盧溝橋の銃声70年の隠蔽…芽を吹いたシナ反日策動

盧溝橋で事件70周年の反日イベントが行なわれた。真犯人は謎のままだが疑い濃厚なのは当の中共だ。そして同日、遂に映画『南京』が封切られ、反日キャンペーンが再起動した。
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昭和12年7月7日夜に響いた謀略の銃声…

日支紛争の引き金となった盧溝橋事件は、真相が解明されないまま 実に70年が経過した。

現場のマルコポーロ橋(盧溝橋)では例年より規模の大きな反日キャンペーンが進められ、7日午前には活動家らが参加して官製デモを敢行、気勢をあげたもようだ。
▽盧溝橋で行なわれたデモ(時事通信)
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デモを組織したのは尖閣奪取を叫ぶ「中国民間保釣連合会」と「愛国者同盟網」で、盧溝橋事件とは無関係の慰安婦問題や遺棄化学兵器を糾弾するポスターなどを掲げ、堂々と練り歩いた。

今回の70周年関連イベントとして、盧溝橋近くの反日記念館では旧国民党軍の元兵士らが参加した集会も開かれた。紅軍の宿敵だった国民党を巻き込んでの反日キャンペーンであると同時に、台湾総統選を意識した中共の政治宣伝だ。
▽反日歴史館での70周年式典(ロイター)
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また北京市内の公文書館では「記念七七抗戦70周年」と題した特別の展示会を開催。盧溝橋事件に絡んだ反日プロパガンダの毒素を振りまいている。
▽北京市内での特別展(時事通信)
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胡錦濤政権下では、国内の反日活動が抑制されていると言われるが、実際には様々なイベントが組まれ、あやふやな資料を元に日本軍叩きが行なわれているようだ。

2日前の7月5日には盧溝橋で大規模な追悼式が行なわれた他、現場にパネルを並べるなど、観光客向けの反日宣伝に勤しんでいる。その一部のを見る限りでは、盧溝橋事件とは関係のない捏造写真が飾られ、嘘に嘘を塗り重ねていることが判る。
▽盧溝橋に並ぶ反日パネル(ロイター)
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中共を筆頭に反日勢力は、盧溝橋事件が日支紛争の出発点、“侵略戦争”の原点などと主張するが、実際にはそれ程単純に割り切れる事件ではなかった。そして中共の謀略だった可能性も濃厚なのだ。

【闇夜で放たれた銃弾の謎…】

北京の西南18キロの地点に、大理石でつくられた橋がある。その袂には「盧溝暁月」と刻まれた乾隆帝の石碑。13世紀にマルコ・ポーロが訪れたことから欧米ではマルコポーロ・ブリッジとして知られている。
▽盧溝橋(参考画像)
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昭和12年の7月7日、シナ駐屯歩兵第一連隊に所属する第八中隊(清水中隊)は盧溝橋の西側で夜間演習を実施。午後10時半過ぎ、訓練を終えて野営の準備に取りかかっていた時、堤防付近から突如、数発の小銃射撃を受ける。

非常事態を察知して中隊長が集合ラッパを吹かせると、今度はその音源に向かって十数発の射撃を浴びる。これが全ての始まりだった。

さらに伝令兵1名の行方不明を確認。一旦、後方に移動した後、大隊の主力が集結する。そして翌8日午前5時半前、戦闘の布陣を整えていた大隊に対し、一斉射撃が加えられたことで応戦開始。シナ兵力を掃討する。
▽事件当時、盧溝橋に展開する我が軍
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わが軍が早朝に抗戦したのは国民党第二十九軍だった。しかし、問題は7日夜の小銃射撃だ。明らかな不法射撃だが、いったい誰が我が軍を狙って撃ったのか?

70年を経てもミステリーのままだ。

盧溝橋事件は9日に事実上停戦し、11日に停戦協定を調印して事態は収拾する。だが双方が警戒感を募らせ、国民党軍の華北増派を受けて緊張が高まり、一気に戦線が拡大する事態となる。

その引き金となった7日夜の“第一発”は、やはり大きな意味を持つ。真犯人を探る中で、最も興味深いのが中共の大立者・劉少奇説だろう。

【紛争拡大で漁父の利を得た中共】

七七事件(盧溝橋事件)は、劉少奇同志の指揮する抗日救国学生の一隊が決死的行動をもって党中央の指令を実行したものである。暗闇のろ溝橋で日中両軍に発砲し、宋哲元の第二九軍と日本駐屯軍を相たたかわせる歴史的大作戦に導いた。

中共軍兵士に無料配布された『戦士政治課本』という薄いパンフレット。その中の一項「救国英雄・劉少奇同志」に、中共の謀略を明かす記述があった…
▽劉少奇(参考画像)
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戦史家を虜にしたこの謀略説を紹介したのは、元満鉄職員で日本の敗戦後、中共軍に身を投じた葛西純一という人物だ。葛西は昭和28年に帰国して何冊かの本を出版、第二作目でこの話を暴露している。

本人によれば昭和24年末、転戦した洛陽で『政治課本』を入手、持ち帰ったという。だが、現物は公表されず、その本が実在したかどうか、物的証拠はない。また劉少奇が現場にいた可能性は、前後の状況から低い。

しかし、第二十九軍は寄り合い所帯だった。中共の工作員が浸透していたことは明らかな事実で、中共側の資料にも記述されている。そして事件翌日に早くも、中共が即時対日開戦を呼びかける通電を各地に送っていたことは余りにも有名である。
▽盧溝橋近くの反日歴史館(ロイター)
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実際に、中共はシナ制覇の野望を達成する為に、蒋介石政権を対日戦に引きずり込もうと虎視眈々、機会を窺っていた。情報戦に重きを置き、謀略を最大の武器とするのが、今も昔も変わらぬ中共の手口だ。

【中共に呼応して売国新聞が妄言】

中共の謀略紙=『朝日新聞』は、7月7日付け社説で盧溝橋事件に触れ、妄言・珍説を垂れ流した。何としても宗主国と歩調を合わせて反日キャンペーンの片棒を担ぎたいらしい。

参照:朝日新聞社説7月7日『盧溝橋事件70年―もう一歩、踏み出す勇気を』

長い1本社説の割には取り留めがなく、何を主張したいのか不明瞭だが「日本国の首相は南京を訪れろ」と結んでいる。同じく忠犬新聞社の『中日新聞』も社説に盧溝橋事件を採用し「日本は歴史を直視せよ」と叫んでいる。

本当に日本人が社説を書いているのか?
▽盧溝橋に並ぶ反日パネル(ロイター)
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歴史を直視する必要があるのは売国新聞社の方だ。『中日新聞』は説教社説の中で「中国軍」という表現を使っている。そんな軍隊は存在しない。

盧溝橋事件で我が軍と交戦した敵軍は、宋哲元率いる国民党系の第二十九軍。当時の国民党政府が南京に置かれてたことは重要だ。北京にあったのは冀察(きさつ)政権である。

また東部一帯は昭和10年に産声をあげた冀東防共自治政府の管理・支配下にあった。親日政府であるが、華北の状況は「親日・抗日」で単純に色分けできるものではない。まだ軍閥が勢力を保ち、思惑が入り乱れていたのだ。

特に、蒋介石に恨みを抱く西北軍閥の巨魁・馮玉祥(ひょう・ぎょくしょう)も健在で、実権回復を狙うなど華北は混沌としていた。そこに中共の工作活動が加わり、更に、国民政府のテロ組織=藍衣社も亜暗躍…
▽盧溝橋での反日デモ(時事通信)
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老害サヨクの単純史観は、シナ人と日本軍の対立で歴史を裁断しているが、社会背景は複雑で、民族も交錯していた。最大の間違いは、満族や蒙古系と漢民族をひと括りにして「シナ人」としていることだ。

北支の民族モザイクを纏め上げる過程で、スローガンとして使用されたのが「抗日」であったが、それは現在の中共にそのまま引き継がれている。

【7月7日シナ各地で『南京』封切り】

NHKやTBSなど媚中メディアは、盧溝橋事件70周年の関連ニュースで、現地では反日イベントの規模が大きくなかったと一斉に報じている。
▽盧溝橋近くの反日歴史館(NHK)
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大使館を取り囲むような抗議行動は起きなかったようだが、中共はより狡猾な仕掛けを放っている。

あの問題作『南京』が、7月7日からシナ各地で一斉に封切られたのだ。反日キャンペーンを弱めているというのは全くの嘘だ。一部活動家が参加する散発的なデモよりも悪質なものだろう。
▽北京での『南京』上映会(ロイター)
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7月3日には北京で『南京』のプレミアム上映会が盛大に行われ、プロデューサーのAOL副会長テッド・レオンシスも壇上にあがって挨拶を行なっている。
▽北京で取材を受けるレオンシス(ロイター)
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これまでにもシナでは、数多くの捏造南京ムービーが公開されてきたが、『南京』は米国製のドキュメンタリー映画と銘打たれている。洗脳プロパガンダとしては、やり方が巧妙だ。

『解放日報』は封切り前の映画評で、こう伝えている。

「南京大虐殺の事実を外国人の視点で初めて客観的に描いた」

『南京』はシナ国営テレビ=CCTVが共同制作し、証言をするシナ人も当局がアレンジしたのは明らか。お手製の映画を、あたかも米国人が作ったように宣伝しているのだ。それこそ中共の仕掛けた人民騙しのトリックである。

【間もなく迎える通州事件70周年】

南京攻略戦を素材にした捏造映画は、純粋なシナ作品を含めて更に何本も準備されている。もちろん眼目は、今年12月の南京攻略戦70周年だ。
▽『南京』プレミアム上映会(ロイター)
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今年は中共にとって譲れない“反日イヤー”で、様々なプロパガンダを連発して来るだろう。すでに米議会を舞台にした慰安婦謀略は発動済みだ。南京策動と慰安婦策動は両翼で、切り離せない関係にある。

実際に、盧溝橋事件70周年に絡んだパネル展示でも捏造慰安婦が登場し、反日宣伝にひと役買っている。慰安婦捏造ストーリーは韓国が前面に出ているものの、背後でほくそ笑んでいるのは中共だ。
▽7月5日盧溝橋での関連イベント(ロイター)
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熾烈な情報戦の一環である。我が邦も改めて強く警戒しなければならない。それらは常に日本国内の反日勢力と呼応しながら、圧力をかけてくる。

情報戦には高度な情報戦で対処する必要があるが、まずトラップを見抜く眼力を養うことが求められる。とりわけ中共と連携する反日メディアの詐術を読み解くテクニックは必携だ。

「歴史を直視せよ」「現地を訪ねて慰霊せよ」などとご高説を垂れる反日メディアが、果たして3週間後に何を語るか見てみよう。

昭和12年の7月29日は、通州事件が起きた日だ。白昼、日本居留民260人余りが白昼、惨殺された通州の悲劇。無抵抗の幼い子どもや女性が犠牲となった凄惨な事件だった。

この惨劇は教科書からも抹殺され、歴史の彼方に葬り去られようとしている…

直視すべき歴史事実とはこれである。そして日本の為政者が慰霊の花輪を捧げるべき場所は、南京などではなく、通州だ。


     〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考文献:
中村黎著『大東亜戦争への道』展転社
秦郁彦著『昭和史の謎を追う(上)』文春文庫

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