反日女衒・福島瑞穂の命運…捏造派が崇めた“吉田メモ”

金学順の黒幕人形使い・福島瑞穂と吉田清治の異常な関係が新たに浮かび上がった。捏造派が根拠にした“吉田メモ”の劇的終焉。それは瑞穂の脱出口を塞ぎ、洋平の談話を破壊に導く。
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「お父さんは、何時から何処で仕事をしていたんですか?」

吉田清治の自宅にやってきた朝日新聞の記者2人は、矢継ぎ早に質問を浴びせた。3週間前のことだたっという。居直り特集で宣戦布告する直前の7月下旬頃と見られる。

適当なアリバイ取材だ。吉田清治こと吉田雄兎が、上海の日系キャリアにいたという経歴などは、20年以上前にウソと判明している。朝日新聞の捏造記者は、こう訊くべきだっただろう。

「お兄さんは何者ですか?」
▼吉田清治の謎の朝鮮人養子(『慰安婦と戦場の性』)
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24歳独身の吉田清治が、弱冠20歳の朝鮮人・李貞郁(リ・ジョンウク)を養子に迎えたのは、昭和12年だった。朝日新聞の取材に応じた息子は、妻・大野フサエとの間に生まれた子供だ。

朝日新聞は対応した息子を「長男」と報道したが、戸籍上の吉田の長男は、李貞郁であるはずだ。「吉田貞郁」が死亡したのは昭和58年で、団塊世代の「長男」は、貞郁についても詳しく知っている。
▼死亡扱いの吉田雄兎(前掲書より)
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労組幹部だったという貞郁が何者で、どのような経緯で養子入りしたのか…それは、昭和6年度の門司市立商業学校の卒業名簿に吉田雄兎が「死亡」となっていた衝撃事実に次ぐ、大きなミステリーだ。

参照:1月27日『吉田清治の息子は朝鮮人…在日成り済まし説を追う』

今年冬、週刊新潮の記者が吉田の新居を探し出し、死亡を確認した。吉田雄兎、2度目の死。記者は元の自宅周辺で聞き込みを行った末、息子が茨城県内に移ったことを突き止めた。素晴らしい取材力である。
▼『週刊新潮』3月13日号記事
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対して、朝日新聞の捏造取材は、吉田清治に罪を擦り付けるものだった。真偽の確認など、紙面にデビューさせる前に行うのが報道の鉄則だ。杜撰な取材…それでも、新たに判明した事実があった。

「今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていないことがわかった」(8月5日付朝日新聞)

お世辞抜きにスクープ級と言える。朝日捏造班も少しは胸を張って良いだろう。妻のフサエがまめに付けていたという日記。その“吉田メモ”は、慰安婦捏造に大きな影響を与えた魔界からの贈り物だった。

【国家動員命令書のまぼろし】

「木剣ふるい無理やり動員」(91年5月22日付朝日新聞)

吉田清治の小説第2作のセールスポイントは、済州島での“慰安婦狩り”だ。劇画には不可欠なアクションで、若い女性への暴行シーンは、元々ポルノ系の「従軍慰安婦」マニアに応える狙いもあった。
▼S49年公開の某ポルノ映画
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米パリセーズパークにある捏造碑のイラストや、仏アングレーム漫画際の出展作は、この小説のワンシーンをヴィジュアル化したものだ。朝日新聞による“慰安婦狩り”捏造報道は喫緊の外交問題でもある。

同時に、捏造派が吉田清治を神と崇める要素になったのが、“吉田メモ”の存在だった。それは済州島での“慰安婦狩り”が国家命令であったことを裏付ける決定的な証拠だった。小説の中の設定なのだが…
▼捏造「動員命令書」の記載事項(前掲書より)
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朝鮮人女子挺身隊200人の徴集を昭和18年5月30日正午から、済州島で行う…小説第2作『私の戦争犯罪』には、そう明記されていた。これを捏造派は“動員命令書”と名付け、派手に宣伝した。

やたらと細かい設定である。なぜ一字一句漏らさず、古い記録を覚えていたのか? 当然、沸き上がる読者の疑問を先読みし、吉田は「妻が日記に書き残していた」と設定する。さすがプロの詐欺師だ。
▼吉田清治こと吉田雄兎(file)
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しかし、真実派の歴史家・秦郁彦氏は納得しなかった。実物の「妻の日記」を見せてくれるよう吉田清治に直接要求した。だが、吉田清治は頑なに拒んだ。それに慌てた捏造派の吉見善明は弁護に回った。

「日記を公開すれば、家族に脅迫などが及ぶことになるので、できない」(吉見善明他『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』97年刊)

吉田清治の言葉を伝え、捏造派は「公開できない理由」を強調。“動員命令書”は実在するが、公開は不可というスタンスだ。ところが、朝日新聞の久々のお宅訪問で「実在しない」と判明した。
▼ソウルで謝罪会見する吉田’92年(MBC)
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捏造派が崇め奉った“動員命令書”は、最初から存在しなかったのである。妻の日記デマ確定は、やがて各方面に飛び火する…

決定的だ。これで福島瑞穂の命運は完全に尽きた。

【福島瑞穂が頼った吉田清治】

「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存」(’91年8月11日付朝日新聞)

植村隆の捏造記事が朝日新聞の紙面に踊った頃、福島瑞穂と植村ママこと梁順任(ヤン・スニム)は、密かに訴訟準備を始めていた。金学順を法廷に引っ張り出す手筈を整えていたのである。
▼暴れる朝日植村ママ・梁順任(聯合)
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いわゆる「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟」は、平成3年(’91年)12月にスタートする。植村隆の捏造記事が掲載されてから僅か4ヵ月後という早業だった。

当初は、出稼ぎ工の地味な朝鮮人親父を中心にした地味な裁判になる予定だったが、植村隆の捏造記事で金学順が大ブレイク。列島に捏造慰安婦旋風が吹き荒れることとなった。
▼来日会見する金学順’91年12月(共同)
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しかし、福島瑞穂らが作成し、東京地裁に提出した訴状は“吉田メモ”を全面引用していた。吉田清治の小説第2作を“加害者の証言”と断定し、“強制連行”の揺るがぬ証拠として突き付けている…

「吉田清治氏によれば、一九四三年五月、西部軍司令部は、九州と山口県とで二〇〇〇人の軍隊慰安婦の供出命令を出し、同氏に対して、二〇〇人の朝鮮人慰安婦の狩り集めを命令し、同氏は済州島に向かい、軍隊慰安婦の狩り集めを行った」
参照:村山詐欺基金HP『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求 訴状』(PDF)
▼訴状にコピペされた“吉田メモ”
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更に、福島瑞穂らはダメ押しで別の“動員命令書”も証拠として提示。これも吉田の妻フサエの「日記」にあったという設定だが、訴状には説明がなく、公的資料であるかのように記述している。

無駄に長い訴状で、公的資料扱いで引用しているのは、この“吉田メモ”だけだ。それを有力な根拠として福島らは「慰安所の維持管理を軍が行い、慰安婦の配置は軍が決定した」と結論付ける。
▼金学順に謝罪する吉田清治’92年
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正に笑止。福島瑞穂は吉田清治の小説を「加害者証言」「公的資料」と騙り、裁判に臨んだのだ。自らの黒歴史を今更、塗り潰すことは不可能。朝日新聞の吉田“社葬”で、福島瑞穂も観念の時を迎えた。

【小説を小説と認めた瞬間…】

「西部軍→山口県知事→下関警察署長→吉田のような命令系統で、朝鮮総督府と朝鮮軍管轄の済州島へ狩りこみに行くのは、官僚組織からはありえない」(『慰安婦と戦場の性』230頁)

秦郁彦氏は吉田清治に対し、そう直言した。済州島で現地調査を行う以前の会話だ。慰安婦狩りのエピソード論破は、悪魔の証明に近かったが、“動員命令書”は直ぐに史実と照らし合わすことが出来たのだ。
▼南鮮謝罪ショーの吉田清治’92年(MBC)
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それは吉田による詐欺の最初の綻びでもあった。小説をノンフィクションと偽る目的で吉田は、こと細かな設定を盛り込んだ。しかし、当時の命令系統すら確認しないという初歩的なミスを犯してしまった…

「戦時中は全てが超法規的だった」

鋭く指摘された吉田清治は火病を発症し、そう言い返すのが精一杯だった。すべてが超法規的なのに、なぜか詳細な命令書が存在…この一言だけでも吉田の嘘を見抜くことが出来る。
▼1991年5月22日付朝日新聞
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「吉田清治自身も、『自分の書いたものはフィクションだ』と言ってましたよね」

国民有志がいきなり斬り込んだ。今年8月15日のBARイベントで起きた衝撃のハプニング。一日マダムを務めていた福島瑞穂は、同意を求める男性に対し、少し震えた声で、こう答えた。

「はい」



訴状のメーンに吉田清治を活用した福島瑞穂が遂に、吉田の小説を小説と認めた瞬間だ。取り巻きの男も「そんなことは知ってますよ」と何だか不愉快そうに受け流す。

では、いつ福島瑞穂は、吉田本がフィクションだと認識したのか…重大な問題である。それは河野談話を木っ端微塵に吹き飛ばす破壊力を秘めている。

【オブザーバーも吉田信奉者】

昨年夏、河野談話作成に向けた政府調査団のソウル訪問を捕らえた貴重な映像が発掘された。談話発表の約3週間後にNHK教育でオンエアーされた「ワールド・ウォッチング」のひとコマである。
▼ヒアリング会場仕切る植村ママ(NHK)
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場所は、ソウル市内にある朝日植村遺族会のオフィスだ。大声を挙げて取り仕切る植村ママが迎えたのは、政府調査団のオブザーバーとして参加した福島瑞穂だった。

「聞き取り調査の現場では、もの凄い罵声や怒号が日本スタッフに浴びせられた…」

関係者は、異常な環境でヒアリングが行われたと指摘する。最初から公平な聞き取り調査など不可能。仕切り役の朝日植村遺族会もオブザーバーの福島瑞穂も吉田の小説を「事実」と認定する側だったのだ。
▼福島瑞穂(左端)と朝日植村ママ
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ヒアリングに「予断を与える」といったレベルではない。自称慰安婦をコントロールする連中が、小説を根拠に持説を展開し、日本政府を徹底糾弾する…河野談話は、そうした歪んだ状況の中で生まれた。

河野談話が吉田清治の影響を受けているか否か、議論の余地を残す。産経新聞が5月にスクープした政府文書で、政府調査のヒアリング対象に吉田清治と千田夏光が含まれていたことが判明した。
▼笑顔で登場の吉田清治と村上雅通(TBS)
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ただし、河野談話が参考にしたとは言い切れない。政府文書は、吉田と千田を「書物執筆者」と区分。談話と同時に公表された内閣外政審議室のリポートにも吉田小説の受け売りは見当たらない。

参照:外務省HP平成5年8月4日『いわゆる従軍慰安婦について(PDF)』

先の検証報告で明らかになった通り、政府調査の結果と河野談話の内容には隔たりがあった。当時の国民が殆ど気付かなかったニュアンスの違い。だが、福島瑞穂は的確に見抜いていた。

【思惑通りだった河野談話】

「官房長官談話は一歩踏み込んだと思うものの、調査結果は実はそんなに新しいことはなかった」「総じて強制的なものであったと言いましたので、以前の調査結果よりは一歩踏み込んだ」

さすが捏造慰安婦の主犯格。先述のNHK番組で福島瑞穂は、河野談話の特徴を一言で炙り出す。河野洋平の犯罪は、独断で強制性を慰安婦全体に広げ、会見で“強制連行”があったと認めたことである。
▼NHKで捏造解説する福島瑞穂'93年8月
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そして福島瑞穂は「一歩踏み込んだ河野談話」に、とても満足そうだ。自分が思い描いた通りに河野談話が仕上がったかのような絶賛ぶり。実際に、そうだったのではないか…

92年8月、朝日の現役幹部・松井やよりと福島瑞穂が主導する反日集会がソウルで開かれた。付き合いで参加し、自称慰安婦の本番前リハーサルを目撃した舘雅子さんの指摘は、新たな疑問を呼び起こす。

「河野談話には決議そっくりの内容が盛り込まれていたのです。福島・松井チームは官邸に働きかけて主要部分を談話に入れることに成功していたんだ、と改めて感心したものです」
▼福島瑞穂追及する週刊新潮7月3日号
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反日集会の決議文と河野談話が、奇妙にも似通っていたと言うのだ。福島瑞穂の談話絶賛発言には、やはり裏がある…単にヒアリングで政府オブザーバーを務めただけではない。

吉田清治を信奉する福島瑞穂が、河野談話にどう関わったのか。国会喚問は避けられない。この期に及んでも週刊誌取材から逃げ回っているが、脱出口は完全に塞がった。
▼売国奴と国賊の歴史的2ショットw
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福島瑞穂が原告弁護団となった訴訟は、91年のスタートから10年かけて、一審敗訴。控訴審を経て、最高裁で敗れるまで実に13年を要した。その間、福島瑞穂は議員になり、社民党党首にまで登り詰めた。

福島瑞穂が政界入りした切っ掛けは、捏造慰安婦をめぐる“大活躍”だった。金学順と吉田清治を踏み台にして党首の座も得た。そして今、議員バッジを剥ぎ取ろうとしているのも、また捏造慰安婦だ。



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関連エントリ:
■25年10月21日『福島瑞穂の慰安婦斡旋犯罪…原告を使い回す反日女衒
■26年6月10日『偽慰安婦の本番前リハ目撃…知られざる朝日幹部の捏造』

参考動画:


参考記事:
□『週刊新潮』3月13日号、7月3日号、8月28日号

□週刊ポスト8月20日『朝日新聞慰安婦報道の「闇」と裁判担当した福島瑞穂氏の関与』
□産経新聞8月7日【阿比留瑠比の極言御免】慰安婦問題、「吉田証言」に踊った人たち

□産経新聞5月20日『河野談話ヒアリング対象者に虚偽証言者 「奴隷狩り」吉田氏、「従軍」広めた千田氏』
□朝日新聞8月5日『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』

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