大帝の夢、プーチンの悪夢…撃墜主導したモスクワ市民

国家樹立を宣言したのはモスクワ市民だった。MH17便撃墜で急展開のウクライナ情勢。事件に色を失ったプーチンに華やかな退路はない。そして、北方四島返還の夢も1年半で醒めてゆく。
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散乱する破片の周囲には、ヒマワリが咲いていた。ウクライナ東部ドネツク州、マレーシア航空機17便の撃墜現場。ヒマワリ畑は、あらかたロシア人武装勢力の支配下にある。
▼撃墜現場入りした記者7月22日(ロイター)
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2014年の春、ユーラシア大陸に二つの「国家」が生まれた。ひとつは、イラク北部を制圧した「イスラミック・ステート」。もうひとつが「ドネツク人民共和国」だ。

撃墜事件当夜、機体の一部が発見された草原に、かなり場違いな服装の男が現れた。派手なジャケットにジーンズ。この男が、「ドネツク人民共和国」の自称首相オレクサンドル・ボロダイだった。
▼現場に急行したボロダイ:中央7月17日(AFP)
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ボロダイは、FSB(ロシア連邦保安庁)の元副所長で、クリミア半島で暗躍した後、ドネツクに現れた。ロシア情報機関の大幹部が“落下傘首相”の座を射止めたのだ。ちなみに、FSBの前身はKGBという。

そしてボロダイの右腕ともラスボスとも評されるのが、自称国防相イーゴリ・ストレルコフ。事件直後、世紀のバカッターとして俄然注目を集めた人物だ。ストレルコフはHNで、本名はガーキンという。

「たった今、トレーズ近郊でアントノフ26型機を撃墜した」
▼イーゴリ・ストレルコフ:中央(AP file)
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ロシアの人気交流サイトにポストしたのが、ストレルコフだった。勇んで書き込んだまでは良かったが、削除したのが痛かった。削除→炎上のリレーは、今や世界共通である。

ストレルコフは、GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の情報将校だ。退役軍人とも指摘されるが、今年4月末にEUは、ストレルコフをGRU職員として制裁リストに加えている。
▼根拠地で取材に応じるストレルコフ7月10日(ロイター)
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国際メディアは先月、モスクワ郊外にあるストレルコフの自宅を割り出した。一方のボロダイも市内に住居を構えるという。2人ともロシア人であるだけではなく、生粋のモスクワ市民なのだ。

【80年後のホロドモール】

メディア統一の「親ロシア派」という呼び方は、決して間違いではない。だが、何かロシア寄りの住民がウクライナ国内で揉め事を起こしているかのような印象も受ける。

実態はもっとシリアスで、目の前繰り広げられているのは、ウクライナ人とロシア人の民族衝突に他ならない。しかも、ゲリラ部隊との紛争ではなく、参謀と兵器が本国から送り込まれる正規戦の様相だ。
▼州都ドネツク制圧した武装勢力4月16日(AFP)
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中世以降の長い期間を通して、ウクライナにはロシア人が流入し続けた。また東半分が帝政ロシアに支配されていた時代もある。伝統的な地域大国の周縁には、同様のケースが多い。

しかしウクライナは、大規模な民族抹殺計画が実行された数少ない国だ。1929年から33年にかけての人工的な大飢饉、ホロドモール。ヨシフ・スターリンが引き起こした民族大虐殺である。
▼行き倒れるウクライナ人1932年(wiki)
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革命政権によるクラーク(富農)追放とコルホーズ化で穀物の生産量が激減する中、貴重な小麦は国外に持ち去られた。飢えたウクライナ人。その犠牲者は、1,450万人とも推計される。

ソ連衛星国の中でもウクライナは、穀倉地帯に恵まれ、有力な鉱山も抱えていた。人口が大幅に減った資源国にソ連の労働者がなだれ込む…そこには長期的な国家乗っ取りという側面があったのではないか。
▼著名なホロドモール写真1933年(wiki)
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カンボジア大虐殺にも似た説がある。珍説奇説の類いでしかないが、クメール・ルージュが首都を無人化し、国民を半分に減らした後、毛沢東はシナ人を大量流入させる計画だったという。

キエフの混乱からクリミア離脱にかけてメディアは、ウクライナの歪んだ民族構成を盛んに解説したが、ホロドモールについては単語レベルでも登場しない。まるで、悲劇も惨劇も無かったかのようだ。
▼大破した戦車調べる武装勢力7月22日(AP)
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約80年前に起きたのは、民族浄化だった。そして今、本格的な民族衝突が勃発している。

【イーゴリは空に怯えていた】

「MH17便が交信を絶った時、ウクライナ南東部の分離派が支配する地域から地対空ミサイルが発射されるのを確認した」

米国務省は7月20日、情報機関の分析結果を公開したが、いずれも状況証拠で決定打に欠く。今回の撃墜事件で最大の物証となるものは、ロシア人武装勢力が放った地対空ミサイルの破片だ。
▼ロシア軍の地対空ミサイル「ブーク」(AP)
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9K37「ブークM1-2」(NATOコード:SA-11ガドフライ)。事件発生直後から米CNNが資料映像付きで紹介していたロシア軍の主力地対空ミサイルである。

現場に突入したジャーナリストをロシア人武装勢力の兵士は、阻んだ。この時、武装勢力は必死にミサイル破片を捜索していた。20㌔四方を超す広大な範囲。見つかったどうか、判らない。
▼軍事ショーで展示された「ブーク」(AP)
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墜落現場一帯は、完全に武装勢力の支配下にあった。このことから、ウクライナ軍側が劣勢であるかのように錯覚するが、実際は逆だ。ロシア人武装勢力は、追い込まれつつある。

4月7日、州都の行政庁舎を占拠した“親ロシア派市民”は、「人民共和国」の樹立を宣言。モスクワ市民のボロダイが“首相”に任命される。これを機に武装勢力は東部に勢力を拡大していった。
▼“ドネツク人民共和国”樹立宣言4月7日(AFP)
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そして5月26日には、武装勢力がドネツク空港を占拠。奪還作戦に乗り出したウクライナ政府軍が空爆を開始するなど戦闘は一気に激しさを増した。この間、武装勢力側は繰り返し、ロ軍に支援増強を求めた。
▼ドネツク空港制圧した武装勢力5月26日(AFP)
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7月5日、武装勢力の主要拠点だったドネツク州スラビャンスクが陥落。ここで作戦指揮を執っていたイーゴリ・ストレルコフも撤退した。政府軍による州都ドネツク突入は、時間の問題だった。
▼鉄道駅に殺到するドネツク市民7月12日(AFP)
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空からの攻撃を恐れるロシア人武装勢力。その最中にMH17便の撃墜事件が起きたのだ。

【実行犯とプーチンの“心中”】

「ウクライナのSu-25がマレーシア機と同じルートを3~5キロ離れて飛行していた」

ロシア陸軍幹部は7月21日、改めてウクライナ軍戦闘機による攻撃説を唱えたが、根拠は示せなかった。こうした犯人捜しの推理では「証拠が出せないこと」が、重要な手掛かりになる。
▼撃墜直後の炎上する現場7月17日(AFP)
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ウクライナ軍機がMH17便を誤って攻撃したのであれば、ロシアも武装勢力も鬼の首を取ったかのように当日から大騒ぎしただろう。しかし、具体的な証拠を提示することはなかった。

MH17便が高度1万メートルで大破したエリアは、ドネツク州の東端で、ロシアとの国境に近い。そのままSu-25が直進した場合、1~2分以内にロシア領空に到達する。
▼MH17便の航路(WSJ)
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ロシア軍の要撃管制が機能する範囲で、ほぼ自動的に迎撃用の戦闘機がスクランブル発進する。その際のフライト分析データをロシア軍が示さなかった時点で、武装勢力側はクロ確定だ。

「もし停戦が続いていれば悲劇は起きなかった」

ロシア国民に向けた21日のテレビ演説でも、プーチン大統領の歯切れは悪かった。組み手の足払いを躱しながらも、徐々に畳の外へ追われる展開。ここからの逆転1本勝ちは、あり得るのか…
▼声明を収録するプーチン7月21日(AP)
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ブラックボックスの回収に続き、国際社会は撃墜実行犯の引き渡しを求めるだろう。移送先がマレーシアになるかオランダになるか不明だが、ロシア人武装勢力側が応じることはない。

そしてプーチンが、ストレルコフら将校を差し出すことなど有り得ない。嫌疑を認めて屈服すれば、大統領の権威は失墜し、ロシア軍はクーデターに踏み切る。また、実行犯をロシア国内に匿うのも不可能だ。
▼親衛隊に囲まれるボロダイ6月28日(ロイター)
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プーチンに残された選択肢は少ない。

【2024年にプーチンはいない】

クリミア編入以降、プーチンは、ロシア人武装勢力の過激化に沈黙する一方、EU各国との関係修復を図ってきた。それは柔軟姿勢を示すものではなく、EU加盟国の切り崩しだった。

だが、“ドネツクの一撃”で事態は急転。撃墜事件前日の制裁強化に続いて7月22日、EU外相理事会は、追加制裁に合意した。我が国も旗色を鮮明にしなければならない。
▼墜落現場に立ち入る炭坑労働者7月18日(AFP)
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「プーチン大統領とは1年半で5回、首脳会談を行いました。ロシアには責任ある国家として、国際社会の問題に建設的に関与してもらわねばなりません」

安倍首相は7月21日の講演で、ロシアとの対話継続を明言した。EU各国も「対話」を閉ざしたわけではなく、一概に融和的な姿勢とは言えないが、総理の言葉に悔しさが滲んでいるのは、確かだ。
▼下関市で講演する安倍首相7月19日(共同)
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再登板と同時に、安倍首相はロシアとの関係強化を探り、外交当局者も努力を重ねてきた。だが、状況は変わった。ロシア側の最大譲歩案とされる北方領土「二等分論」は既に吹き飛んだと見る。

我が国が交渉を有利に進めた場合でも、二島返還が限界。しかも、それには巨額の経済協力が前提条件となる。欧米や豪州が制裁を続ける中で、我が国が単独で支援を行うことは出来ない。
▼北方四島「二等分論」のイメージ(朝日)
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そしてクリミア編入劇で判ったのは、プーチンの領土的野心と強い大統領に熱狂するロシア国民だ。その中、北方領土を安易に手放すとは想像に難い。プーチンは7月初め、自国の大使を前に、こう演説した。

「ピョートル大帝の時代以降もしくはそれ以前から、戦ってきたこと全てを事実上あきらめることを意味する」

クリミア半島の重要性を語ったもので、北方領土とは歴史的な意味合いが違う。しかし、プーチンが唱える大ロシアは、習近平が繰り返す「中華民族の偉大な復興」と重なる。
「力による現状変更は認められない」
▼BRICS会議のプーチンx近平7月16日(AP)
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中共の海洋侵略に対し、我が国はそう宣言し、フィリピンなどASEAN諸国と連携を深めてきた。ウクライナ東部でロシアが行っていることは「力による現状変更」以外の何ものでもない。

そして、プーチンとの蜜月終了は、北方領土交渉の早過ぎる挫折を意味しない。2期を全うし、2024年までプーチンが大統領のイスに座り続ける可能性は、低くなった。
▼執務室のプーチン大統領7月18日(ロイター)
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我が国は欧米に先駆け、ポスト・プーチンの時代を見据えた対ロ外交に切り替えるべきだ。



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参照:
首相官邸HP7月19日『長州「正論」懇話会講演会』

参考記事:
□産経新聞7月22日【マレーシア機撃墜】「現場保存は鉄則」 化学残留物分析で特定へ
□日経新聞7月22日『マレーシア機撃墜「ロシアに調査の責任」米大統領 プーチン政権、窮地に』
□ロイター7月21日『マレーシア機撃墜、米情報機関の分析内容』
□産経新聞7月19日【マレーシア機撃墜】寄せ集めで規律なし 関与疑われる親露派武装勢力 ロシア人、軍関係者も
□AFP7月18日『マレーシア機、宇親露派が軍用機と誤認して撃墜か ツイート削除』

□ニューズウィーク7月9日『焦点:親ロ派の支援要請に沈黙のプーチン大統領、目的達成か』
□AFP5月28日『ウクライナ軍、ドネツクの空港を奪還 戦闘で数十人死亡』
□ CNN5月27日『親ロシア派がドネツク空港占拠 軍が奪還に向け空爆』
□AFP4月15日『ウクライナ東部の親ロシア派、勢力を拡大 露に軍派遣を要請』
□AFP4月7日『親ロシア派、東部ドネツクで「共和国」樹立を宣言 ウクライナ』

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