横田めぐみさんの帰り道…被害者家族が闘う風化勢力

3,000人規模の大捜索に機動隊も出動。横田めぐみさん拉致事件の再検証で新事実が浮上した。滋さんという支柱を喪った後も、被害者家族会は風化勢力との闘いを強いられている。
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「これからは、もっとお洒落に気を遣ってね」

娘はそう言って、鼈甲の櫛をプレゼントした。昭和52年11月14日、父・横田滋さん45歳の誕生日だった。めぐみさんは翌日、学校からの帰り道で北朝鮮工作員に拉致される。
▽贈り物の櫛を披露する滋さんH26年(毎日)
毎日新聞2014年11月5日クシ.png

胸が詰まるエピソードだ。滋さんは贈られた櫛を革ケースに仕舞い、肌身離さず持ち歩いてた。その櫛を手に愛娘と再会する日を待ち続けたが、最後の贈り物となってしまった…

横田めぐみさんが拉致された現場は、当時の捜査で、新潟市立寄居中学校から海に向かう道路の丁字路交差点と見られた。警察犬がそこでピタリと足を止めたのだ。
▽拉致現場とされる丁字路交差点(産経)
産経29年3月24日これまで横田めぐみさんの拉致現場とみられていた丁字路交差点。左折すると、めぐみさんの当時の自宅に向かう.jpg

事件から40年後、犯行に関する新たな説が唱えられた。従来の交差点はバスが数分おきに通り、人の往来もある。また平壌で一時生活を共にしていた曽我ひとみさんは、めぐみさんが語った言葉を明かした。

「家に続く曲がり角で突然男に襲われた」
▽新旧の犯行現場と横田家(調査会HP)
調査会旧現場見取り図.png

交差点を過ぎた地点である。特定失踪者問題調査会の荒木和博会長らが、現地で再検証を実施した結果、より自宅に近い路地で拉致された可能性が浮上した。自宅から僅か数メートルの場所だ。

「きゃ、助けて!」

横田家の隣2階に下宿していた女性大生が悲鳴を聞いていた。時刻は事件当日の午後6時半ごろ。急いで窓から顔を出したが、暗くて何も見えず、それ以上の物音は聞こえなかった。
▽拉致現場を再検証する荒木会長H29年(産経)
産経29年3月拉致現場周辺などを特別検証する荒木和博代表(左)ら=24日午後、新潟市.jpg

「めぐみさん個人を狙った可能性は前よりも強くなった」

荒木会長は、そう指摘する。これまでは通信機での会話を目撃された北工作員が、通報を避ける為に急遽拉致したとされていた。ソースは、安明進が聞いたという実行犯・丁スンホの証言である。

「不安だったのは、自分たちが小型無線機を手にもってひそひそと何事がささやいている姿を彼女に見られたことだった」(安明進著『北朝鮮拉致工作員』149頁)
▽旧横田家至近の新説拉致現場(産経)
産経29年3月24日拉致現場として新浮上した地点の付近。めぐみさんの自宅.jpg

いわゆる偶発説だ。しかし調査会は現場の再検証に基づき、めぐみさんが最初からターゲットだったという疑いを強める。何故、めぐみさんが狙われたのか、背景は読み解けない。

最も有名な拉致のケースでさえ、捜査は万全ではなく、今なお多くの謎を残しているのだ。

【13歳、バドミントン、海岸の符合】

「たまに深夜遅くになって聞こえたりすると、めぐみが帰ってきたんじゃないかと、外に飛び出したものです」(石高健次著『金正日の拉致指令』21頁)

横田滋さんは、そう話した。新潟の自宅脇に停止標識があり、車が発進する際の大きなエンジン音が響く度に、表に出た。事件から半年間、玄関の鍵を締めなかったという。
▽事件40周年で会見する横田夫妻H29年(産経)
産経横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて40年となり、記者会見する父滋さん(右)と母早紀江さん17年11月15日.jpg

めぐみさんが北朝鮮で生存していることを初めて直接伝えられた際に語った逸話である。伝えたのは大阪ABC(朝日放送)のディレクター石高健次氏。平成9年(’97)1月23日朝のことだった。

横田めぐみさん拉致は、偶然が重なり合うようにして、事件の断片が浮かび上がった。突破口は’95年6月、石高氏がソウルで南情報機関の高官と会食した時に獲得した北亡命工作員の証言だった。
▽中学校進学当時のめぐみさん(滋さん撮影)
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「その女の子は中学一年生で、日本の海岸から工作員の手で拉致され北朝鮮に連れて来られた。十三歳の時です。学校でクラブ活動のバドミントンをして家に帰る途中でした」(前掲書13頁)

雲を掴むような話だった。帰国後、石高氏は「女子中学生拉致」をキーワードに単身で調査を始めるが、警察の内部リストにも手掛かりはなく、行き詰まったまま時間が過ぎた。

急展開したのは、翌年の暮れだった。石高氏は亡命工作員の情報を専門誌『現代コリア』に寄稿。発行元トップの佐藤勝巳氏が、新潟で講演した際の懇親会で、少女拉致の概要を話した。
▽駐米大使を案内する横田夫妻H18年(産経)
横田めぐみさんが拉致されたとされる現場近くの海岸でシーファー・米駐日大使に当時の様子を話す横田滋さん、早紀江さん夫妻=平成18年.jpg

「地元の人から『あぁ、めぐみちゃんだ』という声が返ってきた」(佐藤勝巳編著『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』117頁)

佐藤氏は新潟日報の縮小版に女子中生行方不明の記事を発見。日付けは昭和52年11月22日で、事件から1週間後。公開捜査である為、記事には横田滋さん、めぐみさんの名前も記載されていた。

記事を手掛かりに石高氏は、手間取りながらも転勤後の一家の住所を突き止める。そして北で生存の情報を詳しく伝えたが、オンエア時の実名表記という問題が浮上。最後に決断したのは滋さんだった。
▽若き日の滋さんとめぐみさん(ご家族提供)
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「少女Mなどと匿名では本当に事実かと世間が信じてくれないし、マスコミも大きく扱ってくれません。(略)実名を出して、世論が盛り上がることで政府が動くことを期待する」(『拉致指令』27頁)

石高氏は情報源の追加取材を優先した結果、他社に後れを取る。平成9年2月3日、産経新聞が一面でスクープし、同日発売の「AERA」も実名入りで特集。西村眞悟議員の国会質問も、この日だった。

因みに「AERA」で記事を書いたのは、後に捏造報道糾弾の急先鋒となる長谷川煕氏だ。また情報源の北亡命工作員は、今に至るまで存在は公にされていない。

【被害者全員奪還を阻む国内因子】

「二人三脚で頑張ってきた。思い残すことがない程、全身全霊で活動に打ち込んでいた」

横田早紀江さんは、都内で開かれた会見でそう言葉を紡いだ。2年前から闘病生活を送っていた滋さんは6月5日、療養先の病院で永眠された。櫛をプレゼントされた父は87歳になっていた。

愛娘を北朝鮮に奪われてから43年、生存を知ってから23年、金正日が自供してから18年…還暦を過ぎた頃からは、救出運動に全てを捧げた人生だった。
▽会見で気丈に振る舞う早紀江さん6月9日(産経)
産経69田滋さんが亡くなったことを受け、会見する妻の早紀江さ.jpg

「めぐみ達を助ける為に、献身的に私たち全員、被害者や家族のことを報道し続けて頂いた長い年月に対して、心から感謝致します」

早紀江さんは、会見場に詰め掛けた報道陣に感謝の意を表した。慈悲に満ちた良妻の言葉だ。ところが、語り手が双子の弟に移った時から、雰囲気が様変わりする。

「国会では与党野党の壁なく、問題解決の為にもっと時間を割いて、具体的・迅速に行動して欲しい。マスコミの皆さま方には、イデオロギーに関係なく、問題を我が事として、もっと取り上げて欲しい」
▽会見で発言する拓也さん6月9日(日経)
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拓也さんは、メディアの取り上げ方に苦言を呈した。個人的と断った上で「北朝鮮が憎くてならない」と語り、「酷い人権侵害を平気で続けられるのか」と疑問を投げ掛ける。

続いて哲也さんは、父の訃報に絡めてメディア上で「安倍首相は何も動いていない」といった批判が渦巻く現状を憂慮。“拉致潰し”に励む親北勢力を強く意識したかのような発言で牽制した。
▽会見で訴える哲也さん6月9日(LF)
LF会見する横田哲也さん=2020年6月9日午後.jpg

「安倍政権が問題ではなくて、40年以上何もしてこなかった政治家や『北朝鮮が拉致するはずない』と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理が苦しんでいるんです」

安倍首相は入院直後の滋さんを見舞った。他の政党党首が病院を訪問したという報道は見当たらない。もっとも金正恩を“最高尊厳”と崇める野党の関係者が来た所で病院側が困惑するだろうが…
▽見舞いに訪れた安倍首相H30年4月(NHK)
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図らずも遺族が口にしたメディアへの不信感は正しい。一部ジャーナリストの先駆的な渾身取材があったにも拘らず、横田夫妻ら家族会メンバーは国内の敵から陰湿な攻撃を受け続けた。

【今も“拉致潰し”図る風化勢力】

「韓国・安全企画部のデタラメ宣伝の提灯を持ったようなインチキ記事」

「AERA」でスクープした長谷川煕氏は、日教組のドン・槙枝元文から罵声を浴びたという。周知の通り、槙枝は金日成から勲章を貰った親北派の代表で、引退後も文教族に大きな影響力を誇った。



「少女拉致疑惑事件は、新しく創作された事件と言う他はない」(’97年『月刊社会民主』)

社民党は「拉致疑惑はデマ」とするデマを執拗に拡散。金正日の自供後も、暫く主張を取り下げなかった。法曹界とメディアを横断する親北勢力は、横田夫妻と有本夫妻を標的に救出活動を妨害した。
▽街頭で署名呼びかける横田夫妻H9年10月(読売)
読売1997年10月都内で雨中に.jpg

滋さんの訃報に絡んだ経歴報道も妙だった。横田夫妻の初会見は、スクープ発表の4日後となる平成9年2月7日。この席で滋さんは、報道陣に強く訴えた。

「個人の力ではどうしようもない。1日も早く娘の安否確認が為されることを願い、そのために世論の力をぜひお借りしたい」(『拉致指令』28頁)

歴史的な会見だったが、TVも新聞もこれをカットし、小泉訪朝時の涙のシーンをクローズ・アップする。横田夫妻らが親北勢力の暴風に晒されたのは、初会見からの5年間だ。
▽拉致被害者家族会の結成会見H9年9月(産経)
産経H9年9月家族会の結成会見.jpg

しかも敵は売国野党や反日メディアだけではなかった。自民党内にも北に忠誠を誓う野中広務や加藤紘一が、実力者として君臨。外務省アジア局長の槙田邦彦は、自民の部会で、こう言い放った。

「たった10人のことで日朝国交正常化交渉が止まって良いのか」

帰国した拉致被害者5人の「北送」を強硬に主張したのが、外務省だったことは忘れてはいけない。また北側は、孫娘を利用した横田夫妻の“一本釣り”を仕掛け、揺さぶりを続けた。
▽孫娘の映像を見る横田夫妻H18年(時事)
時事キム・ウンギョンさんの映像に見入る横田夫妻06年.jpg

「この国内に敵も味方もない筈です」

哲也さんが会見で述べた言葉は、余りにも重い。横田夫妻ら家族会が闘った相手は、平壌指導部に限らない。日本の中の北朝鮮、有り体に言えば、我が国の歪んだ戦後体制そのものだったのだ。

そして、拉致事件を邪魔もの扱いする“風化勢力”は、今も既存メディアを筆頭に主流派を形成している。

【昭和52年11月15日の戦争】

「初めから『北のヤツらの仕業じゃないか』と思っていたけれど、何も出来なくて申し訳なかった」

めぐみさん失踪後に捜査を主導した新潟中央署の松本瀧雄元署長は、約10年前、対面した横田夫妻に、そう謝罪したという。当初から、北工作員による拉致の可能性濃厚と見られていたのだ。
▽事件40周年会見に臨む横田夫妻H29年(産経)
産経横田夫妻 拉致40年で会見 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから40年となるのを受けて行われた記者会見のため会場に入る.jpg

「新潟県警始まって以来の大捜索が展開され、2000人、3000人で、浜辺から、山から、くまなく捜してくださいました」(横田早紀江著『愛は、あきらめない』)

早紀江さんは手記に、事件直後の模様をそう綴っている。海保の巡視船が捜索に当たり、ダイバーも海に潜った。海岸一帯にはヘリが飛び交ったことも覚えている。

「捜査態勢から通常の誘拐と全く違っていた。署員全員に非常呼集を掛け、機動隊を動員して非常線を張った」


再検証に取り組む調査会の荒木和博会長は、当時の捜査状況が大掛かりで、被害者保護優先の誘拐捜査とは異なると指摘。直前には北工作船の電波も受信していた。

また、めぐみさん拉致の翌日、近くの海岸に女性の水死体が漂着。身元不明だったが、横田家には何の連絡もなかった。事件後、横田夫妻が繰り返し遺体の照合に立ち会った苦労話とは一線を画す。
▽映画「abduction」の撮影風景(file)
映画「abduction」の撮影風景.JPG

なぜ11月16日に見付かった水死体は除外されたのか。ここで筆者は少し大胆に、めぐみさんを乗せた工作船を偵察機が追跡していたと推理する。遺体が別人であることは明白だったのだ。

「夜の日本海を猛スピードで疾走する北朝鮮の工作船と、それを延々と追跡するカメラ。船上には人間大のズダ袋が2体転がり、工作船からは時折、威嚇射撃とみられる閃光が光る」(週刊文春’02年12月12日号)

小泉訪朝当時の古い記事だ。海自P-3C哨戒機が工作船を追った映像が存在し、海自の教育課程で視聴するケースがあったという。海自機は一切手出し出来ず、ただ防空識別圏まで追跡飛行を続ける。
▽家族旅行で佐渡島を訪れためぐみさんS51年(産経)
滋さん撮影S51棺には、めぐみさんのこの写真が掲載された新聞紙面が納められた=昭和51年10月、拉致される前の最後の家族旅行となった新潟・佐渡島.jpg

めぐみさん拉致の際も海自機が発進したのか、確証はない。機密の範囲内だ。しかし、機動隊に加え、自衛隊が緊急態出動した可能性は高い。仮想敵国の武装工作員が集団で揚陸したのだ。

「平和な島国で突如起きた局地的な『戦闘状態』」(萩原遼著『拉致と核と飢餓の国 北朝鮮』132頁)

元赤旗平壌特派員の故・萩原遼氏は、海岸附近での日本人拉致を局地的戦闘と表現した。この認識は正しい。「戦後の平和」とは、まやかし以外の何ものでもない。
▽入学式の横田めぐみさんS52年(ご家族提供)
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横田めぐみさんは、この43年間、ずっと“下校途中”のままである。彼女の帰り道を整え、家族の元に導くことは、今を生きる我々日本人の責務だ。


最後まで読んで頂き有り難うございます
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参考動画:
□YouTube『産経新聞【ノーカット】「全身全霊で打ち込んだ」横田滋さん遺族会見 横田早紀江さんら家族が想いを語る』

参考文献:
佐藤勝巳編著『拉致家族「金正日との戦い」全軌跡』(H14年刊小学館文庫)
石高健次著『金正日の拉致指令』(H10年刊朝日文庫)
安明進著『北朝鮮拉致工作員』(H21年刊徳間文庫)
萩原遼著『拉致と核と飢餓の国 北朝鮮』(H15年刊文春新書)

参考記事:
□荒木和博BlogH29年3月21日『めぐみさん拉致に関する二つの重要な点【調査会NEWS2420】』
□産経新聞17年3月14日『横田めぐみさん事件で新たに浮かんだ疑惑 拉致翌日、謎の若い女性の水死体発見』
□産経新聞17年3月24日『「めぐみさん拉致、謎多い」全容解明へ調査会が現場検証』
□産経新聞17年4月29日『偶然拉致ではなかった!?横田めぐみさん新事実「新たな犯行現場」中学生標的は「洗脳しやすいから」』
□特定失踪者問題調査会HP2年4月13日『工作船の上のズダ袋【調査会NEWS3237】』
□救う会HP17年2月1日『拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集会報告1』
□救う会HP17年2月2日『『拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集会報告2』
□現代ビジネス14年9月29日『この「母の思い」を裏切ってはならない 横田早紀江さん慟哭手記「神様もう一度、娘(横田めぐみさん)に会わせて…」』
□産経新聞6月9日『「北朝鮮が憎くてならない。許すことができない」 横田滋さん死去で早紀江さんら家族が記者会見・詳報(上)』
□産経新聞6月9日『「拉致問題解決は一刻を争う日本の国家の問題だ」 横田滋さん死去で早紀江さんら家族が記者会見・詳報(下)』
□産経新聞6月7日『愛娘の抱擁かなわず 横田滋さん死去にやりきれぬ思い 社会部長・中村将』

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