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zoom RSS 珊瑚と月と御英霊の島…宝物になったパラオ行幸啓

<<   作成日時 : 2015/04/11 19:09   >>

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太平洋に浮かぶ奇蹟の親日国。美しい珊瑚礁に囲まれた島には、我が軍の英雄的な戦いの跡が残る。並んで翻る日章旗と月章旗…パラオ行幸啓は両国民に鮮烈な印象を与えた。
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「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」

昭和57年に再建されたペリリュー神社には、そう刻まれた石碑が立つ。米太平洋艦隊最高司令官チェスター・ニミッツの言葉。一節の詩のように胸に刺さる。
▽境内にある石碑(file)
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評論家の西部邁さんによると、この一節はギリシャ北部にある古い碑の文と似ているという。それは古代ペルシャの大王クセルクセスが敵スパルタ軍の奮闘に感激して詠んだ詩とされるものだ。

最古の歴史家・ヘロドトスが大著『歴史』で特筆したテルモピュライの戦い。紀元前480年、僅か300人のスパルタ軍は、数百倍ものペルシャの軍勢と善戦し、そして総員が玉砕したと伝わっている。
▽有志が再建したペリリュー神社(読売)
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ニミッツ元帥は、我が軍を伝説のスパルタ軍と重ねた。光栄である。けれどもペリリュー島の戦いは、戦後日本人があまねく知るに至らなかった。私たちは、“小さなヘロドトス”すら持ち得なかったのだ…

「本当に長いこと御苦労さまでした」

天皇陛下・皇后陛下におかれては3月22日、御所に2人の皇軍兵士を招かれ、ねぎらいのお言葉をかけられた。参内したのは、元海軍上等水兵の土田喜代一さんと元陸軍軍曹の永井敬司さんだ。
▽参内した元皇軍兵士3月22日(宮内庁)
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「島では宮城の方向を向いて飯を食べることもあった。これ以上の光栄はない」

土田さんは感激した様子で、そう話した。2人は「生還兵」と紹介されていたが、武装解除に応じたのは昭和22年4月のことだった。通信が途絶える中、終戦後も長く洞窟に潜み、戦いを続けていた…
▽監視哨の内壁に残された言葉(読売)
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痛感する。ペリリュー島の戦いについて、麗しき親日国パラオについて、知らなかった事柄が余りにも多い。今回のパラオ行幸啓は、それらをくっきりと浮かび上がらせた。

【日章旗と月章旗は睦まじく】

「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲ばれます」

ご出発直前、天皇陛下は、お見送りのご皇族方や政府関係者らを前に、そう語られた。故郷から遠く離れた地で散華された御英霊を悼み、称える大御心。大きな意味を持つ、格別な行幸啓だ。
▽羽田空港での送迎式4月8日(代表)
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昨秋の正式発表から8ヵ月、現地ではレメンゲサウ大統領立会いの元で大掛かりなご遺骨収集が始まった他、御料車のルートとなる道路の再整備など準備が進んでいた。
▽日本・パラオ友好橋の準備4月6日(産経)
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4月8日午後4時過ぎ、天皇陛下・皇后陛下は、パラオ国際空港に到着された。20年越しのご希望が叶った瞬間。空港では、両国の国旗を手にした子供達の姿があった。
▽空港で出迎える子供たち4月8日(代表)
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日の丸を模したデザインのパラオ国旗は、以前は「青海満月旗」と表現されていたが、最近では親しみを込めて「月章旗」と呼ばれているようだ。日章旗と月章旗…それは両国の近しい関係を象徴している。

「この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します」
▽パラオ政府主催晩餐会4月8日(代表)
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天皇陛下は晩餐会で、そう仰せられた。慰霊碑や神社は、遺族会や有志らの手で整備されたが、恒常的な管理・清掃は、現地住民に委ねられる。日本人一同からも、深い感謝の念を捧げたい。

【75年ぶりの“御召艦”】

晩餐会には、レメンゲサウ大統領夫妻に加え、ミクロネシア連邦のモリ大統領夫妻、マーシャル諸島共和国のロヤック大統領夫妻が参列した。4ヵ国の元首が一堂に会するという異例の歓迎セレモニーだった。
▽晩餐会の4カ国元首4月8日(代表)
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そして、今回のパラオ行幸啓で最も異例だったのは、天皇陛下・皇后陛下の行在所(ご宿泊先)だ。沖合に浮かぶ海保の巡視船「あきつしま」。船上の行在所は、神武天皇の東征以来ではないか…

この異例中の異例である洋上行在所にこそ、強いお気持ちが感じられる。天皇陛下が「南洋の慰霊」を願われたのは平成7年だった。その10年後、あのサイパン行幸啓が実現した。
▽平成17年6月サイパン行幸啓(file)
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当初、候補地のひとつにパラオも挙がったが、移動手段や警備面などの問題で断念。しかし、日本中が感動したサイパン行幸啓の後も、叡慮に変わりはなく、宮内庁では検討が続いていた模様だ。

「パラオを含む南洋への慰霊のお気持ちはこの10年の間、弱まることがなかった」

宮内庁関係者は、そう明かす。しかしパラオの警察官は、200人程で、VIP警護の態勢が整ったホテルもない。実現は困難だったが、陛下自ら「船内宿泊でも構わない」とのご意向を示されたとも伝えられる。
▽出港する「あきつしま」3月31日(毎日)
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3管所属の「あきつしま」は、一昨年暮れに竣工した最新鋭にして世界最大級の巡視船だ。今回の行幸啓に合わせ、船長室に御寝台が用意されるなど改装が施されたという。

それでも、絶え間なく微動する洋上で、ゆっくりお休みになられたか心配だ。揺り籠と評する人もいれば、全く熟睡できない人もいる。特に、陛下におかれては先月中頃から御風邪を召されていたと聞く。
▽パラオ到着の「あきつしま」4月5日(毎日)
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一方、海保にとって、これほど名誉なことはない。正に御召艦である。正確には艦ではなく船だが、御召艦の登場は、皇紀2600年記念特別観艦式の戦艦「比叡」以来、実に75年ぶりとなる。

巡視船「あきつしま」の先代に該当するのは、我が海軍の水上機母艦「秋津洲」だ。大東亜戦争開戦の翌年に就役した「秋津洲」は、昭和19年9月24日、比コロン湾に沈んだ。
▽水上機母艦「秋津洲」(wiki)
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レイテ沖海戦の約1ヵ月前だった…ちょどその時、東方のペリリュー島では我が軍の激闘が続いていた。偶然なのだろうが、少なからぬ因縁を感じる。

「天皇さまをお乗せして、秋津洲が迎えに参りました」

パラオの島々で散華された御英霊に、そんな風に呼びかけたい。

【「1万人の英霊が喜んだ」】

天皇陛下・皇后陛下は、一歩一歩を噛み締められるかのように、静かに歩まれた。ペリリュー島の南端に建つ「西太平洋戦没者の碑」。両陛下は、供花台にそっと白菊を手向けられ、深く拝礼された。
▽「西太平洋戦没者の碑」4月9日(代表)
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眩い陽射しの中、辺りは静寂に包まれる。続いて両陛下は、慰霊碑の脇に進まれると、再び、一礼された。お背中の向こう側に、緑の島影が淡く浮かんでいた。アンガウル島だ。
▽慰霊碑横から臨む島4月9日(代表)
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ペリリュー島で1万695人、バベルダオブ島で約4800人、そしてアンガウル島では約1200人が散華された。両陛下が島に向かって拝礼された時、参列者の1人が杖を頼りに起立、共に頭を垂れた。

アンガウル島で戦い抜き、生還した元陸軍兵士・倉田洋二さんだった。今年88歳になる倉田さんは、同島で散華された戦友名簿を携え、参列していた。
▽土田さんと倉田さん:奥4月9日(代表)
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「戦友みんなに声を掛けられたと思う」

お声を掛けられた倉田さんは、涙ながらにそう語った。慰霊碑の前で、天皇陛下・皇后陛下は、参列した元皇軍兵士・遺族に話し掛けられ、苦労をねぎらわれた。
▽元兵士らにお声掛けられる4月9日(代表)
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「両陛下がペリリュー島に非常に関心を持たれているという、その気持ちが一番嬉しかった。1万人近い戦友はビックリしたんじゃないでしょうか。非常に喜んだと思いますし、私もこの日を忘れることはないだろうと思います」
▽参列した倉田さんと土田さん(代表)
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先月、御所に招かれた土田喜代一さんは、感慨深げに、そう話した。参列した遺族の中には、ペリリュー島守備隊の作戦参謀を務めた村井権治郎陸軍少将の四男の姿もあった。

「陛下と対面させて頂き、父を含めた1万人の英霊は感謝しているのでは」
▽パラオ出発前の村井少将と家族(時事)
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祖国遥か南洋の島で散華された将兵のうちの誰が、何十年も後に、天皇陛下・皇后陛下がお揃いで、この地を訪れられると想像しただろうか…

【宝物になったパラオ行幸啓】

パラオの中心都市コロール住民の中には、毎年9月になるとペリリュー島の方角から、日本兵の鬨の声が聞こえて来ると話す者がいる。季節による風と波音の変化だとしても、切なく物哀しい響きに違いない。
▽浜辺で説明を受けられる4月9日(代表)
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天皇陛下・皇后陛下は、慰霊碑に続いて、近くにある浜を訪れられた。オレンジ・ビーチ…兵士の血で染まったことから命名されたという。昭和19年9月15日、米軍の第1陣がここに上陸を敢行した。

「2、3日で戦いは終わる」

精鋭部隊とされた米第1海兵師団の敵将は、そう放言した。しかし、我が軍守備隊の勇猛な戦いによって、2万5000人規模の海兵師団は苦戦。米側は、新たに陸軍歩兵団を増派する事態に陥った。
▽横転したままの米M4中戦車(毎日)
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最終的に米側が投入した兵員数は、約4万8000人。対する我が軍守備隊は1万人余りだった。そして、ペリリュー島の攻防戦は、米軍の予想を遥かに上回る2ヵ月半に及ぶ。

この戦いを率いたのが中川州男(くにお)陸軍大佐だ。戦術は、これまでの我が軍になかったものだった。リン鉱石の採掘場などを利用した島の要塞化。そのことから専門家の村井少将が招かれた。
▽中川州男陸軍中将(作戦時大佐)
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全面突撃ではなく、持久戦に持ち込む構えである。島にある飛行場を死守するだけではなかった。学童疎開が始まったのは、昭和19年8月。この時、都市部にはまだ多くの子供が残っていた…

ペリリュー島と帝都を結ぶ直線上には、硫黄島や小笠原諸島がある。米軍は、この直線ルートを「hirohito highway」と揶揄したという。何よりも大本営は、爆撃機に続く揚陸部隊の本土侵攻を恐れた。
▽洞窟横に残る我が軍の砲台(産経)
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1日でも長く米陸戦隊を留めることに大きな意味があった。ペリリュー島の守備隊は、本土に凄惨な白兵戦を持ち込ませない為に、飢えと渇きに耐え、戦い抜き、先帝陛下より賜った御嘉賞は11回に及んだ。

昭和19年11月24日。すでに戦闘開始から70日以上が過ぎ、散華された兵士は1万を超した。村井少将と中川大佐は、洞窟の中で自決。ペリリュー島の激闘は、ここに終結した。
▽思い出を語るペリリュー島民(NHK)
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「日本時代のペリリューは本当に良かった」

その時代を知る島民は誰しも、躊躇いなく激賞する。民間人の避難を優先し、ただ独りの犠牲者も出さなかったことは、戦史上も稀だ。皇軍の英雄的な戦いは正しく、パラオの人々に伝わっている。
▽横断幕で歓迎する島の子供達(NNN)
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島を離れられる直前の出来事だった。道端に、手作りの横断幕を掲げた子供たちがいた。御料車は速度を緩め、両陛下は開け放たれた窓から「ありがとう」と返される。蕩けるような心洗われる光景だった。
▽窓を開けてご挨拶された(NNN)
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「今回、パラオ側も国を挙げて歓迎し、パラオ人にとって宝物となるような素晴らしい思い出になりました」

すべての日程が終わった後、レメンゲサウ大統領は、そう語った。島の人々だけではない。日本列島の真南、太平洋に浮かぶ美しい珊瑚と月と御英霊の島。
▽上空から望むパラオの島々(産経)
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20年越しの想いが実ったパラオ行幸啓は、私たち日本人にとっても大切な宝物となった。



最後まで読んで頂き有り難うございます
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参照:
宮内庁HP平成27年4月8日『パラオご訪問ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)』

参考動画:
□YouTube西部邁ゼミナール2012年12月8日『忘れるな、あの大いなる戦いを』
□YouTube日本会議『パラオ ペリリュー 玉砕 DVD天翔る青春より』

参考記事:
□産経新聞4月8日『天皇陛下の晩餐会でのご答辞・全文』
□日経新聞4月9日『両陛下のねぎらいかみしめ ペリリュー島で元兵士や遺族ら』
□産経新聞4月9日『「英霊たちが喜ぶ姿、はっきり見える」両陛下ご慰霊に立ち会った戦友』
□産経新聞4月9日『「1万人の英霊、感謝している」 村井少将の息子、正巳さん』
□時事通信4月6日『自決の父思い、ペリリューへ=両陛下慰霊訪問に合わせ−作戦参謀の四男村井さん』
□NHK4月9日『両陛下 ペリリュー島で戦没者慰霊』(魚拓)
□NHK4月9日『両陛下 パラオで慰霊終え帰国の途に』(魚拓)

□産経新聞3月22日『「いよいよ最後の時が来た」「玉砕も覚悟した」 ペリリュー戦生還者の土田さんが講演』
□産経新聞3月22日『両陛下、生還兵2人に「本当にごくろうさまでした…」 4月にパラオ慰霊のご訪問』
□ZAKZAK’14年1月30日【賞賛される日本】南太平洋の親日国家・パラオ 激戦地で語り継がれる日本将兵の武勇

産経新聞4月8日『「訪問実現に感謝」十年来の宿願かなえられるご覚悟』http://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080032-n1.html
産経新聞4月2日【「忘れえぬ島」パラオ〜遺族・戦友の戦後70年】(上)慰霊引き継ぐ「墓守」 碑建立40年「きれいなまま」http://www.sankei.com/life/news/150406/lif1504060020-n1.html
産経新聞4月7日【「忘れえぬ島」パラオ〜遺族・戦友の戦後70年】(中)両陛下ご訪問を前に壕開く 遺骨収集加速に高まる期待http://www.sankei.com/life/news/150407/lif1504070018-n1.html

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
今回行われた両陛下のパラオご訪問は、ペリリュー、アンガウル両島において身命をささげた英霊および、生還された守備隊員にとってこの上ない名誉であったと存じます。

ペリリュー島においては、兵士と仲良くなっていた現地住民が「一緒に戦わせてほしい」と願い出たことに対し、「帝国軍人が貴様らと一緒に戦えるか!!」と激昂して避難船に乗せて避難させた、という話もあるそうです。

共に戦うことを願い出た現地住民は、激昂されたことに「偽りの友情だったのか…」と落ち込んだそうですが、避難船が島を離れるときに、自分を怒鳴りつけた隊長が部下と共に浜へ出てきて手を振り見送ってくれるのを目撃して「自分たちを救うためだった」と悟ったそうです。
元保険営業マン
2015/04/12 00:29
>元保険営業マンさま

ナイスフォロー、ありがとうございます。
 島民避難のエピソードは、最後長くなりすぎたので、割愛した部分でした。原書から直接引用したかったのだけど、入手間に合わなかった…

 あと、こうした美談について、攻撃する勢力が昔からいるようで、ニミッツの碑文は「裏が取れているのか」みたいなイチャモンがあって、関係者は苦労された模様。反日陣営は、親日国を否定する歴史歪曲も熱心な感じ。きっと不都合な史実なんでしょうね。
アネモネ
2015/04/12 17:57
相変わらず、味わいのある管理人様の文章に、ついつい引き込まれてしまいます。

今回のパラオご訪問で、陛下の宿願が果たされたと言っても過言ではない気がします。何か清々しさというか、晴々した様な陛下のご様子とお見受けました。勿論、ご英霊達も長い歳月を経て漸く安らかに休めるのではないでしょうか。

それにしても『月章旗』とは素晴らしいネーミングだと思います。誰が言い出したのでしょうか?いずれにしても我が国とパラオを含めた南洋三国とが永遠に真の友邦であることを願わずにはいられません。
素浪人
2015/04/12 22:28
>素浪人さま

ご無沙汰しております。評論家・櫻田淳氏の十数年前のエッセイに「青海満月旗」の表現がありました。
 
 「月章旗」のネーミングは、軍事ジャーナリスト・井上和彦さんではないでしょうか。著書『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』の第1章タイトルが「日章旗と月章旗」です。一層、親しみを感じさせてくれます。
アネモネ
2015/04/12 22:43

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