壱万円札の中の朝鮮断交…『21世紀の「脱亜論」』

近代日本が誇る知の巨人は、朝鮮が大っ嫌いだった。悠久の歴史の中で実は何度も出現していた「脱亜論」。大陸への愚かな幻想、熱望と失望の無限ループから脱出する時がきた。
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誰もいなかった。市民はおろか、1人の衛士もいなかった。ビルマ・ラングーンの中心部にあるアウンサン廟。ダウンタウンの喧騒が幻であるかのように、そこは静寂に包まれていた。

建国の英雄アウンサン将軍ら独立の志士9人が祀られる聖廟。これまで長い間、封鎖状態にあったが、2年前の6月に一般開放された。83年に南鮮の閣僚が北工作員に爆殺された現場としても知られている。
▽アウンサン廟2014年12月
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封鎖措置は、爆弾テロ事件が直接の要因ではなかった。民主派がアウンサン廟を集会場所に使用することを避ける目的で、軍事政権が国民を締め出したのだ。それは独立の志士達にとっても不幸な時期だった。

再開の際、政府はこの廟を新たな観光名所にすると説明していたが、まだ外国人旅行者の認知度は低いようだ。しかも、大通りにある正面ゲートは閉められたままで、裏から入る仕様になっていた。
▽廟の背後から回り込む歩道
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この中途半端さが、現政権が進める「民主化への不安」を現しているのかも知れない。それでもアウンサン廟が“復活”し、誰でも参詣できるようになったことに満足している。

我が軍がスカウトし、全幅の信頼をおいたアウンサン将軍。彼らインディペンデンス・ヒーローを讃えるビルマ。その存在は、教育課程で受けた捏造自虐史観を覆す決定打となった。

1981年、ビルマ政府は7人の日本人に「アウンサン勲章」を授与した。国家最高の栄誉を贈られたのは、鈴木敬司陸軍大佐ら南機関の中心メンバーだった。
▽アウンサン勲章の授与81年1月4日
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参照:H19年10月7日エントリ『南機関とビルマ独立義勇軍…「三十人志士」武人の絆』

村山富市は、歴史学的な定説も根拠もないまま、大東亜戦争に“侵略戦争”のレッテル貼りをし、謝罪した。誰に対して? その独断とビルマが贈った最高勲章は、どうあがいても整合性がつかない。

“植民地支配”…ビルマにも仏印にもマライにも、まして支那・朝鮮にも当てはまらない。多大な損害と苦痛を与えた“アジア諸国”とは一体、いつの時代の、どこの国の指すのものなのか?

【歴史に刻まれた複数の「脱亜論」】

「二十一世紀の現代に蘇った『脱亜論』は、日本が特定アジアという<反日エリア>からできるだけ距離を保ち、独立を目指す台湾を起点にして、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどの東南アジア、ミャンマーからバングラディシュ、インドへと向かう南アジア、さらに中東に連なる『開かれたアジア』へと、経済と安全保障の軸足を移行することに他ならない」(6頁)

我が国が置かれた今の状況を的確に踏まえたうえで、未来への道を指し示す新しい脱亜論が登場した。西村幸祐さんが世に送った渾身の新著『21世紀の「脱亜論」-中国・韓国との決別』だ。
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私たち日本人であれば、誰でもその名を耳にしたことがあるだろう福澤諭吉の「脱亜論」。西村さんの新著は、130年前に書かれた著名な論文を読み解きながら、現代の「脱亜論」に挑んだものである。

知らなかったことばかりだ…「脱亜論」は明治18年(1885)に『時事新報』に掲載された2200文字に満たない短い社説だった。そして、発表時に世論を沸騰させるものでもなかったという。

「実は、『脱亜論』が有名になったのは第二次大戦後の、しかも一九六○年代になってからで、大東亜戦争後にいわば<一億総懺悔>の一環として否定的に論われるようになったのである」(前掲書37頁)

恐らく、多くの日本人が知っている「脱亜論」は、本来関係のない「脱亜入欧」といったスローガンと共に、ネガティブな文脈で取り上げられたものだろう。

福澤諭吉の「脱亜論」を大東亜戦争の敗北と直結させて論じることの愚かしさを本書は、簡潔に暴き出す。「脱亜論」とは、我が国の長い歴史の中で繰り返し登場した思想だったのである。

「実は福澤の『脱亜論』は、日本にとって四回目の『脱亜論』だった。一回目は聖徳太子が小野妹子を遣隋使に派遣して、隋の皇帝陽帝へ『日出ずる処の天子…』という国書を届けた時である」(前掲書5頁)

2回目は菅原道真の遣唐使廃止。3回目は荻生徂徠による朱子学への反旗と西村さんは説く。重要な指摘だ。つまり、5回目となる「脱亜論」の出現は必然なのである。

実際に、5回目の「脱亜論」は、私たちの目の前にあった…

【名指し批判されたアノ国】

「書店の一角を占めるヘイト本を目にするたびに私が嫌な気分になるのは、そこに不穏な気配を感じるからだろう」(週刊朝日1月16日号)

ほんの半年程の間に、我が国の既存メディアでは“ヘイト本”という滑稽な造語が罷り通るようになった。改めて指摘するまでもなく、レッテル貼りされた書籍の殆どが、中共・南鮮の真実を伝えるものである。

なぜ反日メディアや時代遅れの御用有識者が、定義も曖昧なまま“ヘイト”を濫用するのか…西村さんの新著では明解に説明されている。一刀両断だ。

「ここ数年の韓国、中国に関する書籍が爆発的に売れたのも、学校教育やマスメディアを通して知ったこととは別の真実があると、多くの人が気づき始めたからである。
 決して一部のメディアが囃し立てるように排外主義的な<嫌韓>や<反中>という記号の氾濫ではなく、マスメディアが報じてこなかった韓国や中国を知っていく過程だったのである」(前掲書22頁)


『21世紀の「脱亜論」』は、メディア論ではない。今の大嫌韓時代は、反日メディア等による事実の隠蔽・歪曲が産み落とした側面も強いが、背景にはより大きな歴史的な流れが存在している…

その流れを捕捉したうえで、西村さんは“5回目の脱亜論”を提唱しているように読み取れる。ここで改めて、知っているようで知らない福澤諭吉翁の「脱亜論」の一節を抽出してみよう。

「我日本の国土は亜細亜の東辺にありといえども、其国民の精神は既に亜細亜の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。しかるにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う」(『脱亜論』)
▽1880年代のソウル南大門大通り
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福澤翁の見つめたアジアは、現在の地域とは大きく異なっている。当時のアジアで独立国家と呼べるのは、我が国や清、タイなど一握りで、インドは英国に飲み込まれ、強大なオスマン帝国は瀕死状態だった…

そうした時代背景があるにせよ、福澤翁はハッキリと名指しして批判した。意図的だったのか、捏造自虐史観の論者が隠した2つの国家。「脱亜論」の「亜」とは、支那・朝鮮に他ならなかった。

【130年前からの警告】

「支韓両国は其伝染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室に閉居し、空気の流通を絶て窒息するものなればなり」(『脱亜論』)

福澤翁は、近代文明を「麻疹」に例えたうえで、流行防止に躍起になるよりも国民に対し、免疫を与えるのが知識人の努めだと説く。一方、支那・朝鮮は流行を避け、ただ閉じ籠っていると指摘する。

『21世紀の「脱亜論」』には、原文と西村さんの手による現代語訳が併記されている。この訳文が実に分かり易く、途中から現在の中共・朝鮮批判を読んでいるかのような錯覚に陥るほどだ。

本書では、当時の東アジアをめぐる国際情勢や福澤翁が朝鮮に期待し、失望する過程も解説されている。それもまた明治18年、即ち日清戦争が始まる9年前と現在の周辺環境がオーバーラップし、興味深い。
▽日清戦争勝利記念の日比谷凱旋門
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巨額の私財を投じ、諺文(朝鮮文字)の復活や開化派を支援したことでも知られる福澤諭吉。かつて熱烈な親韓派だった明治期の智の巨人が導き出した結論とは何か?「脱亜論」の末尾に明記されている。

「我は心に於いて亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

痛快だ。この福澤翁の論説を「明治の嫌韓流」と名付けても差し支えないだろう。西村さんは「有名な末尾」と説明するが、吊り目で“ヘイト本”などと連呼する手合いは「脱亜論」に触れたことがあるのか?

しかも、この末尾には、前段に支那・朝鮮との付き合い方についてのアドバイスが記されている。それは現代の我が国の対中・対鮮外交に関する提言と言っても良い。福澤翁は未来人か予言者だったのか…

「支那、朝鮮に対しても隣国だからと特別の配慮をすることなく、まさに西洋人が接するように、国際的な常識と国際法に従って処置すべきである」(前掲書208頁*西村さんの現代語訳)

130年前からの警告だ。外交当局者もメディアも「脱亜論」の箴言を拳々服膺すべきである。

【無限ループからの脱出方法】

「必要なのは、私たち日本人を排斥し攻撃する、ごく一部の国々となるべく離れ、最小限の交際のみにするという行動だけなのである」(前掲書157頁)

今は、5回目となる「脱亜論」の季節だ。我が国の歴史の中で、繰り返し起きていたと認識することが重要に思える。それを反感・反発、ましてやヘイトといった正体不明の言葉では片付けられない。

『21世紀の「脱亜論」』は、現在の日本社会に怒涛のように広がる“反中・嫌韓”について、文明論的なアプローチを試みたものだ。感嘆すると同時に、戦慄せざるを得ない。

「反響を呼ばなかったのは、当然だろう。つまり<脱亜>は、当時の輿論においても、当然に近い考え方だったからだ」(前掲書47頁)

発表当時、福澤翁の「脱亜論」が大きな話題にならなかったのは、さして目新しい論調ではなかった為だという。時代の空気を反映した“穏当なエッセイ”だったのだ。

ところが、明治中期には「興亜論」がメーンストリームに躍り出て、日露戦争後は、大アジア主義がブレイクする。ロシアの南下や清朝の自壊という要因があるにせよ、福澤翁の警告は忘れられてしまった。

繰り返す歴史…脱亜論が過去4回登場したように、支那・朝鮮に近付こうとする気運もリピートするのではないか。これが『21世紀の「脱亜論」』を読んで戦慄した部分である。

何十年先か、何世代先か、再び日本人は、支那大陸に憧れを抱き、接近することあるのではないか? 戦後30年を経て、パンダ・ブームから“中国熱”が再発したケースは、記憶に新しい。

ループする歴史…日本人が脱出する方法はあるのか。その手掛かりが『21世紀の「脱亜論」』には記されていた。「海洋民族としての日本人・海洋国家としての日本」という位置付けだ。
▽「いずも」甲板上の防衛相訓示3月(時事)
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DNA解析で判明した日本人と漢族・朝鮮族との大きな違い、稲作の伝播ルートに見られるミステリー、そして沖縄に見出した神道のプロトタイプ。最先端の研究が、大陸への幻想を打ち砕く。

「日本は古来、西側の大陸ではなく南方の海へ大きく開かれた世界観をもっている海洋国家だった」(前掲書66頁)

支那は母の国ではなく、朝鮮は兄の国などではない。そうハッキリと認識した時、繰り返し西側の大陸へ引き寄せられる負のループから抜け出して“解脱”できるのではないか。





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