実はある人から、『お前の息子たち兄弟は敵国であるソ連のために働いていてけしからん。こういう状況ではこれまで進めたこと、これから進めることにあんたは参加できなくなる』(略)と言われました」(前掲誌67頁)

吉田雄兎は、とある組織から息子を日ソ合弁会社から退職させるよう迫られ、刑事に仲裁を求めたのだった。「これまで進めたこと」とは何か? 刑事は吉田の身勝手な行動に憤り、鋭く詰問したという。

「あなたにそう言うのはどんな組織の人なんですかと聞いたら、口ごもっていましたが、やがて半島の人ですと言いました。半島と言っても二つあるから、どちらですか、と重ねて問うと、韓国です。と。実は私は聞いた時からKCIAだと思っていました」(前掲誌67頁)
▽KCIA本部とされる施設(file)
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刑事は口を割らせようとしたが、吉田は最後まで「ある組織」としか言わなかったという。一方、「2~3人に監視され、自由に行動できない」とも明かす。なぜ言いなりになるのか…と刑事は聞いた。

「若干、お金を借りています。(略)ちょっと困った様子を見せたら、これを使いなさいと渡されました。三〇万円くらいです。私がいまやっていることについて、その人たちはいろいろと教示してくれます」(前掲誌68頁)

そう刑事に話したのは、吉田雄兎が小説第2作『私の戦争犯罪』を上梓する3年前のことだった。「これから進めること」
の意味は解けたも同然だ。

【民潭系組織会長=吉田清治の誕生】

朝日新聞が上層部が“謝罪会見”で居直った年の秋、吉田雄兎がかつて住んでいたとされる都内・品川区のマンションを訪ねた。管理人の男性は、薄気味悪いことを言う。

「変ですね。そんな部屋はありませんよ」

朝日新聞に記された部屋番号は存在しないという。驚いたのは「消えた部屋」ではなく、吉田の昔の住まいがJR目黒駅から徒歩2分圏内の高級マンションだったことだ。
▽目黒駅前の旧自宅マンション(撮影筆者)
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「父が勝手に不動産屋に言って決めてきました。それまでは家賃四万円くらいだったのが、一二万円くらいになった」(前掲誌70頁)

大高さんの取材に、長男はそう答えた。吉田は処女作の小説を出したものの全く売れず、家賃は長男が負担した模様だ。しかし、預貯金も少ないはずの吉田雄兎は、こう豪語した。

「父は五〇〇万円、一〇〇〇万円はすぐ入るから心配しなくていい、家賃どころか過去のお前に掛けた苦労は全部返すから、と言った」(前掲誌70頁)
▽昭和58年当時の吉田雄兎(FNN)
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時期は小説第2作発刊の直前、昭和58年の春から初夏にかけてだ。刑事に「組織による援助」を打ち明けてから3年。吉田の資金源がKCIA(現・国情院)だったことは明白である。

吉田清治=KCIA工作員説について昨年3月のエントリで提唱した。重複するので詳細な説明は避けるが、筆者がKCIAの関与を確信したのは、高級マンションに転入した後の南鮮訪問だった。

参照:H27年3月24日『吉田清治と踊ったKCIA…民潭の“強制連行”覚書』

まだ「反共法」が効力を保っていた80年代前半、日本共産党のエリート党員だった吉田が南鮮に入国することは不可能。国立墓地内に署名入りの捏造碑を建てるなど夢のまた夢だ。
▽国立墓地にある吉田の捏造碑(file)
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それを実現するには、南鮮の政府機関が入国の「お墨付き」を与えるしかなかった。ただし、複数いた吉田の監視者が全て本国から送り込まれたKCIAエージェントとは限らない。

KCIA工作員の手下として動いていたのは、民潭構成員だ。この時期、吉田は民潭直系の「在日本大韓民国婦人会」と覚書を交わし、“強制連行”のプロパガンダを拡散する組織の会長にも祭り上げられていた。
▽国会質疑にも登場した吉田清治
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参照:第102回国会衆議院予算委員会第1分科会議録(PDF)(26頁に吉田登場)

南鮮の諜報機関と民潭は今も昔も不可分の関係だ。民潭系組織の会長職という履歴からKCIAの関与はある程度推測できたが、今回、大高さんの取材で「半島の組織」という自供が確認されたことは大きい。

そして、このKCIA関与は朝日新聞に飛び火する。

【特別待遇を知るソウル特派員】

吉田雄兎の長男にとって、実父と外国諜報機関の関係は寝耳に水だったようだ。豪語していた大金も実際、振り込まれなかった。だが、父の存命中、ひどく不可解に感じた経験があった。

「韓国から戻ってきた後、父のパスポートを見てびっくりした記憶があります。日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない」(前掲誌71頁)

高級マンション転入から約半年後の昭和58年12月、吉田雄兎は捏造碑の落成式典で土下座パフォーマンスを演じるために南鮮を訪れた。小説では短期滞在した朝鮮半島だが、実際は初めての半島入りだ。
▽南鮮の土下座パフォーマンス(捏造紙)
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「なぜかと聞いたら、韓国の空港につくやいなや韓国政府の人がやってきて特別室に案内され、そのままソウルの街に出たんだそうです」

VIP待遇を超えたエージェント待遇。問題は、この異例で異様な南鮮側の対応を間近で見て知っていた記者がいたことだ。当時、朝日新聞ソウル支局にいた清田治史である。

清田治史は、吉田清治を本格デビューさせ、繰り返し紙面に登場させた慰安婦捏造事件の主犯だ。初の南鮮入り前には前打ち記事を掲載させ、「ひと」欄でも紹介するなどゴリ押しした。
▽’83年11月10日付朝日新聞「ひと」欄
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吉田の土下座パフォーマンスに密着し、清田治史は写真入り6段の大きな記事も書いた。出迎えで空港に居たなら、消えた吉田に慌てただろうが、清田治史は吉田とKCIAの関係を知り尽くしていた。

それだけでは済まない。KCIAと民潭の主導する慰安婦&強制連行捏造に直接関与していたのが、清田治史だ。朝日新聞と南鮮政府の「対立激化~手打ち劇」についても昨年春のエントリで推理・追跡した。

参照:H27年4月17日『朝日新聞ソウル捏造特派員…KCIAと組んだ反日謀略』
▽吉田関連捏造記事の執筆者・清田治史(file)
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吉田清治こと吉田雄兎は16年前に世を去った。KCIAの工作活動について直接知る人物は限られる。その中で清田治史は、慰安婦捏造事件の全貌を知る数少ない生き残りだ。

【捏造主犯格の行方を誰も知らない】

「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」

2年前の朝日“吉田社葬”直後、清田治史は週刊文春の直撃取材に、そう答えた。捏造紙もデビュー記事の執筆者を清田治史と説明したが、一転翻し、「昔なので誰が書いたか不明」とシラを切る。

記事を清田が執筆し、南鮮から送稿したことはダブー中のタブーなのだ。それは朝日新聞が南鮮情報機関とタッグを組んで捏造プロパガンダを拡散していたという黒い舞台裏を暴き出してしまう…
▽本格デビューとなる問題の記事
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文春の取材で記事執筆を認めた直後、清田治史は勤務先の帝塚山学院大を辞職。その後、公の場から完全に姿を消して早くも2年が経つ。捏造報道の最重要人物は雲隠れしたままなのだ。

今年4月末、捏造紙の元大幹部・若宮啓文が北京で客死した。ソウルから北京に入った日の夜、ホテルの風呂場で急死したという。約2週間後に発売された週刊誌で未亡人が明かした死因は衝撃的だった。

「今もよくわかりません」(週刊新潮5月19日号)
▽死因不明とされた若宮啓文(FNN)
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若宮の謎めいた最期を知ると、次いで清田治史の身の安全が気懸りになる。清田は昭和57年夏、若宮と入れ替わる形で南鮮・延世大学に留学した。KCIAが育てた捏造紙2代目の反日工作員だ。

同じく延世大に籍を置いた後輩の捏造魔・植村隆は、海外巡業も含む講演活動に励み、スラップ訴訟を繰り返す。これは捏造紙上層部が清田を隠す目的で仕掛けた一種の陽動作戦なのではないか。
▽インタビューに答える植村隆27年9月(産経)
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捏造慰安婦事件の核心を知るのは、清田治史である。果たして今も関西エリアに居住しているのか…史上最大規模の報道犯罪を実行したにも拘らず、誰からも追跡されず、長い沈黙が続く。

晩年の吉田雄兎は、世間との交流も乏しく、ひっそりと息を引き取った。ミステリアスなのは、“唯一の加害証言者”として脚光を浴びながら、その死が10年以上も判明しなかったことだ。
▽2年以上消息不明の清田治史(file)
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何らかの力に守られ、吉田清治として生かされていたようにも見える。しかし、清田治史が同じコースを歩み、その存在が曖昧になることは許されない。




最後まで読んで頂き有り難うございます
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【side story】

『新潮45』の最新号(10月号)発売の受けて、エントリを立てました。書店に雑誌が並んでいる間は、細かい内容の引用は避けるのがマナーと思って自粛。

大高未貴さんの記事は全18ページに及ぶ大ボリュームで、紹介しきれなかった驚愕証言や李禎郁のその後など盛りだくさん。慰安婦捏造最新研究の1級資料・永久保存版です。興味のある方は書店系サイトでお求めください。

☆取材裏話的な事柄を大高さん本人が明かしています。(音声のみ)↓


参考記事:
□ZAKZAK8月23日『慰安婦“捏造”吉田氏の長男が真相激白「父は誤った歴史を作り出した」』

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この記事へのコメント

政界ウォッチャー三十年
2016年09月26日 10:23
なかなか、読みどころたっぷりなブログありがとうございます、よろしければリンクか引用の許可をおねがいもうしあげますhttp://otokogumdoronikazu0000000.blog.jp/

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