南鮮に狂い咲く北の毒花…文在寅と金正恩の異榻同夢
稼働済みTHAADを撤去する秘策に習近平が笑う。異なる床で同じ夢を見始めた南北のリーダー。本格的な親北大統領の誕生は、金日成の蒔いた種が30年を経て開花した瞬間でもあった。
南鮮に初の極左親北政権が樹立してから19年。金大中が推し進めた太陽政策が、朝鮮半島に何をもたらしたのか、評価が定まっていない訳ではない。
太陽政策は、金大中個人がノーベル平和賞を掠め取る一方、北朝鮮に核ミサイル開発の時間と資金を与えた。脅威を周辺国以外にも広げる最悪の政策である。
▽金正日に抱き付く金大中2000年6月(中央日報)
金大中の“功績”として挙げられる南北首脳会談と離散家族の再会事業。首脳会談は一過性のショーに過ぎなかったが、再会事業は繰り返し外交駆け引きの道具に使われ、今も平壌の切り札となっている。
南鮮メディアが毎度大袈裟に伝える「涙の再会」。2004年に金剛山で開かれた第10回再会ショーには、北で暮らす親族と抱き合い、号泣する青瓦台高官の姿もあった。
▽北朝鮮を訪問した文在寅2004年(東亜日報)
文在寅(ムン・ジェイン)である。盧武鉉の側近だった文在寅は、この時、市民社会首席秘書官として2回目の青瓦台入りを果たしていた。再会事業に参加した南鮮高官としては最も高位だ。
再会したのは叔母だった。文在寅の母親は北朝鮮中部・咸鏡南道の出身で朝鮮戦争中、夫と共に南鮮に逃れてきた避難民。新大統領は、いわば在南2世。訪朝経験者が大統領になった初のケースでもある。
▽出口調査で優勢が伝わる5月9日(AP)
氏族の出身地(本貫)が北朝鮮内にあることは特異ではない。初代大統領の李承晩も現在の北朝鮮西海岸が故郷だった。問題は、北朝鮮国内に人質として使える大統領の親族がいることだ。
10年以上前に再会した叔母が故人となっていても、その子や孫は北で暮らしている。土壇場にならずとも北朝鮮は容赦無く「人質カード」を切ってくるだろう。朝鮮半島に金正恩の高笑いが響く。
▽当選に湧く文在寅支持者ら5月10日(AFP)
北朝鮮情勢が緊迫する中、脛に傷とウィークポイントのある候補が難なく大統領に選ばれる…そこに南鮮社会の“土壌汚染”を見出す。
【反日反米が反北を凌駕した日】
盧武鉉政権時代の2007年11月、青瓦台はUN総会での対応を巡って紛糾していた。拷問や公開処刑、外国人拉致を含む北朝鮮の人権状況を非難する決議案。南鮮は前年度、賛成票を投じた。
ところが、この年の採択では棄権に回る案が浮上。議論が続く中、大統領秘書室長だった文在寅が、驚くべき“解決策”を提案する。北朝鮮側に意見を聞こうと言うのだ。いわゆる「お伺い疑惑」である。
▽秘書室長時代の文在寅’07年(ironna)
この疑惑は昨年10月中旬、当時の外交通商相・宋旻淳(ソン・ミンスン)が回顧録で文在寅の言動を暴露したことに始まる。北朝鮮指導部との内通を匂わせる大スキャンダルだ。
南鮮メディアも回顧録の記述に騒然となった。しかし、直後にパク・クネと崔順実の異様な関係が発覚。文在寅の「お伺い疑惑」は、それに覆い隠されるようにして立ち消える。
▽宋旻淳が公開した証拠文書4月(東亜日報)
今回の大統領選期間中にも、嘘吐き呼ばわりされた宋旻淳が証拠とする文書を公開。文在寅陣営が更に反撃するシーンもあったが、大勢には影響がなかった。
「当選したら、米国よりも先ず北朝鮮に行く」
文在寅は、そう出馬前に宣言していた。KN-15発射やスカッドER乱射など北朝鮮の相次ぐ威嚇でも親北姿勢は全く揺るがない。半島情勢の緊迫化が対北強硬論を強めるとの見方は誤りだったのだ。
▽テレビ討論会の文在寅ら4月(EPA)
日米欧の常識とは懸け離れている。南鮮国内には、米国に罵声を浴びせる金正恩政権に対し、密かに喝采を送っている人々も多い。反日や反米が、反北を圧倒する社会である。
金大中は古いタイプの左翼だが、戦中派であり、歴史の目撃者だった。盧武鉉政権は発足時から議会との捻れに悩まされ、暴走に一定の歯止めが掛かっていた。だが、文在寅は違う。
政権基盤も盤石な本物派の親北大統領誕生だ。
【中南THAAD協議の衝撃】
「一緒に仕事をすることを楽しみにしている」
就任会見を終えた文在寅とトランプ大統領の電話会談は5月10日夜に行われた。時間は通訳を挟んで約30分。トランプ大統領が当たり障りのない祝意を伝えたこと以外、詳しい内容は判っていない。
当選祝いの儀礼的なやり取りだ。両国のスタンスを確認する他、突っ込んだ話はしない。ところが、翌日に行われた我が国・中共首脳との電話会談は、いきなり外交マナーを踏み外すものだった。
▽習近平と話す文在寅5月11日(共同)
「THAAD配備を巡る中国側の関心と憂慮はよく解っており、速やかに話し合いを進められるよう希望する」
青瓦台のスポークスマンによると文在寅は、そう語ったという。習近平が先に切り込んできたとしても、初の公式接触で在南米軍の装備品が槍玉に挙がったのだ。
文在寅側が、THAAD配備を巡って支那各地で猛威を振るう“官製嫌韓流”を牽制した程度では済まない。米軍装備について、南鮮と中共が協議するというのである。
▽初期稼働が完了したTHAAD4月(ロイター)
前倒しでシステム組み上げが進められていた在南米軍のTHAADは5月2日までに配備が完了。南鮮国防部が稼働を確認すると同時に、中共サイドは脊髄反射で発狂していた。
トランプ政権は、中南THAAD協議を黙認するのか? 一方、文在寅は習近平の振り上げた拳をどう受け止め、どこに置くのか…そこに、極東情勢を激変させるファクターが潜む。
▽厳重警戒のTHAAD装備搬入4月(AFP)
習近平は“官製嫌韓流”のバルブを徐々に閉めるだろう。強制閉鎖中の在支那ロッテマートも再開される。中共は文在寅大統領誕生で、北崩壊より現実的なTHAAD撤去の手段を獲得したのだ。
盧武鉉が挫折した戦時作戦統制権の返還である。
【米軍なき朝鮮半島で南北合意】
「戦時作戦統制権は早期に返してもらう」
大統領選が始まった直後の4月23日、そう演説で言い切った。自らが提唱する“平和構想”の核心に据えた戦時作戦統制権の返還。公約にも「任期内の返還」を掲げていた。
朝鮮戦争勃発で“UN軍”が握った戦時作戦統制権は、1978年に米南連合司令部に継承されて今に至る。統制権の返還は、連合司令部の解体に直結する。
▽米南連合司令部本部(file)
この統制権返還を最初に求めたのが、盧武鉉だった。2006年の首脳会談で両国が基本合意し、2012年4月までに返還される予定となった。ところが、北朝鮮の戦力増強に南鮮が慌て始める。
李明博は先代の首脳合意を反故にし、統制権返還の延期を米側に懇願。更にパク・クネは初の訪米時に再延期を求め、返還時期は2020年代半ば以降となった。事実上の無期限延期だ。
▽クネ初訪米に同行した変態報道官’13年(聯合)
連合司令部が消滅しても新たな米軍司令部が設置されるが、米軍が立案した半島有事の作戦計画は吹き飛ぶ。南鮮軍主導の第2次朝鮮戦争など悪夢でしかない。軍事評論家の潮匡人氏は、こう指摘する。
「THAAD配備も、この統制権ありきの話。戦時作戦統制権がなくなれば、米軍の存在意義が問われることになる。韓国からの米軍撤退まで行きかねない程のインパクトを持っています」
太陽政策を継承する文在寅は、開城工業団地や金剛山観光の再開、そして離散家族事業にも色気を見せる。だが、UN安保理決議に伴う経済制裁がネックとなり、独断専行は出来ない。
▽開城工業団地から退去する車両’16年(AP)
その中で、文在寅が統制権返還を全面に掲げる可能性は高い。北京や平壌が諸手を挙げて喜ぶ反米政策。北朝鮮はこの好機を逃さず、遠からず南北実務者協議の再開を呼び掛けてくるだろう。
金正恩と文在寅が思い描く朝鮮半島の未来像は、全く同じなのだ。
【金日成の毒花が咲いた5月】
「文在寅氏が大統領に就任した場合、文政権に反発した軍部が軍事クーデターを起こす可能性について、韓国の国防関係者の間で真しやかに囁かれています」
安全保障問題の専門家の中には、そう指摘する者もいる。南鮮に反米親北政権が誕生し、北朝鮮に対して極端な融和姿勢を示した場合、軍部はクーデターに踏み切る…
こうした見方は定説に近いが、果たしてそうだろうか。朴正煕による5・16軍事クーデターから56年、南鮮軍が大規模鎮圧に乗り出した光州事件から37年が経った。
▽光州で対峙する軍と学生’80年(file)
今や、強烈な反共教育で叩き上げられた南鮮軍の面影はない。我が国の団塊ゴミ左翼に相当する「386世代」は、南鮮社会で主導的な立場を担うと共に、軍でも将校クラスにある。
金大中時代に残存していた“歴史の真実”を知る老兵は、もう居ない。昨年6月に起きた海自艦艇の済州島入港拒絶事件は象徴的だった。南鮮軍幹部も、旭日旗を誹謗する捏造史に染まっているのだ。
▽米南演習参加の南鮮兵’16年(AFP)
「彼らは韓国の現代史を徹底的に否定する『反韓史観』に心酔している」
西岡力教授は、反日思想に加えて「反韓史観」も問題視する。80年代の学生運動家は北シンパとなり、南鮮左翼は主体思想派が牛耳るようになったという。親北反日反米の挺対協を挙げるまでもない。
▽突如平壌に現れた南鮮の女学生’89年(中央日報)
この主体思想派が仕切る南鮮の学生組織・全大協は1989年、平壌で開催される青年学生祭典へのメンバー派遣を計画。うち1人が日本・東欧経由で北朝鮮入国を果たした。
文在寅と同じ「共に民主党」の女性議員・林秀卿(イム・スギョン)である。そして当時の全大協トップが、新政権で秘書室長に抜擢された任鍾晳(イム・ジョンソク)だったという。
▽秘書室長就任の元全大協議長:左5月10日(中央日報)
金王朝マンセーの主体思想派が、青瓦台ジャックに成功したと言っても過言ではない。かつて北朝鮮亡命を希望する南鮮の学生に対し、金日成は、こう諭した。
「亡命するよりも、法曹界に入れ」
発言の真偽は不明だ。だが、盧武鉉や文在寅が弁護士として活動した後に政界入りしたことも、南鮮司法が反日反米の極左に汚染されていることも決して偶然ではない。
▽青瓦台に入る文在寅夫妻5月10日(ロイター)
金日成が大昔に蒔いた種が芽吹き、今、大輪の毒花を咲かせた。多くの有権者が文在寅政権を望み、選んだことに戦慄する。南鮮社会には、その毒花をしっかり育て上げる土壌と空気があったのだ。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

参照:
□崔碩栄氏Twitter5月10日
参考記事:
□産経新聞5月9日『北からの避難民の長男、軍部独裁に反対し投獄も 文在寅氏とは』
□朝鮮日報5月10日『文在寅氏当選:THAAD・慰安婦合意は見直し、太陽政策に回帰か』(ライブドアニュース魚拓)
□ZAKZAK5月11日『米韓同盟破棄も…“北に近すぎる大統領”文在寅氏 「赤化統一」でトランプ氏激怒必至』
□産経新聞5月10日『早くも北との対話シフト 人事から見る文在寅政権のもくろみとは』
□産経新聞5月9日『逆作用した“北風” 北への危機感ゼロ…現状維持望んだ国民』
□産経新聞4月29日『断ち切れぬ「親北」のくびき 太陽政策継続も』
□週刊ポスト4月6日『米国は盧武鉉側近だった文在寅氏大統領就任を歓迎せず』
□産経新聞3月16日『混迷の韓国、赤化阻止へ「戒厳令の発令しかない」 国境に軍の姿が少ない…対北臨戦態勢か 38度線走破ルポ』
□ZAKZAK4月7日『文在寅氏が韓国大統領に就任すれば軍事クーデターの懸念も』
□東亜日報2004年7月11日『文在寅秘書官、北朝鮮のおばと再会』
□東亜日報4月22日『大統領選、「宋旻淳文書」で大揺れ』
□産経新聞10月15日『国連の人権決議案、北朝鮮の意見聞き棄権 韓国盧政権 元外交通商相が回顧録で明かす』
南鮮に初の極左親北政権が樹立してから19年。金大中が推し進めた太陽政策が、朝鮮半島に何をもたらしたのか、評価が定まっていない訳ではない。
太陽政策は、金大中個人がノーベル平和賞を掠め取る一方、北朝鮮に核ミサイル開発の時間と資金を与えた。脅威を周辺国以外にも広げる最悪の政策である。
▽金正日に抱き付く金大中2000年6月(中央日報)
金大中の“功績”として挙げられる南北首脳会談と離散家族の再会事業。首脳会談は一過性のショーに過ぎなかったが、再会事業は繰り返し外交駆け引きの道具に使われ、今も平壌の切り札となっている。
南鮮メディアが毎度大袈裟に伝える「涙の再会」。2004年に金剛山で開かれた第10回再会ショーには、北で暮らす親族と抱き合い、号泣する青瓦台高官の姿もあった。
▽北朝鮮を訪問した文在寅2004年(東亜日報)
文在寅(ムン・ジェイン)である。盧武鉉の側近だった文在寅は、この時、市民社会首席秘書官として2回目の青瓦台入りを果たしていた。再会事業に参加した南鮮高官としては最も高位だ。
再会したのは叔母だった。文在寅の母親は北朝鮮中部・咸鏡南道の出身で朝鮮戦争中、夫と共に南鮮に逃れてきた避難民。新大統領は、いわば在南2世。訪朝経験者が大統領になった初のケースでもある。
▽出口調査で優勢が伝わる5月9日(AP)
氏族の出身地(本貫)が北朝鮮内にあることは特異ではない。初代大統領の李承晩も現在の北朝鮮西海岸が故郷だった。問題は、北朝鮮国内に人質として使える大統領の親族がいることだ。
10年以上前に再会した叔母が故人となっていても、その子や孫は北で暮らしている。土壇場にならずとも北朝鮮は容赦無く「人質カード」を切ってくるだろう。朝鮮半島に金正恩の高笑いが響く。
▽当選に湧く文在寅支持者ら5月10日(AFP)
北朝鮮情勢が緊迫する中、脛に傷とウィークポイントのある候補が難なく大統領に選ばれる…そこに南鮮社会の“土壌汚染”を見出す。
【反日反米が反北を凌駕した日】
盧武鉉政権時代の2007年11月、青瓦台はUN総会での対応を巡って紛糾していた。拷問や公開処刑、外国人拉致を含む北朝鮮の人権状況を非難する決議案。南鮮は前年度、賛成票を投じた。
ところが、この年の採択では棄権に回る案が浮上。議論が続く中、大統領秘書室長だった文在寅が、驚くべき“解決策”を提案する。北朝鮮側に意見を聞こうと言うのだ。いわゆる「お伺い疑惑」である。
▽秘書室長時代の文在寅’07年(ironna)
この疑惑は昨年10月中旬、当時の外交通商相・宋旻淳(ソン・ミンスン)が回顧録で文在寅の言動を暴露したことに始まる。北朝鮮指導部との内通を匂わせる大スキャンダルだ。
南鮮メディアも回顧録の記述に騒然となった。しかし、直後にパク・クネと崔順実の異様な関係が発覚。文在寅の「お伺い疑惑」は、それに覆い隠されるようにして立ち消える。
▽宋旻淳が公開した証拠文書4月(東亜日報)
今回の大統領選期間中にも、嘘吐き呼ばわりされた宋旻淳が証拠とする文書を公開。文在寅陣営が更に反撃するシーンもあったが、大勢には影響がなかった。
「当選したら、米国よりも先ず北朝鮮に行く」
文在寅は、そう出馬前に宣言していた。KN-15発射やスカッドER乱射など北朝鮮の相次ぐ威嚇でも親北姿勢は全く揺るがない。半島情勢の緊迫化が対北強硬論を強めるとの見方は誤りだったのだ。
▽テレビ討論会の文在寅ら4月(EPA)
日米欧の常識とは懸け離れている。南鮮国内には、米国に罵声を浴びせる金正恩政権に対し、密かに喝采を送っている人々も多い。反日や反米が、反北を圧倒する社会である。
金大中は古いタイプの左翼だが、戦中派であり、歴史の目撃者だった。盧武鉉政権は発足時から議会との捻れに悩まされ、暴走に一定の歯止めが掛かっていた。だが、文在寅は違う。
政権基盤も盤石な本物派の親北大統領誕生だ。
【中南THAAD協議の衝撃】
「一緒に仕事をすることを楽しみにしている」
就任会見を終えた文在寅とトランプ大統領の電話会談は5月10日夜に行われた。時間は通訳を挟んで約30分。トランプ大統領が当たり障りのない祝意を伝えたこと以外、詳しい内容は判っていない。
当選祝いの儀礼的なやり取りだ。両国のスタンスを確認する他、突っ込んだ話はしない。ところが、翌日に行われた我が国・中共首脳との電話会談は、いきなり外交マナーを踏み外すものだった。
▽習近平と話す文在寅5月11日(共同)
「THAAD配備を巡る中国側の関心と憂慮はよく解っており、速やかに話し合いを進められるよう希望する」
青瓦台のスポークスマンによると文在寅は、そう語ったという。習近平が先に切り込んできたとしても、初の公式接触で在南米軍の装備品が槍玉に挙がったのだ。
文在寅側が、THAAD配備を巡って支那各地で猛威を振るう“官製嫌韓流”を牽制した程度では済まない。米軍装備について、南鮮と中共が協議するというのである。
▽初期稼働が完了したTHAAD4月(ロイター)
前倒しでシステム組み上げが進められていた在南米軍のTHAADは5月2日までに配備が完了。南鮮国防部が稼働を確認すると同時に、中共サイドは脊髄反射で発狂していた。
トランプ政権は、中南THAAD協議を黙認するのか? 一方、文在寅は習近平の振り上げた拳をどう受け止め、どこに置くのか…そこに、極東情勢を激変させるファクターが潜む。
▽厳重警戒のTHAAD装備搬入4月(AFP)
習近平は“官製嫌韓流”のバルブを徐々に閉めるだろう。強制閉鎖中の在支那ロッテマートも再開される。中共は文在寅大統領誕生で、北崩壊より現実的なTHAAD撤去の手段を獲得したのだ。
盧武鉉が挫折した戦時作戦統制権の返還である。
【米軍なき朝鮮半島で南北合意】
「戦時作戦統制権は早期に返してもらう」
大統領選が始まった直後の4月23日、そう演説で言い切った。自らが提唱する“平和構想”の核心に据えた戦時作戦統制権の返還。公約にも「任期内の返還」を掲げていた。
朝鮮戦争勃発で“UN軍”が握った戦時作戦統制権は、1978年に米南連合司令部に継承されて今に至る。統制権の返還は、連合司令部の解体に直結する。
▽米南連合司令部本部(file)
この統制権返還を最初に求めたのが、盧武鉉だった。2006年の首脳会談で両国が基本合意し、2012年4月までに返還される予定となった。ところが、北朝鮮の戦力増強に南鮮が慌て始める。
李明博は先代の首脳合意を反故にし、統制権返還の延期を米側に懇願。更にパク・クネは初の訪米時に再延期を求め、返還時期は2020年代半ば以降となった。事実上の無期限延期だ。
▽クネ初訪米に同行した変態報道官’13年(聯合)
連合司令部が消滅しても新たな米軍司令部が設置されるが、米軍が立案した半島有事の作戦計画は吹き飛ぶ。南鮮軍主導の第2次朝鮮戦争など悪夢でしかない。軍事評論家の潮匡人氏は、こう指摘する。
「THAAD配備も、この統制権ありきの話。戦時作戦統制権がなくなれば、米軍の存在意義が問われることになる。韓国からの米軍撤退まで行きかねない程のインパクトを持っています」
太陽政策を継承する文在寅は、開城工業団地や金剛山観光の再開、そして離散家族事業にも色気を見せる。だが、UN安保理決議に伴う経済制裁がネックとなり、独断専行は出来ない。
▽開城工業団地から退去する車両’16年(AP)
その中で、文在寅が統制権返還を全面に掲げる可能性は高い。北京や平壌が諸手を挙げて喜ぶ反米政策。北朝鮮はこの好機を逃さず、遠からず南北実務者協議の再開を呼び掛けてくるだろう。
金正恩と文在寅が思い描く朝鮮半島の未来像は、全く同じなのだ。
【金日成の毒花が咲いた5月】
「文在寅氏が大統領に就任した場合、文政権に反発した軍部が軍事クーデターを起こす可能性について、韓国の国防関係者の間で真しやかに囁かれています」
安全保障問題の専門家の中には、そう指摘する者もいる。南鮮に反米親北政権が誕生し、北朝鮮に対して極端な融和姿勢を示した場合、軍部はクーデターに踏み切る…
こうした見方は定説に近いが、果たしてそうだろうか。朴正煕による5・16軍事クーデターから56年、南鮮軍が大規模鎮圧に乗り出した光州事件から37年が経った。
▽光州で対峙する軍と学生’80年(file)
今や、強烈な反共教育で叩き上げられた南鮮軍の面影はない。我が国の団塊ゴミ左翼に相当する「386世代」は、南鮮社会で主導的な立場を担うと共に、軍でも将校クラスにある。
金大中時代に残存していた“歴史の真実”を知る老兵は、もう居ない。昨年6月に起きた海自艦艇の済州島入港拒絶事件は象徴的だった。南鮮軍幹部も、旭日旗を誹謗する捏造史に染まっているのだ。
▽米南演習参加の南鮮兵’16年(AFP)
「彼らは韓国の現代史を徹底的に否定する『反韓史観』に心酔している」
西岡力教授は、反日思想に加えて「反韓史観」も問題視する。80年代の学生運動家は北シンパとなり、南鮮左翼は主体思想派が牛耳るようになったという。親北反日反米の挺対協を挙げるまでもない。
▽突如平壌に現れた南鮮の女学生’89年(中央日報)
この主体思想派が仕切る南鮮の学生組織・全大協は1989年、平壌で開催される青年学生祭典へのメンバー派遣を計画。うち1人が日本・東欧経由で北朝鮮入国を果たした。
文在寅と同じ「共に民主党」の女性議員・林秀卿(イム・スギョン)である。そして当時の全大協トップが、新政権で秘書室長に抜擢された任鍾晳(イム・ジョンソク)だったという。
▽秘書室長就任の元全大協議長:左5月10日(中央日報)
金王朝マンセーの主体思想派が、青瓦台ジャックに成功したと言っても過言ではない。かつて北朝鮮亡命を希望する南鮮の学生に対し、金日成は、こう諭した。
「亡命するよりも、法曹界に入れ」
発言の真偽は不明だ。だが、盧武鉉や文在寅が弁護士として活動した後に政界入りしたことも、南鮮司法が反日反米の極左に汚染されていることも決して偶然ではない。
▽青瓦台に入る文在寅夫妻5月10日(ロイター)
金日成が大昔に蒔いた種が芽吹き、今、大輪の毒花を咲かせた。多くの有権者が文在寅政権を望み、選んだことに戦慄する。南鮮社会には、その毒花をしっかり育て上げる土壌と空気があったのだ。
〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
クリック1つが敵に浴びせる銃弾1発となります
↓

参照:
□崔碩栄氏Twitter5月10日
参考記事:
□産経新聞5月9日『北からの避難民の長男、軍部独裁に反対し投獄も 文在寅氏とは』
□朝鮮日報5月10日『文在寅氏当選:THAAD・慰安婦合意は見直し、太陽政策に回帰か』(ライブドアニュース魚拓)
□ZAKZAK5月11日『米韓同盟破棄も…“北に近すぎる大統領”文在寅氏 「赤化統一」でトランプ氏激怒必至』
□産経新聞5月10日『早くも北との対話シフト 人事から見る文在寅政権のもくろみとは』
□産経新聞5月9日『逆作用した“北風” 北への危機感ゼロ…現状維持望んだ国民』
□産経新聞4月29日『断ち切れぬ「親北」のくびき 太陽政策継続も』
□週刊ポスト4月6日『米国は盧武鉉側近だった文在寅氏大統領就任を歓迎せず』
□産経新聞3月16日『混迷の韓国、赤化阻止へ「戒厳令の発令しかない」 国境に軍の姿が少ない…対北臨戦態勢か 38度線走破ルポ』
□ZAKZAK4月7日『文在寅氏が韓国大統領に就任すれば軍事クーデターの懸念も』
□東亜日報2004年7月11日『文在寅秘書官、北朝鮮のおばと再会』
□東亜日報4月22日『大統領選、「宋旻淳文書」で大揺れ』
□産経新聞10月15日『国連の人権決議案、北朝鮮の意見聞き棄権 韓国盧政権 元外交通商相が回顧録で明かす』
この記事へのコメント
>「亡命するよりも、法曹界に入れ」
これって、直接にしろ間接的にしろ、日本の左翼にも当てはまるかもね。
土井たか子だって、法学者だったから法曹界でしょ。
夢を作った方はそれが嘘でしかないことをよくわかってるんじゃないでしょうか?。
陳哲郎は、帰化して名前を福山哲郎に改め、日本国籍を取得して日本の国会議員にまでなっているものの、やはり「息を吐くように嘘を吐く朝鮮人」のDNAは変えることはできない。