天安門と南京を結ぶ悪路…もうひとつの市ヶ谷演説

一生、公の場で語ることはない…そう記していた石平さんが六四天安門への思いを吐露した。新たな伝説となる渾身の市ヶ谷演説。虐殺非難をかわす為の反日宣伝が25年後の危機を呼び寄せた。
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会場は、その瞬間、しんとした。天安門大虐殺から25年を迎えた6月4日、都内・市ヶ谷催された大規模集会。基調演説に臨んだ石平さんは、壇上で嗚咽した。

「今から25年前のこの日、中国の北京で、中国という国が良くなる為に、人民の自由を求める為に、人間としての当然の権利を得る為に、純粋な若者たちが立ち上がりました」

万感の思いを込めて、語り始めた。北京大学哲学部を卒業した石平さんは、1988年に来日し、神戸大の大学院で学んでいた。天安門広場には、学生時代の同志の姿もあったのだ。
▼涙に噎ぶ石平さん(YouTube)
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「ただ平和的に、中国の民主化と基本的人権を求めました。にも拘らず、中国共産党政権は、戦車まで出動させて手当たり次第に殺して行った…それが民主化運動に対する共産党政権の唯一の答えでした」

シナ人のプライベートな会話には「80年代の学生」という表現が出てくるという。78年の「北京の春」に始まる民主化運動は、80年代を通して成熟した。石平さんはドンピシャの世代にあたる。
▼北京の春時代の壁新聞(file)
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六四大屠殺から1ヵ月半遡る4月15日、学生に融和的な前総書記・胡耀邦の訃報が入る。締め付け強化で低調だった民主化運動は、追悼を掲げ、一気に熱を帯びた。留学中の石平さんは興奮を隠せなかった。

当時のシナ人留学生には良識派も多く、日本国内の支援ネットワークは瞬く間に完成したという。自分達が築いてきた民主化運動。それが実を結ぶ季節の到来に思えたのだ。
▼武力侵攻前の天安門広場(file)
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「やがて1989年6月4日、あの運命の日がやってきた。この日に、歓喜と希望のクライマックスに達した直後に、私たちは地獄を見た」(石平著『私は「毛主席の小戦士」だった』飛鳥新社46頁)

地獄に直面し、どう考え、何を思ったか…これまで詳しく語ることはなかった。8年前に上梓した自伝的な論考集に石平さんは、こう書き記している。

「この事件の前後のことについて、その時の自分の体験と思いについて、私はもはや、ここで語る気がしない。おそらく一生、それを公の場で語ることは、絶対にないと思う」(前掲書47頁)
▼東京集会で演説する石平さん(撮影筆者)
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25年後のこの日、石平さんは、ホールを埋め尽くした参加者の前で、胸に秘めた思いを明かした。短い時間で語り尽くせるものではない。語られたのは、万感のごく一端に過ぎないだろう。

しかし、それは昭和45年の11月25日に続く、もうひとつの伝説的な市ヶ谷演説とも言うべき決意と覚悟に満ちていた。

(*注 一部ショッキングな画像を含みます。石平さん演説動画全編は末尾に添付)

【人権問題凌ぐアジア全方位侵略】

「自分たちが信じるものに青春を捧げた。私自身は悔いがないんです。一番悔しいのは、彼らは何の為に殺されたか…ということです」

感極まって、石平さんは声を張り上げた。天安門大虐殺の犠牲者数は中共発表319人の10倍に当たる3,000人規模が定説になりつつあるが、北京だけで1万人、地方を含むと犠牲者3万人とも推定される。
▼虐殺実行中の天安門広場周辺(AP)
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「私は、あの日を境に中華人民共和国という国を心の中で切り捨てた。中国のことは俺にはもう関係ないという無関心、ニヒリズムを装いながら勉強に没頭し、自分の将来だけを考えれば良いと思いました」

大きな虚脱感に見舞われたのは、石平さんだけではなく、活動に参加した「80年代の学生」の多くも同じだろう。政治問題から離れ、ビジネス界で成功した元闘志も少なくない。

その一方、近年になって活動を活発化させている元学生も目立つ。参加者の減少が続いていた香港の六四追悼集会も、2012年に急増。昨年は減ったものの、今年は再び過去最高の18万人超を記録した。
▼香港の追悼集会6月4日(ロイター)
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香港には今年4月、天安門大虐殺の犠牲者を追悼する「六四記念館」がオープン。改めて真相を追及し、全容を再検証する気運が盛り上がっていた。そこに浦志強(ほ・しきょう)弁護士の拘束が発覚する。

天安門広場に結集した学生の1人だった浦志強は5月3日、大虐殺の真相を究明する集会に参加した。それが「騒動挑発罪」に触れるとして当局が連行。世界の真正リベラル界隈に浦志強ショックが走った。
▼天安門に立つ浦志強'89年5月(wiki)
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人権弾圧を軸に天安門大虐殺と習近平体制を論じることは、香港を含む海外メディアの論調や政治家の建前論の主流だ。その中、石平さんの天安門論は視野も地域も広く、アジアの安全保障に直結している。

我が国に移り住んでいたからこそ、捉えることのできた視点だ。天安門以降に始まった異様な反日宣伝。新たな危機の到来に、石平さんは沈黙を破り、中共批判の急先鋒として文壇デビューしたのだった。

【南京捏造写真のネガフィルム】

「天安門事件の後、中国共産党政権は、若者たちの彼らに対する憎しみを転化させる為に、人々にとって本来敵でも何でもない日本という国を敵に仕立てたのです」

大虐殺の直後に北京に呼ばれた江沢民は、学生から生徒・児童に至るまでの新たな思想改造を開始した。一般的に「愛国教育」と呼ばれるプログラムは、中共独裁政権の正当性を刷り込むことが目的だった。
▼今年6月3日の天安門広場(ロイター)
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日支事変のあらゆる期間、我が軍から逃げ隠れし、遂に一度も大規模な正規戦を展開しなかった毛沢東軍。そんな野戦ゲリラ風情が事実を歪曲し、架空戦記を紡ぎ上げていった。

「若者たちの憎しみを日本に向けさせることによって、中国共産党政権は安泰になる。その為に行ったのが反日だった」
▼演説する石平さん6月4日(撮影筆者)
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中共による反日プロパガンダは、種々雑多に過去から延々と繰り広げられていたが、天安門以降、より目的が明確になった。天安門の大虐殺を覆い隠す“残虐極まりない蛮行”をクローズアップする…

その筆頭が「南京大虐殺」というフィクションだ。アイリス・チャンの捏造本が全米で話題になったのは、1997年。まだ、天安門広場の陰惨な映像が記憶に色濃く残っている時期だった。
▼重傷者を運ぶ学生6月3日深夜(NG)
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中共宣伝機関は90年代初めに国際社会向けの“南京工作”を用意し、広告塔としてアイリスに白羽の矢を立てたと考えられる。天安門の残像を吹き飛ばすには、ショッキングな写真が欠かせなかった。

アイリス捏造本で紹介された捏造写真・フェイク画像は、天安門大虐殺の陰画なのだ。天安門の蛮行を隠す為の南京捏造宣伝。一体どれだけの米国人が、その黒い意図に気付いたのだろうか。
▼水平射撃が続いた天安門広場
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「日本には中国の人権状況についてとやかく言う権利はない」

25周年に合わせ、人権尊重を求めた安倍政権に対し、中共外交部は逆説教した。デタラメの歴史問題を持ち出して天安門大虐殺を相対化する陳腐な工作は今も変わっていない。

【朝日新聞が隠す本当の大虐殺】

Tiananmen Square massacre

25周年に関する英文記事や写真キャプションの多くに「massacre(虐殺)」の表現が用いられていた。「天安門広場の大虐殺」があの惨劇の国際的な名称である。

我が国の報道で定番となった「天安門事件」という表記も決して誤りではない。「地名(人名)+事件」の括り方は使い勝手がよく、報道機関のほか、捜査機関も多用する。
▼『TIME』'89年6月12日号の表紙
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しかし25年を経た今、既存メディアが当時垂れ流した陰惨な写真を再掲することは皆無となった。若い世代には正確に伝わっていない可能性が高い。例えば朝日新聞は「天安門事件」をこう説明する。

「中国の民主化を訴えた学生らに軍が銃口を向けた天安門事件」
参照:朝日新聞6月4日『重圧下の天安門 事件から25年、共産党批判押さえ込む』 (魚拓)

これでは発砲・射殺したかすら曖昧だ。歴史の事実としては、天安門広場一帯を埋めた学生らに中共第27集団軍が無差別発砲し、戦車で轢き殺した正真正銘の虐殺だった。
▼「1分前の戦車男」(Terril Jones)
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事件ですらない南京攻略戦を「大虐殺」と捏造し、糾弾する朝日新聞にとって天安門大虐殺は「軍が銃口を向けた事件」に過ぎないのだ。そこには中共政権の非道に直面した老害左翼の煩悶が浮かぶ。

大虐殺実行後、中共指導部が敵を日本にすり替えたように、古ぼけた左翼もまた反日に一斉シフトした。それが、河野談話や村山談話を生む90年代前半の異様な反日ファシズムの隆盛に繋がっている。
▼天安門広場近くの舗道'89年6月4日
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当時の我が国の保守陣営は、政府の融和方針も影響し、手緩い対応をしたように思える。天安門大虐殺は、老害左翼を崖下へ突き落とす決定打だった。そして、今も連中が触れたくない歴史の1ページだ。

「天安門大虐殺を永遠に言い続けなければならない」

江沢民風に言えば、そうなる。河野や村山といった売国系政治家、また中共に媚びる反日陣営の全てに対し、ことあるごとに再評価を求めなければならない。天安門という踏み絵を踏ませるのである。
▼制圧された天安門広場89年6月6日(AFP)
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重要なのは、胡錦濤も習近平も当時の虐殺政権の正統な後継者であることだ。中共指導部は一貫して天安門大虐殺を「国家転覆を意図した暴動の鎮圧」と言い張る。

それは最近もチベットや東トルキスタンを巡って、繰り返し耳にするセリフだ。

【悪の中華帝国に民主化の限界】

「25年前に天安門広場で敢然と中国共産党の暴政に立ち上がって命を投げた若者たち…彼らの命が我々に大事なことを教えてくださいました。一番大事なこと、それは中国共産党を絶対に許してはいけない」

基調演説が後半に差し掛かった頃、石平さんは声を震わせて叫んだ。深い心の傷を推し量ることは出来ないが、石平さんが沈黙を破った理由が、説明されているように受け取った。そして魂の慟哭は続く。
▼市ヶ谷演説の石平さん6月4日(撮影筆者)
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「この政権が存続する限り、我々アジア人全員の生命・財産、すべての安全はない」

天安門大虐殺は、25年前の6月に発生し、済んだ惨事ではない。一部の人権弾圧に留まらず、アジア地域の安全保障に連なる大きな問題なのだ。この視点は、欧米のリベラルにも到達不可能なものだろう。
▼石平さん魂の大演説(撮影筆者)
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「丸腰の青年を平気で殺すことの出来る政権。しかも自国民です。その政権が他国民に対し、容赦することがあるでしょうか?」

絶対にない。チベットや東トルキスタンで絶えず、実例を見せつけられている。そこから石平さんは、25年前の民主化要求と同じでは、脅威も危機も去らないことを痛切に訴える。
▼香港にオープンした六四記念館6月(産経)
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「民主化だけでは足りません。中国共産党政権の背後にある問題は、中華思想です。中華帝国という妄想を打ち破らない限り、民主化を果たしても相変わらず諸民族の脅威になるでしょう」

この日の集会には、ペマ・ギャルポ教授ら中共侵略支配国の出身者に加え、ベトナムの代表も参加した。欧米や香港の追悼集会では決して見られない民族構成。既に侵略された国と侵略に直面する国々だ。
▼天安門広場近くの土産物店6月4日(AP)
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事態は、25年前より確実に悪化している。大虐殺を糾弾し続けることなく、中共政権の延命を手助けした国際社会の愚かな行為は、「中華民族の偉大な復興」を謳う攻撃的な指導部を誕生させてしまった。

チベットや東トルキスタンで起きている事柄と天安門の惨劇は、いったい何処が違うのか…25年前の残忍な現場を回想し、この虐殺政権が握手すべきか相手か否か、国際社会は再考する必要がある。




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参考動画:
『天安門事件25周年 東京集会② 基調講演 石平「私は天安門事件で中国を捨てた」』
陳破空氏(亡命作家『日米中アジア開戦』)ゲスト発言2014.6.4天安門事件二十五周年 東京集会#2

参照:
天安門事件25周年 天下園城HP日本語版

参考記事:
□JBpress6月4日古森義久~国際激流と日本『天安門事件を糾弾してこなかった日本米国は25周年イベントで中国に「改心」を迫る』
□AFP6月2日『「虐殺者」と取引に励む世界 天安門25年、人権問題置き去りに』

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