拉致解決“零余子”作戦の幻…帰還を待ち続けた43年間

“教え子”の証言を発端に準備された警察の拉致解明大捜査は、政治圧力で幻に終わる。八重子さん不明の連絡を受けた初夏の日から43年。飯塚さん父子が3人で抱き合う夢は叶わなかった。
読売東京都内で開かれた集会で、田口八重子さんの写読売写真を見せ被害者救出を訴える飯塚繁雄さん(2014年11月.png

「祖国を裏切って親を捨てた女について話をする価値はない」

北朝鮮外交部高官は2010年7月、素っ気なく言った。裏切り者とはKAL機爆破テロの金賢姫。事件発生から23年目にして初めて北朝鮮は自国が送り込んだ工作員の存在を認めた。

粛清確定の大失言である。北朝鮮は一貫して金賢姫について「過去も現在も存在しない」とし全て南のデッチ上げと説明してきた。北高官は失言後も海外で目撃されたが、やがて表舞台から姿を消した。
▽実在を認めた北外交部のリ・ドンヨル’17年(連合)
連合Ri Dong-Il North Korea.png

この失言は、日本メディアの取材で偶発的に飛び出したものだった。当時、民主党政権が招待した金賢姫を巡り、我が国では賛否両論が沸騰。新たな情報はなく、国内のヘリ移動は遊覧飛行とも揶揄された。

政治ショー的な政権の宣伝は鼻についたが、拉致被害者家族との対面は別だった。軽井沢で再会を果たした飯塚繁雄さん耕一郎さんの表情は穏やかで、全ての雑音を払い除けるかのような印象を覚えた。
▽飯塚さん父子と金賢姫H22年7月(産経)
産経金賢姫来日 飯塚耕一郎さんら面会.jpg

「北朝鮮が嘘をつき、事件が捏造だという話に対して、広く内外に事実だと訴えた。その確認が出来たという大きな結果が出た」

来日後の衆院・拉致問題特別委で飯塚繁雄さんは意義を強調した。前年の釜山での対面に続き、元工作員が繰り返し、北に残された被害者の生存を力説したことは、家族ならずとも勇気付けられた。

金賢姫は日本人拉致事件のキーパーソンである。日本語教育係だった「李恩恵(リ・ウネ)」に関する証言から田口八重子さんが浮上。北朝鮮が国家ぐるみで拉致を実行している事実が判明した。
▽南鮮で初対面した飯塚さん父子H21年3月(産経)
産経093釜山.jpg

「北朝鮮による拉致の疑いが充分濃厚です」

伝説となった昭和63年参院予算委の梶山答弁も質問の端緒がKAL機爆破事件だった。金賢姫が所持した偽造旅券の問題から、北工作員の暗躍、連続アベック行方不明事件の背景へと続く。

しかし、梶山答弁が殆ど報道されなかったこともあって、拉致事件は国民の一大関心事にならなかった。そして田口さんの消息判明により、あろうことか、飯塚さん一家が苦境に立たされる。

【報道陣リークで苦悩を深めた飯塚家】

「妹さんかも知れません」

昭和63年の或る日、自宅を訪れた埼玉県警の捜査員は、そう言った。飯塚繁雄さんは、妹・八重子さんの嗜好や癖などについて細かく話したが、捜査への全面協力に戸惑った。

行方不明になった妹が外国、しかも北朝鮮に居るという話は直ちに受け入れられるものではない。同時に飯塚さんには、一緒に暮らす家族を守る義務があった。
▽地元で署名活動に励む繁雄さんH15年(毎日)
スクリーンショット 2021-12-22 21.30.12.png

田口八重子さんは昭和53年6月、勤めている池袋の飲食店を出た後、消息を絶つ。飯塚さんは託児所に残された幼子を保護し、実の息子として育てていた。事件当時、耕一郎さんは1歳4ヵ月だった。

「李恩恵という日本から拉致されてきた女性から日本人化教育を受けました」

飯塚家の非日常は同年1月にソウルで開かれた金賢姫の会見から始まった。警察庁は捜査員を南鮮に派遣し、李恩恵に該当する失踪者の割り出しを進めた。そこに八重子さんがリストアップされたのだ。
▽繁雄さんの長女抱く八重子さん14歳(救う会HP)
繁雄さん長女を抱く14歳当時.jpeg

この時点ではリスト上の1人に過ぎなかったが、金賢姫が思い出した李恩恵の特徴など60項目が八重子さんと一致。平成3年5月、埼玉県警は身元を断定し、匿名報道を条件に会見で実名を示した。

「李恩恵イコール田口八重子と判明し、単純にいうとメディア・スクラムや近所からの嫌がせを受けることになった」

飯塚耕一郎さんは当時の状況をそう語る。報道陣が昼夜問わず押し掛けて悪評が立ち、また「テロの協力者」といった誹謗中傷も受けた。拉致被害者の家族が攻撃される異常な事態だ。
▽小学校卒業式の耕一郎さん平成元年(川口市HP)
小学卒業式の耕一郎さん平成元年.png

生みの母親について耕一郎さんに明かしていなかった繁雄さんは、ただ耐えて嵐が過ぎ去るのを待った。耕一郎さんが事実を知るのは後年、パスポートを作成した時だったという。

「戸籍謄本にある通り、お前は実子ではない。私の兄妹には一番下に八重子という妹がいて、その子供なんだ」(2月10日付けBBC)

繁雄さんは成人した耕一郎さんに全てを語った。想像を絶する実母の身の上話だ。拉致されて北朝鮮に居て、元教え子は旅客機爆破事件という国際的な大事件に関わった…
▽南鮮に移送された金賢姫’87年(共同)
共同’87年南鮮に移送された金賢姫.jpg

衝撃の事実を知った耕一郎さんは当時、22歳。八重子さんが拉致されてから実に20年以上の歳月が流れていた。

【拉致組織殲滅“零余子作戦”の不戦敗】

田口八重子さん拉致を時系列で追った時、他のケースと異なる奇妙な部分があることに気付く。金賢姫証言から1年未満の速さで、被害者の八重子さんが捜査線上に浮上したことである。
▽実家近くで寛ぐ八重子さんS52年(救う会HP)
昭和52年8月実家近くのスナップ.jpeg

迅速なリストアップで鍵を握るのが、1人の在日朝鮮人工作員だった。宮本明という偽装日本名を使っていた李京雨(リ・ギョンウ)。八重子さんが勤める飲食店に足繁く通っていた男だ。

李京雨は、本物の蜂谷真一から旅券を借り受けた人物で、蓮池さん夫妻の拉致実行犯チェ・スンチョルがアパートを借りた際に保証人にもなっていた。工作活動を補助する土台人(トデイン)である。
▽爆破事件で使われた蜂谷真一名の偽造旅券(時事)
蜂谷真一名の偽造.png

チェ・スンチョルは朝鮮労働党対外情報調査部の大物工作員。小住健蔵さん拉致の西新井事件を主導した後、公安のマークを察知して本国に逃亡し、国際指名手配された。

昭和60年に起きた西新井事件は土台人の逮捕・家宅捜索に至った例外的なスパイ摘発事例だった。この時、浮かび上がった北工作員のネットワークに李京雨も入っていたのだ。
▽小住さんに背乗りしたチェ・スンチョル(file)
背乗りスンチョル.jpg

李京雨らに活動資金を供給した在日朝鮮人組織「洛東江(ナクトンガン)は元総連幹部・張龍雲の暴露によって今では広く知られる。北党中央直轄の特務機関で、拉致を含む数々の犯罪行為に手を染めた。

機は熟しつつあった。李恩恵の割り出し調査で警察庁警備局は特別チームを設置。列島を網羅する情報網には関与濃厚な土台人2人、そして朝鮮総連副議長の安商宅も引っ掛かった。
▽平壌牡丹峰区には今も「安商宅通り」が残る(共同)
共同16年開発地区見下ろすキム.jpg

警視庁は平成2年5月、詐欺容疑で副議長の家宅捜索令状を取り、機動隊員ら450人でメスを入れる態勢を整えた。総連との死闘を覚悟した大規模捜査のコードネームは「零余子(むかご)」と命名された。

「訪朝を前にした捜査は許されなかった。政治に翻弄された」(’14年11月25日付け日経新聞)

内偵捜査の舞台裏を知る警察幹部は、そう悔やむ。拉致事件解明の突破口になる“零余子作戦”は、金丸信の鶴の一声で幻に終わった。平壌で金日成と握手する4ヵ月前の強権発動だった。
▽訪朝した金丸信と田辺誠’90年9月(産経)
産経金丸訪朝弾90年9月.jpg

零余子とは山芋の葉腋などに出来る球状の芽だ。捜査陣は芽を摘み、総連本体に攻め込むとの意気込みで名付けたが、掘り出すことはおろか、摘むことさえも出来ず、“山芋”は固いガードに守られて延命した。

【零余子リベンジ捜査に着手せよ】

「再会が叶わなったことが無念であり、非情な結果となってしまいました」

飯塚耕一郎さんは12月18日、そうコメントを寄せた。同日未明、父・繁雄さんは入院先の病院で息を引き取った。享年83。妹が行方不明になったという報せを受けてから43年が過ぎていた。

「解決に向けた工程表を作り、答えを出して欲しい。我々が諦めないことが解決につながる」
▽国民大集会で話す飯塚繁雄さん11月13日(時事)
時事国民大集会」であいさつする拉致被害者家族会前代表の飯塚繁雄さん=11月13日.jpg

繁雄さんは11月13日に都内で開かれた国民大集会で、力強く訴えた。緊急入院する直前で、これが公の場で話した最後の姿となった。かつて、妹の写真を手に自責の念を吐露していたことを思い起こす。

「写真を見ると可哀相でならない。『助けてあげられず、ごめんなさい』との思いが、年を取るごとに強くなっていく」
▽繁雄さん結婚式の八重子さん:左(救う会HP)
繁雄さん結婚式の八重子さん.jpeg

繁雄さんは平成19年に横田滋さんから拉致被害者家族の代表を引き継ぐ。以来17年間、先頭に立って事件の解決を訴え続けた。訃報を受け、岸田首相は記者団に対し、こう語った。

「心から申し訳ない思いで一杯だ。拉致問題は一刻の猶予も許されない。あらゆるチャンスを逃さないという思いを心に刻みながら取り組んでいきたい」

与野党幹部のコメントも同様の内容だ。横田滋さん有本嘉代子さん逝去の時と寸分も違わない。家族の高齢化は今に始まったことではなく、救出を待ち焦がれる被害者もまた齢を重ねる。
▽代表就任翌年の飯塚繁雄さんH20年(毎日)
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北朝鮮は外交を含む全面鎖国状態で、交渉のテーブルも扉もなく、動く気配すらないことが当然視される。だが政府は、こうした現状に甘えていないだろうか? 今出来ることは少なくないのだ。

国内での再捜査、拉致に関わった土台人の摘発強化である。例えば、田口八重子さん拉致の下手人である李京雨。この容疑者は、その後どうなったのか…取り調べ記録も海外逃亡したとの情報もない。
▽洛東江ルートの実行犯は手配ゼロ(産経)
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田口さんが拉致された時期は、政府認定当時と同じ「6月頃」のままだ。犯行に使われた工作船の出港ポイントは不明。都内から先の足取りに関する捜査は何の進展もなく40年以上が経った。

列島内で暗躍する拉致工作組織の掃討を狙った零余子作戦は、政界のドン・金丸信によって叩き潰された。しかし金丸が権勢を失っても、捜査チームが復活することはなかった。
▽難攻不落の砦と化した総連本部(産経file)
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声ばかり大きい親北派だけではなく、もっと根深い、拉致を許した構造が、我が国に残っているのだ。なぜ今も靖国近くに総連が砦を構え、朝鮮学校に拉致総指揮者の肖像が掲げられているのか…

拉致事件解決に向けた圧力が決して北朝鮮本国だけに限らないことを自覚し、行動に移す時が来ている。



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参照:
□福岡市HP11月27日『飯塚 耕一郎氏 講演 「母を取り戻す〜全拉致被害者 即時一括帰国に向けて〜」(PDF)』
□川口市HP『田口八重子さんの思い出(PDF)』
□救う会・福岡HP令和2年9月21日『『田口さんをだまして連れ出したのは李京雨(宮本明)か』
□衆院HP平成22年11月4日『北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会』

参考記事:
□読売新聞12月19日『「いとおしい家族」救いたい 「父子」で力尽くした日々…家族会前代表・飯塚繁雄さん死去』
□産経新聞12月18日『〝父子〟で求め続けた再会かなわず 飯塚繁雄さん死去』
□産経新聞12月18日『「非情な結果となった」飯塚繁雄さん死去 飯塚耕一郎さんがコメント」
□BBC2月8日『北朝鮮の拉致問題 刻々と重み増す「時間との闘い」』
□産経新聞H30年6月29日『田口八重子さん、田中実さん拉致から40年 浮かび上がる工作組織のネットワーク』
□産経新聞H25年12月17日『めぐみさん事件「情報はゴミ箱に捨てられた」』
□日経新聞’14年11月25日『春秋』
□産経新聞H30年7月26日『実行犯手配も解明進まず』

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