東方よりエンペラー来れり…天皇陛下イングランドの旅

ウィンザー城を舞台にした“ロイヤル・サミット”でも唯一のエンペラー。両陛下の英国行幸啓で59年前の戴冠式の記憶が甦る。当時10代の今上陛下は、対日感情複雑な英国に独り渡られた…
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ロンドン西部・ホーランドパークを訪問された天皇陛下の右手には一輪の花が添えられていた。英国在留邦人の児童から手渡された真紅の椿だ。
▼ホーランドパークご到着5月17日(代表)
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園内には在住の日本人ら500人以上が参集。天皇陛下・皇后陛下は、温かい歓迎にお手を振って応えられた。天皇陛下は、椿の花を携えられたまま「京都庭園」を散策された。
▼京都庭園をご散策される5月17日(AP)
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水と緑に溢れた美しい京都庭園。やがて皇后陛下は、椿の花を受け取られると水面にそっと浮かべられた。和やかで雅やかで、あたかも映画のワンシーンを切り取ったかのようだった。
▼椿の花を水面に浮かべられる(AP)
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天皇陛下・皇后陛下におかれては5月16日より19日まで英国を訪問された。海外への行幸啓は、平成21年7月のカナダ・ハワイご訪問から実に3年ぶりとなる。

長いフライト時間を含めるとご帰国まで計5日間の行幸啓。宮内庁は、現地ご到着後に休息を設けるなど緩やかなスケジュールを組み、天皇陛下のご体調に配慮したという。
▼政府専用機内で寛がれる5月16日(共同)
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今回の英国行幸啓はギリギリとも言える段階で決まった。3月4日のご退院から2ヵ月足らず…その間、2度に渡り、胸水を抜く治療も行われた。4月末の検査を経て閣議決定されたのは5月8日のことだった。

晴れての英国行幸啓は、術後の経過に不安を抱いていた国民を安堵させただけではない。ご皇室の威光を改めて認識する檜舞台でもあった。

【たった一人のエンペラー】

英国ご到着2日後の5月18日、ロンドン郊外のウィンザー城で催された午餐会。世界各国から集った君主らがエリザベス女王在位60周年を祝うメーン行事である。

午餐会は平服スタイルで、天皇陛下は濃紺のスーツ、皇后陛下はベージュの着物をお召しになられていた。ご到着された両陛下を迎えるエリザベス女王の微笑みが印象的だ。
▼エリザベス女王自らが案内5月18日(ロイター)
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ご皇室の高い格式を象徴していたのがメーンテーブルの席次だった。天皇陛下のお席はエリザベス女王の左隣。女王の右隣はスウェーデン国王で、その横に皇后陛下が座られた。

国内の報道では「英王室との親しい間柄」や「お2人の旧交」といった解説がなされていた。しかし、それだけでは済まない。天皇陛下が隣席に招かれたことは、世界史的に大きな意味を持つ。
▼ウィンザー城にご到着(AFP)
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恐らく、差別的な曲解や誤解を受けかねない為、既存メディアに登場する解説者は、直言を避けたのだろう。この栄誉ある席に、欧州の王室を差し置く形で、アジアから招待された君主が選ばれたのである。

それは、20世紀以前のヨーロッパの価値観では有り得ないことだった。われわれ日本人のみならず、全てのアジア人が誇りに思って良い。
▼ウィンザー城内5月18日(ロイター)
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世界で最も長い伝統を持つご皇室が別格扱いされることは自然だ。それよりも寧ろ、この席では英王室がご皇室の伝統と格式に寄り添うような印象を受けた。国際的にも歴史的にも特別な存在なのである。

約30ヵ国の君主・首長が一堂に会した記念行事は、「ロイヤル・サミット」とも呼称された。その中でエンペラーは、天皇陛下ただお一人。エンプレスもまたしかりだ。
▼アレクサンドラ妃と5月18日(AFP)
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キングでもクイーンでもない。ユーラシア大陸の東の果てよりエンペラー来れり…我が国が有史以来の皇国であることを再認識する祝賀行事だった。

【鮮やかに甦る戴冠式の記憶】

「最初から最後まで本当に嬉しそうだった」

随員の宮内庁幹部は、午餐会でのご様子をそう語る。天皇陛下・皇后陛下は、食事の後も室内に飾られた絵画を鑑賞されるなど、ウィンザー城には予定時間を約30分超えて滞在されたという。
▼出迎えのエリザベス女王夫妻(PA)
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「陛下もエリザベス女王も時間を積み重ねてきたのだから、やはり感慨はあるでしょう」

59年前の記憶が甦る。天皇陛下は、1953年に行われたエリザベス女王の戴冠式にご隣席されていた。英国行幸啓前に天皇陛下は、当時を振り返られ、こう仰せられている。

「戴冠式に出席しておられた外国からの代表で、私と同じく、この度再びお祝いの席に出席される方は、ベルギーの現国王アルベール2世陛下お一方と聞いています」
▼アルベール2世国王5月18日(AFP)
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第6代ベルギー国王・アルベール2世は、現在77歳。子を持たなかった兄・ボードゥアン1世の逝去を受け、1993年に即位した。エリザベス女王の戴冠式当時はお二方とも10代の若さだった。

「この時、ボードワン国王陛下の名代として参列しておられたアルベール陛下は18歳、私は19歳という、参列者の中でも最も若いうちの二人でした」

参照:宮内庁HP5月11日『英国ご訪問に当たり天皇陛下のご感想』
▼エリザベス女王戴冠式にご参列(file)
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皇太子時代の昭和28年。天皇陛下におかれては初めての渡英であった。戴冠式ご参列を含むこの行啓は、戦後のご皇室外交の原点とされる。

だが、それ以上に、昭和28年の海外行啓は我が国の戦後外交に大きな足跡を残し、欧米諸国との新たな関係を導き出すものだった。

【極寒の駅に立たれた皇太子殿下】

昭和28年3月30日、皇太子時代の天皇陛下は、横浜港から大型客船プレジデント・ウィルソン号でご出発された。桟橋には多くの国民が詰めかけ、盛大に見送ったという。

渡航先は、ハワイからサンフランシスコに入り、北米を横断して欧州に至る14ヵ国。7ヵ月を超す長期のご外遊だ。その最大の目的が先帝陛下の名代として臨まれるエリザベス女王の戴冠式だった。
▼プレジデント・ウィルソン号(file)
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この14ヵ国行啓の模様は随員の宮内庁儀式課長・吉川重国元男爵が日記スタイルでまとめ、後に『戴冠紀行』という名で出版されている。その中には昔も今も変わりない大御心を偲ばせる逸話もあった。

天皇陛下が鉄道でカナダを横断された時、路線の駅にはカナダ在留邦人が駆け付けた。それをお知りになった天皇陛下は、夜明け前に起きられて氷点下の駅に降り立ち、人々に応えられたという。
▼カナダ横断中の列車にて1953年
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「お若いのにご自身の使命というか、日本にプラスになる事ならなんでもするというお気持ちが窺われ、まったく頭が下がる」

吉川元男爵は、そう綴っている。北米横断の後、NYから大西洋を越え、英国に4月末ご到着された。歓迎会でチャーチル首相は女王への乾杯の前に先帝陛下に乾杯し、予定外のスピーチも行ったという。
▼晩年のウィンストン・チャーチル
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「孫が御祖父さんと会話をしているような和やかさがあった」

耳の遠くなったチャーチルに天皇陛下がお顔を寄せられて話される様をそう記録している。ただし、国を挙げて英国中が歓迎ムード一色だったわけではなかった。

【名誉を取り戻したご皇室外交】

「当時の英国の対日感情は、厳しい状況にあると聞いており、事実、英国の一地域においては訪問が受け入れられなかったような事態もありました」

天皇陛下は、今回の行幸啓に先立って発表された感想で、そう仰せられている。英軍は大東亜戦争緒戦で歴史的惨敗を喫した。国際社会に復帰しても尚、英国内には我が国への厳しい感情が残っていたのだ。
▼戴冠式当時のエリザベス女王と(file)
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それを充分に承知済みのチャーチルは、我が国に批判的な論調の新聞社幹部も歓迎会に招いた。その席で78歳の首相は19歳のクラウン・プリンスに深々と頭を下げ、恭しく迎える様を見せつけたのである。

なかなか出来ることではない。我が国に批判的な英メディアが、その後どう変化したのか記録にはないが、戦後リセットされた日英関係に好ましい影響を及ぼしたことは確実だ。
▼皇太子殿下歓迎する在留邦人'53年(CBC)
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昭和28年の海外行啓で天皇陛下は、米国のアイゼンハワー大統領らとも会談された。敗戦国の若き皇太子として決して気楽な外遊などではなかった。時にはシリアスな局面にも遭遇されたことだろう。
▼オランダの港にご到着'53年7月
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それでも今上陛下は堂々と欧米諸国を歩まれた。短命の総理・外相の外交とは格も意味合いも違う。戦後、我が国が再び国際社会で名誉ある地位を築く過程で、ご皇室が果たされた役割は余りにも大きい。

戴冠式ご参列から59年…今回の英国行幸啓には、その偉大な功績がくっきりと刻まれていた。



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参照:
宮内庁HP『天皇・皇族の外国ご訪問一覧表(戦後)(昭和28年~昭和63年)』

参考記事:
■産経新聞5月19日『両陛下、晩餐会ご出席 チャールズ皇太子夫妻が主催』
■読売新聞5月19日『両陛下、晩さん会に出席…女王と親しく会話』
■イザ5月18日『両陛下、ロンドンの公園をご散策』
■東京新聞5月19日『天皇陛下 隣席でにこやか 英女王 昼食会』
■産経抄5月18日
■中國新聞5月12日(共同)『19歳陛下はつらつと 59年前の海外初渡英「戴冠紀行」』

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