拉致で土井高子を聴取せよ…よど号合流男に別の顔

予定通り帰国後に逮捕された「よど号」合流男。その男は単純なシンパではなく北朝鮮当局から特権を与えられていた…25年前、欧州での土井高子との接触は何を意味するのか。
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北朝鮮滞在20年…謎の人物が姿を見せた。

「よど号」犯と合流し、平壌で暮らしていた米村邦弥(赤木邦弥)が6月5日、関西空港に到着。旅券法違反容疑で警視庁公安部に逮捕された。

サングラスをかけて素顔を半ば隠しているが、学生時代の穏やかな顔立ちとは全く違う印象だ。犯罪国家に長く暮らすと、人間の顔はここまで醜悪に変わり果てるのか…
▽学生時代の米村(赤木)邦弥(NNN)
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米村邦弥(小川淳)の帰国は、予定通りのスケジュールだった。平壌から高麗航空で北京に出国。そこで大阪行きの便に乗り換え、5日夜、関空に降り立った。

公安部は帰国と同時に逮捕。今後、拉致事件ヨーロッパ・ルートなどで取り調べを進める見通しだ。
▽連行される米村(赤木)容疑者(AP)
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この人物の名称はやや複雑である。小川淳のペンネームで知られ、本名は長らく明かされていなかった。最近になって米村邦弥という実名が発覚したが、帰国を前に入籍、赤木姓に変更。法的に本名は赤木邦弥だが、米村姓を隠す為の偽装と見なし、本稿では「米村邦弥(小川淳)」の表記を主に用いる。

米村邦弥(小川淳)は、80年代に北朝鮮入りし「よど号」犯と生活を共にしていたことから、明らかにグループの一員だ。これまでは支援者に近い子分格と見なされていたが、別の顔もあることが判明した。

単なる「よど号」犯の“弟子筋”ではないようだ…

【被害者家族を嘲笑う米村邦弥】

米村邦弥(小川淳)は、昭和56年秋、大阪からフランス経由で、西独に入国。昭和57年から62年まで、ウィーンを活動拠点に欧州反核運動などで暗躍していた。

この反核運動は北朝鮮当局の意向を受け、よど号グループが国際謀略として組織・煽動していたものだった。リーダー格の田宮高麿らは、謀略ミニコミ誌「おーJAPAN」を発刊。
▽発行していた謀略ミニコミ誌
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そこに寄稿すると共に、工作拠点の維持に関わっていたのが米村邦弥(小川淳)だ。

昭和60年に「よど号」犯・赤木志郎の実妹である美智子と知り合い、更に62年4月、旧ユーゴのザグレブで北朝鮮の指導工作員と合流、3人で北朝鮮に入国したことが判っている。

ウィーンで米村邦弥(小川淳)が工作活動を続ける最中、昭和58年には有本恵子さん拉致事件が発生。有本さん拉致では「よど号」犯の安倍公博が国際手配されている。そこに米村邦弥が関与した疑いも濃い。
▽北京空港での米村(赤木)容疑者(JNN)
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警視庁公安部は、有本さん拉致事件に関しても追及を行なう方針だが、米村邦弥(小川淳)は5日、北京空港での取材に、こうシラを切っている。

「北朝鮮が関与したのは間違いないのだから、よど号グループが関わっていれば、日朝交渉の中で明らかになったはずだ」「日本人を北朝鮮に入国させたことがあるとは聞いているが、日本に帰れなかった人はいないはずだ」

被害者家族の感情を逆撫でし、まるで嘲笑うかのような非道コメントだ。平壌で実際に接触した経験を持つジャーナリストの高沢皓司氏は、こう指摘する。
▽高沢皓司氏(FNN)
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「有本恵子さんを知らないことはないと思う。なぜなら、僕と田宮(よど号犯リーダー)がそういう話をしているのを、彼は横で聞いている」

更に、この米村邦弥(小川淳)に問われているのは、有本さん拉致事件だけに留まらない。

【ウィーン暮らしの財源は何か?】

米村邦弥(小川淳)のウィーン生活には奇妙な部分が多い。

ウィーンで暮らしていたアパートが判明しているが、高級な趣きを備えた建物の一室だ。大学を中退して欧州旅行を続けていた若者に、部屋を借りるだけの財力があったのか?
▽米村が暮らしていたアパート(ANN)
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早い段階から米村邦弥(小川淳)には「よど号」犯=北朝鮮を通じたカネが流れ込んでいたと見る。プラザ合意以前の円が安かった時代、物価高のオーストリアで暮らすのには一定の資金力が必要だ。

永世中立国オーストリアのウィーンには北朝鮮大使館があり、古くから工作拠点だった。欧州の北朝鮮工作基地は旧ユーゴのザグレブが中心だったが、当時のウィーンは連中にとって正に“西側への窓”だった。

昭和55年に起きた石岡亨さん松木薫さん拉致では、在日朝鮮人の父を持つ森順子や、若林佐喜子など「よど号」妻が関与していた。彼女らが、石岡さん松木さんをウィーン旅行に誘っていたことも判明している。
▽若林佐喜子(左)と森順子(右)
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米村邦弥(小川淳)のウィーン入りは昭和57年で、時期は重ならないが、ウィーン工作拠点の内情を知るうえで鍵になる人物だ。公安部は米村を追及し、森順子・若林佐喜子の拉致容疑での立件も視野に入れている。

果たして、どこまで実情を知り得る立場に居たのか?

更に、米村は平壌で拉致被害者と接触していた可能性も指摘されている。

【拉致被害者の居住エリアに出入り】

米村邦弥(小川淳)は、なぜか朝鮮労働党からの信頼が厚く、拉致被害者が監禁されていた「招待所」への自由な出入りも許可されていたと報じられている。
▽米村邦弥=小川淳=赤木邦弥
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米村が複数の拉致被害者と接触してた可能性もあるのだ。

その招待所とは平壌市北部の郊外に位置する「大陽里(テヤンリ)招待所」だ。そこには蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、更に横田めぐみさん一家も暮らしていた。

3家族は昭和61年(86年)末までに、南部の招待所から大陽里に移されている。米村が北朝鮮に入国したのは、その翌年だ。逮捕前の共同通信の電話インタビューに米村は、こう答えている。

「1987年4月に北朝鮮へ入国して平壌郊外の招待所で過ごし、91年によど号グループと合流して一緒に生活するようになった」
▽連行される米村(赤木)容疑者(AFP)
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額面通りには受け取れないが、一定期間、招待所に居たことは確かだろう。招待所に自由に出入り出来るほど、当局から信頼されていた背景には、何があるのか?

「よど号」犯の“弟子”と見られた男は、ダイレクトに北朝鮮当局と繋がっていた形跡があるのだ。

【特権を与えられてた第三の男】

平成6年(94年)に米村邦弥(小川淳)と共同で写真集を編集した高沢氏は5月、FNNの取材に対し、米村の意外な印象を語っていた。

「朝鮮労働党の方から命令されて、よど号メンバーと僕との間の関係を監視している役とか、そういう形の命令をされているんじゃないかなという印象を持ちましたね」

米村は単なるシンパに留まらず、逆に「よど号」メンバーらを監視する側でもあったようだ。俗に言うダブル・エージェント的な側面も窺える。

招待所への自由な出入りを許された人物は、「よど号」グループも知らない部分で朝鮮労働党との深い関係があったのではないか…
▽連行される米村(赤木)容疑者(FNN)
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米村邦弥(小川淳)は、北朝鮮行きを決めた背景について関係者に、こう明かしていたという。

「北朝鮮という謎めいた国に興味がわき、取材してみたいと考えた」

だが、素性の分からない青年を簡単に招き入れるほど北朝鮮は無防備な国家ではない。

FNNの報道によれば、米村は「用事がある」と言って頻繁に北京の北朝鮮大使館を訪れていたことも判明している。中朝の頻繁な移動は、他の「よど号」妻などにも与えられいない特権だ。

小川淳の名前で、金日成の死亡に絡んだ写真集を出版できたのも、当局から特別な立場を与えられていた事実を示している。 特殊な存在であったことは確かだ。
▽94年に出版された北朝鮮写真集(JNN)
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ウィーンで工作拠点を築いていた時点から、米村邦弥(小川淳)は既に朝鮮労働党から別系統で指令を受けていたのではないか?

更に遡れば大学在中、欧州へ渡る前から何らかの繋がりがあったの可能性も考えられる。瀟洒なアパートに居を構えられる程の潤沢な手持ち資金も、それならば辻褄が合うだろう。
▽アパート(工作拠点)の1階部分(ANN)
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米村邦弥(小川淳)が“特殊な身分”であれば、土井高子との接触も奇妙ではない。

【誰がウィーン謀議のシナリオを描いた?】

この米村と土井高子がウィーンで接触していた事実は、5月11日付けエントリ「土井高子と北鮮の共同謀議…亡命20年謎の男帰国へ」で触れた。

土井がウィーンを訪れたのは昭和57年。北朝鮮の偽装機関誌『おーJAPAN』への寄稿が4月号であったことから、その年の春頃と想定される。米村がウィーン入りした直後だ。
▽奥に土井、右端に米村(電脳補完録様より)
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あまりにもシナリオが出来すぎている。

当時、土井高子は、巨額の朝鮮裏献金で社会党の権力中枢に登り詰めていた時期だった。社会党そのものも朝鮮労働党の日本支部であったが、土井は特別なエージェントだった。

土井のウィーン訪問、そして「よど号」支援者との謀議をセットしたのは北朝鮮工作組織だ。野党の女性議員が在外のサヨク学生とお話しした…などという甘いものではない。高度な政治的陰謀が背後にあったのだ。
▽別写真にも土井が登場(ANN)
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米村邦弥(小川淳)は、熊本出身だが、出国するまでは神戸大学に在学していた。神戸は朝鮮総連の関西最大の拠点であり、土井高子の地盤だ。

単なる偶然とするには関係性があり過ぎる。

【土井高子を拉致事件で引っ張れ】

赤木容疑者こと米村邦弥(小川淳)が、朝鮮労働党と繋がりの深いエージェントであれば、今回の帰国は不自然に見えるだろう。事実を知る男を送り出すはずはない…
▽連行される米村(赤木)容疑者(朝日新聞)
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そう考えるのは自然だが、実際に、米村邦弥(小川淳)に課せられるペナルティは、旅券法違反という超微罪だ。再逮捕の案件がなければ拘留尋問の期間は短く、捜査当局には充分な取り調べを行なう時間ががない。

そして他の帰国済みの「よど号」妻と同様に、直ぐに一般市民として生活を送ることが可能だ。公安は徹底マークするだろうが、法的に限界がある。北朝鮮当局は、そうした日本の法のシステムを知っているのだ。

更に北朝鮮サイドは「よど号」事件絡みでは、公安が及び腰になることも承知済みで、送り出したに違いない。
▽北京空港での米村(赤木)容疑者(JNN)
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今回の帰国でも、6月2日に弁護士と代理人の2人が平壌まで米村を迎えに行くなど暗黒弁護団が公然と姿を見せた。ちなみに代理人とは、よど号支援団体「かりの会」代表の山中幸男と見られる。

そうした国内のテロ支援グループからも、すっかり舐められているのが実情だ。連中は法治国家の弱みを悪用してくる。だが、いつまでもテロ支援者の高笑いを許してはならない。
▽帰国便で余裕を見せる米村(赤木)容疑者(NNN)
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拉致被害者の拘禁が続く中、加害者側が平然と日本で暮らすような理不尽な現状を打破する時だ。土井高子と米村のウィーン接触は幸い証拠写真も残っている。

警視庁公安部は拉致事件で直接、土井高子を事情聴取せよ。そして、現・社民党本部にもガサ入れだ。


     〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考記事:
産経新聞6月5日『赤木邦弥容疑者が到着、逮捕 北朝鮮でよど号犯と生活』
四国新聞6月5日『91年によど号グループと合流/赤木容疑者、拉致被害者「知らない」』
西日本新聞6月3日『熊本出身の男 5日帰国 「よど号」合流 北朝鮮から 代理人らが平壌へ』
毎日新聞6月5日『赤木容疑者:北朝鮮から帰国、逮捕へ有本さん拉致追及』

読売新聞2005年5月8日『拉致被害者新証言「招待所」は7戸』

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