復党問題で因縁の対決…中川秀直は新たなドンか

復党問題でW中川が激突した。その裏には平沼赳夫と中川秀直の因縁が見え隠れする。このところの中川幹事長には不信感を抱かざるを得ない。それは森元首相が“奥の院”から去ったことと何か関係があるのではないか?
画像

郵政造反組の復党には、シナリオが用意されていると考えていた。それは高支持率を誇りながら、任期通り勇退した小泉前首相の決断に絡むものだ。

想像していたシナリオ…

☆郵政解散を決断する際に、小泉首相(当時)は、党内の反発を緩和するために「選挙で負けたら即辞任、しかし、勝っても任期で勇退」と執行部に明言。

☆総選挙は大勝したが、直後に、小泉首相は党規約を守り来9月に勇退すると表明。

☆後継総裁の決定後、2006年内に造反組の復帰。

つまり、小泉勇退は造反組復党のためだった…

このシナリオ通りならば、党内の復党手続きには何ら障害がないはずだったのだが、現実は違ったようだ。

【中川幹事長はトウ小平?】

復党問題の責任者である中川秀直幹事長は10月末に「踏み絵を踏んでもらう」という強硬な発言をして物議を醸す。

その後、水面下での調整が進んでいたようだが、当初設定した期限ギリギリになって復党組代表の平沼赳夫元経産相が強く反発し始める。

手打ち会談が開かれる前日、平沼元経産相はこう語っていた。

「私も国会議員なので、多数決で決まった郵政民営化の法律は認めなければならない。しかし、やり方には無理があった。踏み絵にすることには納得がいかない」
画像

平行線のまま翌22日夕方に国会内で平沼・中川会談が行われた。時間は僅か25分程度だったという。

結果は決裂だ。

中川秀直幹事長は「反党行為の自己批判」「安倍政権公約順守の誓約書提出」を要求。

平沼元経産相は厳しい復党条件を呑まず、回答を留保した。

ここまでは充分あり得る展開だった…しかし

翌23日、中川昭一政調会長が突然、中川幹事長を指弾する。
画像

「われわれの同士、一緒になってやろうじゃありませんか。なんか総括しろとか、反省しろというと、なんか天安門事件を思い出すんですけども。政治には、最後には情ってもんがあるだろうと」

この発言は中川幹事長の「平沼先生も信念の政治家と敬意を払っているが、わが党も信念を通さなくてはいけない」という発言を受けたのもだった。

なぜ中川政調会長が「天安門事件」を引き合いに出したのか…キーワードは“復帰”と“ 信念”だ。

天安門事件後、トウ小平は反旗を翻した趙紫陽元総書記に手紙を送ったとされる。

「事件で武力弾圧に反対した罪を認めるなら復帰を許す」

対して趙紫陽はこう突っぱねる。

「反対は信念に基づいたものだ」

中川政調会長がこのエピソードを流用したことは明らかだろう。秀直幹事長にトウ小平の影を重ねたのだ。

痛烈な皮肉である。

【平沼・秀直の因縁対決】

中川政調会長と平沼赳夫元経産相は思想信条が近いばかりではなく、平沼が昭一の父・中川一郎の秘書を一時務めるなど深い関係があった。

さらに98年の三塚派のお家騒動も絡んでいる。自民右派の合従連衡だ。

三塚派とは森派を経た現・町村派である。

少しややこしくなるが自民党右派の流れを見るうえで重要だ。

自民党右派にはかつて中曽根派と安倍晋太郎派(清和会)という2大勢力があった。この2グループが98年に複雑に交錯する。

安倍派を継承した三塚派では森喜朗グループと亀井静香グループの対立が先鋭化。

総裁選で小泉を推す森グループに反発し、98年9月に亀井グループが派閥を飛び出す。この時、平沼赳夫と中川昭一も清和会に別れを告げて亀井に同調する。

一方の中曽根派を継承した渡辺派も分裂する。山崎拓が若手を率いて独立し、山崎派を結成。派閥のドンだった中曽根康弘らベテラン議員は亀井グループと合流。99年3月に「志帥会」が結成された。

「志帥会」は少し前までは江藤・亀井派と呼ばれていたが、今は伊吹派だ。これによって確信的保守の中川昭一が伊吹文明の下にいるのだ。

ややこしいが、22日の平沼・秀直会談と23日のW中川対決には、98年からの因縁が色濃く反映されているように見えた。
画像

平沼赳夫も抗争がなければ、森派の重鎮となっていたはずだが、その座には今、中川秀直が就いている。

胸中、複雑であろう。

98年の分裂で森喜朗に付いた中川秀直が党の大番頭となり、かたや平沼赳夫は衆院の無所属席に収まって質問の機会さえない。残酷なものだ。

【キングメーカーの余生】

衆議院会館の自室に堂々と御真影を飾り、右翼議員のレッテルを貼られていた男がいた。森喜朗である。

小渕総理の急逝を受けて、森首相が誕生した時、朝日新聞を中心にした反日マスコミは強い警戒感を抱き、なり振り構わぬバッシングを始めた。

森喜朗=シンキロウ=蜃気楼

などは序の口でTVのコメンテーターは公共の電波で首相を「サメの脳」と笑い、裏口入学説も流布された。

更に、今となっては何が問題なのか判らない「神の国」発言では創価学会と組んで「政教分離に反する」と大合唱。支持率はヒト桁台に突入して無惨に下野した。

保守層の期待も裏切り、その後の小泉政権下でも森元首相は怪しい動きを続けた。

それでも最近11月21日から3年ぶりに台湾を訪問し、勲章を授与される姿は堂々としていた。
画像

どこか吹っ切れた印象だ。

自民党に台湾派と呼ばれるグループが存在することを中共に見せつけた格好だ。森喜朗の首相としての功績は、外務省の猛反発をねじ伏せ、政権末期に李登輝前総統の入国ヴィザを発給させたことだ。

根っからの親台湾派であった森喜朗は、キングメーカーとして権勢を振るったいた頃は、爪を隠していたようだ。
画像

そこに自民中枢と中共政権との不可解な関係が垣間見える。有形無形の利権が、自民の大物議員を北京に接近させると想像するが、実態は不明だ。

あくまで推論だが、院政を敷いていた頃の森元首相もその磁力に身を任せていた…それが吹っ切れたのは簡単な理由かも知れない。

何かを譲り渡したのだ。

誰に?

中川幹事長へである。

【派閥会長を棄てた理由は何か?】

先月、森派は町村派に名称を変えた。清和会の会長に町村元外相が就任したことで、便宜的にそう呼ぶのだが、実質的なドンは中川秀直である。

森元首相は10月30日の産經新聞とのインタビューでこう答えている。

「私がいつまでも会長を続けたら、ますます私への依存度が強くなり、次の後継者が育たない。で、引き際を見計らっていたら、中川秀直氏が幹事長になった。では町村氏をマウンドで投げさせようと。エースになるかは彼次第だ。みんなの評価と本人の自覚。中川氏が帰ってきたら、今度は町村氏が執行部などに出ればいい」

中川秀直への派閥継承は約束されているようだ。

まず、森元首相がキングメーカーのポジションを放棄した理由が判然としない。

これまで田中角栄、金丸信、竹下登という平河の“奥の院”で総理総裁を操った人物は、3人とも悲惨な末路を辿った。それは自民党が抱えるダークな部分と無関係ではなかったはずだ。

森元首相は何かを怖れて権力を手放したように見えてならない。その何かが単純にゼネコンなど巨大企業との癒着構造であれば、とっくに暴露されているだろう。

別の形だ。国税当局が踏み込めないカネの流れではないか。

また推論に推論を重ねることになるが、自民党に巨大な闇の利権構造があれば、それは「自民の裏表を知り尽くした男」小沢一郎が知らないはずがない。金丸信と一緒に暗躍し、海部時代は「影の総理」の異名を持った男だ。

恐るべきシナリオは、小沢一郎と中川秀直が裏で手を結ぶケースだ。もし、小沢と秀直が結託したら、国会を自在に操れるだろう。

現在、自民党の国対委員長には最も信用ならない二階俊博が就いている。マスコミは二階を「小沢の宿敵」と評しているが果たして、そうか?

教育基本法を巡っては審議拒否で民主党は大失点を犯した。

しかし、週明けに始まった審議を見る限り、与党の国会運営は野党に大幅譲歩している。

民主党の高木国対委員長の求めに応じて短時間だったが、月曜日には衆院特別委での審議まで行われた。法案が可決成立し、参院に送られた後での衆院特別委開催は異例中の異例である。

急に静かになっているのは民主党だけでなく、自民党も同じだ。大攻勢をかけるチャンスをみすみす逃している。

いま国会で何が起きているのか、慎重に見届ける必要がある。

復党問題に耳目を奪われている場合ではないようだ。

        〆
ランキングに参加しました
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります

banner1

"復党問題で因縁の対決…中川秀直は新たなドンか" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント