在日特権を生んだ戦後の闇…“内戦”が始まった8月

「在特会」の発足会に足を運んだ。ようやく始まった在日特権への反撃である。今までは在日問題は歪められ封じられてきた。中でも封印され続けてきたのは終戦直後の「権力の空白」期間だ。
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都内のホールで20日「在日特権を許さない市民の会」の発足イベントが行われ、筆者もこっそり駆け付けた。

イベントは3部構成で午後3時から6時までの約3時間。会場には160人を超える賛同者が詰めかけたもようだ。在日寄りの市民集会は数限りなく開かれているが、その逆は少ない。真正面から在日特権を問い掛ける集いが挙行されたことは画期的だ。

会場に足を運んだ方々は多様だったが、若年層が多かったように見受けられる。旧来のアンチ左派的な政治イベントや講演会には、曜日にもよるが、中高年層の参加者が目立つものだ。その点「在特会」(略称)に賛同する層は趣が異なる。

桜井会長による開催宣言に続く基調講演には、敬愛する西村幸祐さんが登場し、在日問題の基本的な捉え方と反日マスコミ、本国との関係性などを語られた。

「在日問題が終わらないと戦後はおわらない」といった言葉などが印象的だった。

更に『コリアン・ザ・サード』(オークラ出版)を上梓したばかりの新井和真さんら4方による座談会が行われるなど内容の濃いイベントだった。
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「在特会」の会員数は既に500人を突破している。発足間もない時点で驚異的な数だ。拙ブログは協賛サイトとして名を連ねさせて頂いている。
『在日特権を許さない市民の会』Webサイト

桜井会長は「在特会」の活動にあたって、在日特権に関する認知拡大の必要性を強調されていた。多くの国民に、在日特権が存在することを普く伝えていく段階にあるという指摘だ。筆者もその認識を強くした。

【秘匿されていた在日特権】

10月末に毎日新聞の不敬記者・朴鐘珠事件が発覚した。

だが、朴事件は一部週刊誌などが僅かに報じた程度で、メディアに露出することはなかった。大新聞にも反日外国人記者が根を這っている事実は、多くの日本人に広く伝えられていない。

今にいたっても、ネットと無関係な国民は朴鐘珠事件の存在そのものを知らないだろうし、今後、知る機会も殆どないだろう。何しろ新聞・テレビ、雑誌が取り上げなければ、特定の情報は広がりを見せない。

「口コミ」もあるケースでは有効に作用する情報伝達の手段だ。

しかし、在日絡みの話題は、気軽に話される類いのものではないだろう。タブー視される問題こそ、噂のカタチで伝わる傾向があるが、在日問題はその例に漏れるようだ。

特に在日特権は、長らく隠匿されてきた核心部分だ。

日本人の預かり知らない所で権利が拡張され続けて来た。多くは行政への集団圧力で生まれたものだが、90年代に入ってからは「特別永住資格」といった法的根拠も確立するに至る。

法整備されてしまった権利を再び奪うには実に労多く、長い道のりを覚悟しなければならないだろう。

戦後半世紀以上をかけて彼らが獲得した権利を見直し、是正するには多くの日本人が問題意識を共有する必要がある。

しかし、今はまだ在日特権の存在を広く伝える段階だ。その後で、在日特権をどう処理するかといった具体的な作業に入ることが出来る。

在日問題の見直し論は最近始まったばかりだ。

【不完全だった米軍の占領統治】

「可哀相な半島出身者…」

そのイメージは、長い歳月をかけて築かれてきた。延べ何億人がダマされたのか…壮大なフィクションである。逆に気宇壮大な嘘であったから、誰もが根拠を問わずに信じてしまったのかも知れない。

ウソは仕掛けが大きいほど相手を騙し易いという好例である。

“強制連行”捏造神話にしても“従軍慰安婦”妄説にしても、つい最近まで史実と曲解されてきた。河野売国談話が出されたのは90年代だ。在日神話の見直し論は新しいテーマであって、未発掘の資料が多い分野である。

その中でも取り分け資料に乏しいのが終戦直後からの数年間だ。

話は唐突にイラクに飛ぶ…

20日午後、バグダッドで米軍ヘリが墜落し、13人が死亡。また中部のカルバラでは宗派間の武力衝突で5人の兵士が命を落とした。戦闘終結後の米軍の死者は3,000人を超え、戦闘時を上回っている。
▽米軍ヘリ墜落現場(AFP)
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イラクは内戦状態に置かれ、米軍の思惑通りに事態は推移しなかった。

こうしたイラクの状態を日本の占領統治と比較して論じる評論家もいる。だが、日本の占領統治はそれほどスマートなものだったのだろうか?

玉音放送を耳にして日本人は一瞬で変わったと伝えられる。矛を納め、占領軍への激しい抵抗・内乱は見られなかった。

それは正しい。

しかし、あくまでも「日本人は」である。

【8月15日から始まった大規模叛乱】

終戦によって権力の空白が生まれ、その隙に乗じて食糧などが多く保管されていた軍施設の略奪も各地で続いた。 同時に地位の逆転現象も起こった。それはイラクのシーア派住民にも似ているだろう。

8月15日を境に、朝鮮半島出身者は戦勝国民を名乗り、日本人に対して横柄に振る舞い始めた。その狼藉ぶりを横柄と表現するのは甘過ぎるようだ。

新潟・直江津駅の撲殺事件など、在日による日本人へのリンチ殺人・集団暴行・強盗は全国で数限りなく発生している。

占領下で発生した在日朝鮮人による違法行為は1万2,000件以上。しかし、これは記録に残る件数で、摘発されなかったケースは膨大と想像できる。

占領軍として進駐したある元米軍関係者は、常に拳銃を携行し、警察権力を無視して拘束・尋問を行っていたと回想している。日本の警察は権威も権力も失っていたようだ。
▽GHQ本部前
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終戦と同時に、我が国の警察機構にも重大な変化が起きた…

憲兵隊(陸軍省統括)
特高警察(内務省管轄)


国内の治安維持に勤めていた2種の機関が解体されたのだ。思想犯・アナーキストらを取り締まり、情報を管理していたのは通常の警察ではなく、この2種の特別機構だった。

つまり、終戦によって我が国の警察は1本の手をもぎ取られてしまったに等しい。

その状況下で出獄した共産党員たちは、総連の前進である「朝連」と共闘し、各地で騒擾を誘発していた。事件が続発したと言うよりも、一部では内乱状態に近い感覚だったろう。

アネーキスト達にとっては内戦の始まりでもある。

【在日“治安機関”の出現と横暴】

少数の占領軍憲兵(MP)が、イラクの2倍の人口に当たる列島を十全に管理できていたとは到底考えられない。イラク程ではないにせよ、戦争が終結したと同時に、大きな混乱、そして別の戦いが発生していたのではいか。

GHQは進駐したものの在日半島人についての予備知識が殆どなく、初めて言及したのが終戦から4ヵ月後のことだった。その指令では在日朝鮮人を“解放人民”として処遇する旨が記されていた。

「戦勝国民が敗戦国に従う必要はない」

そう叫び、集団化した半島人に対して日本警察は微力だったとも伝えられる。

不気味な写真が何点か残っている…

▽『北朝鮮利権の真相』(宝島社)より
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上の写真は、昭和24年に撮影された「朝連」本部入り口の様子だ。ブーツに警棒など軍装に近い。我が国の治安警察が解体される中で彼らは自警団を組織したが、写真を見ると、まるで占領軍兵のようである。

朝連=在日本朝鮮人連盟は、昭和20年10月に結成大会を行い、24年9月に「暴力主義団体」指定を受けて解散命令が下るまで、横暴を続けた。

空白の4年間が確実に存在していた…

その時に何が日本列島で起きていたのか、情報は限られ、実態は殆ど明かされていない。これが戦後史の大きな闇のひとつだ。日本人が余り語りたがらない暴力の渦が広がっていたのではないか。

朝連はその後、民戦=在日朝鮮統一民主戦線となるが、穏健な団体に変化したのではない。

占領統治が終わった昭和28年の写真(下)でも、彼らはヘルメットや警棒を装備し、軍隊然として出で立ちだ。
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民戦が朝鮮総連に生まれ変わる僅か2年前の写真である。朝鮮総連が元は暴力主義団体として産声をあげた「悪の履歴」がよく判る。

そして、戦後の権力の空白機関には実効支配も進められていた。

闇市である。

【闇市の実効支配が問題を闇に包んだ】

「戦後のドサクサで…」

そんな言葉を度々耳にするが、実際はもっと根の深い問題が潜んでいるだろう。関東・関西を問わず、全国各地の主要な都市には闇市が誕生していた。

関東圏では私鉄を含め、駅前には闇市が大小問わず存在していたようだ。この闇市を支配していたのが朝鮮人たちである。

闇市は台湾人や日本人のテキヤも中心となって縄張り争いが続いたが、その中で権勢を振るっていたのは、やはり朝連系の朝鮮人のようだった。
▽都内の闇市(映文連HPより)
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あるテキヤの親分はこう回顧している。

「朝連と聞くと誰も入ってこない。何よりも警察が怖がって近づかないので助かった」(前掲書205P)

その親分氏は、朝連に守られて闇市の商いが出来たとも述懐している。朝鮮人による駅前一等地の実効支配である。

法的な根拠もなく、ただ日本人を威圧して陣地を強奪したのが実状だ。これで、なぜ駅前の一等地に今もパチンコ店が並んでいるのか、合理的な説明がつくだろう。

そして、戦後の暴力団が組織された時、すでに在日朝鮮人をビルトインしていた背景も理解できる。

闇勢力の誕生だ。

終戦と同時に立ち現れた闇は、戦後60年を経た今でも厳然として駅前の風景に残っている。

そして、資金源を確保した在日勢力はやがて社会主義政党に接近し、最大野党との連携を完成。さらには自民党の大物政治家を巻き込んでブクブク太り続ける。

在日問題は「日本の闇」を抱きかかえたまま現在に至っているのだ。

闇の源泉は、終戦直後の権力の空白期間にある。そこで何が起きていたのか、徹底解明する必要があろう。これまで学問的に研究された事の少ない未開のジャンルだ。

だが、今こそ封印を解いて事実解明を進め、日本国民に真実を知らさなければならない。終戦直後の目撃者が多く残る今なら間に合う。

在日問題とは単なるマイノリティーの問題ではなく、戦後の列島を覆う裏面史である。

それらを直視し、解き明かさなければ、我が国の戦後は本当の意味で終わらない。同時に「戦後の闇」を次の世代にも継承することは許されない。


          〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考文献:
1『北朝鮮利権の真相』2003年宝島社
~佐藤勝己氏:寄稿文
「暴力と“逆差別”から生まれた在日利権」

2『ザ・在日特権』2006年宝島社
~野村旗守氏:寄稿文「朝鮮人タブーのルーツから新・在日問題まで」

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