クラウンプリセンスのご帰還…安倍外交が放つ「安保の矢」
意表をつく日・ロ「2プラス2」設置…安全保障に力点を置いたGW期間の安倍外交。腹心の閣僚は、空白地帯を縫って飛ぶ。同じ頃、オランダでは久々のプリンセス登場に湧いていた。
多くの国民の記憶に残るような歴史的な出来事ではないにせよ、ひとつの国が輝きを放つ一日がある。平成25年4月28日は、そんな一日だった。
「会場から『天皇陛下万歳』という声が上がって、みんながそれを唱和したのは良かった」
平沼赳夫元経産相は、セレモニーの最後を飾った聖寿万歳について、そう語る。初めて政府主催で開かれた主権回復記念式典。天皇陛下・皇后陛下がご退席される際、ごく自然に沸き起こった。
▼「主権回復の日」式典4月28日(産経)
壇上に控える安倍首相、麻生財務相も奉唱した。総理大臣が御前で聖寿万歳を唱えたのは、平成21年の天皇陛下御在位20周年式典で鳩山由紀夫が発声して以来のことだ。
会場にいた菅直人や松野頼久らが居眠りをするという不敬行為が取り沙汰された式典である。一方で、今回の聖寿万歳は、国民の多くに鮮やかな印象を与えた。感動的な、奇跡のようなページェントだった。
▼安倍首相らの聖寿万歳4月28日(産経)
安倍首相は、憲政記念館での式典を終えると、その足で羽田空港に向った。GW期間中の6日間を費やすロシア・中東歴訪のスタートである。
▼モスクワ入りした安倍首相4月29日(ロイター)
現地時間4月28日午後、モスクワ・ブヌコボ空港に到着した安倍首相は、翌朝から精力的に活動を開始。無名戦士の墓での献花に続き、市内にあるドンスコエ修道院附属の日本人墓地を参拝した。
ここには、昭和20年8月、愛新覚羅溥儀の日本亡命を計り、奉天でソ連軍に捕われた帝国陸軍・吉岡安直中将、同じく抑留中に亡くなった宮川船夫ハルビン総領事の墓石が建つ。
▼ドンスコエ日本人墓地4月29日(官邸HP)
そして、今回の首脳外交の幕開けとなるプーチン大統領との会談。現地時間29日午後6時過ぎから始まった会談は、3時間を超えた。我が国の対ロシア政策を大きく変える可能性を秘めた重要な会談だった。
「この困難な問題を一気に解決する魔法の杖は、残念ながら存在しない。双方の立場に依然、隔たりが大きいのも事実であるが、腰を据えて今後の交渉にあたっていきたいと思う」
共同会見で安倍首相は、そう述べた。困難な問題とは北方領土返還交渉である。民主党政権下で大幅に後退した返還問題は、確実に新たな局面を迎えた。
▼共同会見する日ロ首脳4月29日(AP)
日本のメディアが、この地殻変動に格段の注意を払うことはなかった。反応は鈍い。それにも増して殆ど伝えられなかったのが、我が国とロシアの「2プラス2」会合創設だ。驚きの事態である。
【中共の意表をつく防衛連携】
「プーチン大統領が安倍首相に冷や水を浴びせた」
4月30日付けの機関紙を通じて中共は、そう酷評した。事実を歪曲して叫ぶのが中共だ。ならば、日ロ首脳会談は大成功だったと言える。特に「2プラス2」の新設に中共は強い衝撃を受けたはずだ。
「2プラス2」とは、防衛・外務担当閣僚による安保保障協議委員会を指す。我が国は1990年に同盟国・米国と枠組みをスタートさせ、2007年からは豪州とも会合を持つことになった。
▼会談に臨む日ロ首脳4月29日(AP)
これまで僅か2ヵ国の特殊な関係だ。97年の新ガイドライン合意や、普天間基地の辺野古移設V字滑走路案で最終決着したのも、日米「2プラス2」だった。
そんな重要な枠組みに、ロシアが新たなパートナーとして加わるという…意外過ぎる展開。ロシア側も「2プラス2」の相手は、伊・英・仏の3ヵ国で、ヨーロッパ以外は初めてだ。
▼日米防衛相会談4月29日(防衛省HP)
しかも、日ロ首脳会談の12時間後には、日米防衛相会談が控えていた。我が国は会談で、尖閣について米国から「安保適用内」との新たな言質を得る必要があった。本来なら、デリケートな局面である。
「しきりに安保協力を求めてきているが、2プラス2なんて…」
日ロ首脳会談の数日前、首相周辺はそう漏らしていたという。産経新聞は、ロシア側から設置を求めてきたと伝えるが、読売などは逆に、安倍首相側の呼び掛けにクレムリンが応じたものだとする。
▼桜の植樹を行う安倍首相4月30日(時事)
真相は今のところ判らない。だが、首脳会談の2日前、日本海にロシア軍の長距離対潜哨戒機TU-142が2機飛来し、空自機がスクランブル発進していた。とても「2プラス2」発表の環境にはない。
▼挑発飛行するTU-142機4月27日(空自撮影)
それでも中共が警戒を強めるのは当然だ。今回のロシア・中東歴訪は、いずれも安全保障面に重点が置かれていた。
【特ア抜きの正しい全方位外交】
「日本とNATOは、新たに出現しつつある安保上の課題に対処するために協力する必要性を認識した」
日ロ会談の2週間前、安倍首相とNATOのラスムセン事務局長は、共同政治宣言に署名した。こうした宣言を発表するするのは、もちろん初めてのケースだ。
▼安倍・ラスムセン会見4月15日(官邸HP)
参考記事:時事通信4月15日『日・NATO共同政治宣言要旨』
「民主主義・人権」といった共通の価値観を全面に掲げた共同政治宣言。明らかに一党独裁・人類史上最悪の虐殺国家である中共をツマ弾きにするもので、反日メディアがベタ記事以下に扱うのも頷ける。
同様に、今回のロシア・中東歴訪でも殆どのメディアが、原発関連の取り決めなど大規模経済ミッションの動きに注目し、安全保障面での進展を大胆に無視した。
▼安倍首相の中東政策演説5月1日(共同)
モスクワに続いて訪問したサウジアラビア、UAEで、安倍首相は防衛・外務当局による事務レベル対話を始めることで合意。更に、我が国の首相として初めて「中東政策演説」を現地で行った。
参照:外務省HP5月1日『共生・共栄・協働がつくる新時代の日本・中東関係』(PDF)
また、一旦引き返すルートで最後に訪問したトルコでも、防衛当局者による協議の促進で一致。ちなみにトルコは、東西冷戦下でNATO軍の最前線だった国家である。
4月28日から5月4日午後の帰国まで、一週間に及んだ安倍首相のGW歴訪。それに並行して岸田外相は南米から北米を縦断、麻生財務相はスリランカ・インドを巡った。
▼デリーの麻生・シン会談5月4日(共同)
特ア抜きの痛快なGW外交だ。そして、首相と副総理・閣僚による歴訪マップの空白地帯も、見事に埋められることとなった。
【世界がプリンセス登場に注目】
安倍首相の出発から約2時間…羽田空港のVIP機専用スポットでは、もうひとつの政府専用機が離陸の瞬間を待っていた。皇太子殿下・皇太子妃殿下のオランダご訪問である。
▼羽田空港ご出発4月28日(産経)
出発前の宮内庁側の不穏な発言や週刊誌による連続バッシング…不安がよぎるのも当然だ。しかし、現実は違った。皇太子殿下・皇太子妃殿下ともに晴れやかなご様子だった。
皇太子妃殿下におかれては11年ぶりの海外公式ご訪問だ。羽田からアムステルダムまで12時間に及ぶフライト…そして政府専用機は現地時間4月28日午後、スキポール空港に舞い降りた。
▼アムス・スキポール空港ご到着4月28日
お疲れのご様子も見られない。御料車に乗り込む間際、妃殿下がプレスの放列に気付かれ、皇太子殿下を呼び止められるという微笑ましいシーンもあった。
「11年ぶりの海外公式訪問がオランダになったのです。これは特別なことです」
取材するオランダ人記者は、嬉しそうに語る。同国で最大発行部数を誇るテレグラーフ紙は、到着時の写真を大きく掲載。海外プレスの注目度は飛び抜けていたのだ。
▼4月29日付テレグラーフ紙(産経)
Her Imperial Highness Crown Princess
英字メディアを眺めると、そこには「皇太子妃殿下」を示す格別な表現があった。クラウン・プリンセスもごく少数だが、インペリアルの冠がつくのは世界で、雅子皇太子妃殿下ただお一方である。
4月30日。この日をもってオランダ・ベアトリクス女王が退位。アムスの名所、ダム広場に面した王宮で式典が行われた後、舞台は隣接する新教会に移る。アレクサンダー新国王の即位式だ。
▼ベアトリクス女王の退位挨拶4月30日(EPA)
これが圧巻だった。
【厳粛な式典を中継カメラが追う】
オランダでは全土に向け、女王の涙の退位式から即位式まで生中継が行われたのが、演出がかなり凝っていた。荘厳と言うより、派手でダイナミックな印象だ。
▼各国王族を迎える儀仗兵4月30日
まず新教会に各国の王族を乗せた2台のリムジンバスが時間差で到着する。順々に車を降りて、報道陣ブース前でご挨拶。そしてブルーのカーペット上をゆっくりと進む…
▼ダム広場の仮設プレス席前で挨拶
どこか見覚えのある光景だ。カンヌとか国際映画祭の雰囲気である。コーナーには、まさかのクレーンカメラが待ち構え、俯瞰ショットから回り込んで王族方の後ろ姿をフォローしたりする。
▼中継カメラが追う新教会入り口付近
おそらく、本末転倒なのだ。レッドカーペットで知られる国際映画祭が、欧州の王室式典を真似たのではないか?こちらこそが、本家本物の「カーペット・ウォーク」だと断言したい。
▼新教会へブルーカーペットが続く
皇太子殿下・皇太子妃殿下のお出ましである。皇太子殿下におかれては燕尾服に、勲章を着用されていた。皇太子妃殿下は、アイボリーのロング・アフタヌーンドレスをお召しになられている。
そして、教会の扉に達するタイミングで、中継カメラがリレーされ、正面ショットに切り替わる。華やかさと同時に厳かな空気が漂う教会内。複数の映像カメラが賓客をアップで捉え続ける…
▼壮麗なアムステルダム新教会内
緊張感はMAXだ。その中、皇太子殿下・皇太子妃殿下は、笑顔を絶やされることなく、最前列の英チャールズ皇太子夫妻らと挨拶を交わされたのち、ゆっくりと着席された。
即位式は、伝統に則った厳粛なスタイルで1時間半ほど続いた。教会内部の張りつめた雰囲気は少しも変わらない。続くレセプションを含めると計4時間にも達するロング・プログラムだった。
▼レセプションの記念撮影(AFP)
事前のメディアの不愉快な記事は何だったのか…皇太子殿下・皇太子妃殿下は、大役を果たされた。新国王の即位式参列。それは我が国とオランダの未来に関わる極めて重要なものだったのだ。
【日蘭の未来開いた伝説のご訪問】
もう10年以上前になるが、アムステルダムに2週間ほど滞在した。中央駅からダム広場、その東側に広がる運河地帯をまめに歩いたものだ。スリリングでフリーダムな良い街である。是非、再訪したい。
アムスはオランダの団塊世代が残した自由都市という横顔を持つ。本場のリベラルなのだが、毎年4月30日のクイーンズ・デイは市民総出で盛り上がり、街はシンボルカラーのオレンジ一色に染まる。
▼会場周辺は約25000人で埋まった
リベラル勢力も女王の誕生日を心から祝う。これが普通の王国の姿だ。しかしオランダには一部に根強い反日感情があり、戦後の日蘭関係は決して一筋縄でないかなかった。ABCD包囲網のDである。
大東亜戦争で我が軍はオランダ軍と激突した。昭和17年1月のボルネオ島北部上陸作戦から連合軍降伏まで僅か2ヵ月という電撃制圧。オランダは300年以上支配していた植民地を60日足らずで失った。
▼即位式後の運河パレード4月30日(ロイター)
我が軍の大勝利から約30年。先帝陛下が1971年にオランダをご訪問された際、不逞蘭人による嫌がらせ事件が発生。一部に残る反日感情の表面化は、かつて交戦国だった記憶を両国に甦らせた。
全世界のVIPが参列した大喪の礼にも、オランダ元首の姿はなかった。国内の反対論に押された模様だが、ベアトリクス女王は事態を憂慮し、平成3年に自ら強く望んで来日を果たした。
▼女王退位式の街頭モニター生中継(AP)
それでも関係は一気に進展せず、天皇陛下のオランダご訪問は2000年まで待たなければならなかった。そして、オランダの国民感情を決定的に変えたのが、この歴史的ご訪問だった。
▼2000年5月のオランダご訪問(FNN)
オランダ・ライデン大学。学生寮1階の外壁には今もパネルが飾られている。2000年5月、天皇陛下・皇后陛下がベアトリクス女王と共に、ここを訪れられた際のスナップだ。
▼ライデン大学寮の記念パネル
窓から身を乗り出し、ご訪問の様子を眺めていた女学生に、天皇陛下が歩み寄られ、お声を掛けたのである。フランクなご様子に、オランダ国民は激しく感動したという。日蘭関係は、劇的に変わった。
天皇陛下が、我が国とオランダの“戦後”にピリオドを打たれたのだ。
【王が祝福する“究極の外交”】
平成18年夏、東宮ご一家は非公式で海外をご訪問された。ご療養先として選ばれたのがオランダ王室の離宮だったのだ。これは、皇太子妃殿下のご病状を心配したマクシマ新王妃の誘いで実ったものだという。
▼オランダ非公式ご訪問2006年8月
アレクサンダー新国王は平成22年にも来日。皇太子殿下が千葉・利根運河を案内された。皇太子殿下が名誉総裁を務められる国際学術会議で新国王は議長を務め、今年3月のNYご訪問でも交流されていた。
東宮ご一家と新国王ファミリーは、たいへん親密な関係にある。そのことからも今回の即位式ご出席は重要だった。直前まで不協和音がうるさかったが、大舞台は華やかな印象を残して幕を閉じた。
ファミリー同士の絆が深まっただけではない。我が国とオランダの関係も、過去413年間で最も良好な状態に入った。これぞ外交を超える外交である。
ご皇室外交を「政治利用」として批判することは誤りだ。外交は政治家や官僚の専売特許ではない。王と王の交流や取り決めは、中世よりも前に始まる古典的な外交だ。
▼アムス新教会の即位式4月30日(AFP)
首相も1年から数年で変わり、政権政党も移り変わる。一方で、王室は揺るがない。ご皇室とオランダ・オラニエ家の繋がりで、日蘭関係は今後100年単位で安泰とも言える。元から時間的スケールが違う。
2つの主権国家が権益で衝突することは、常に可能性として残る。ギリギリの局面で王室同士の関係によって踏み止まったケースは、歴史が物語る通りだ。昔からの知恵が詰まった究極の安全保障である。
▼即位式に参列した各国王室(AFP)
オランダ国王即位式には、宗派を超えて各国の王族方が集った。それでも数は多くない。現在、王国と認められているのは27ヵ国余りだ。新たな王国の誕生もない。限られた“小さなサークル”だ。
そこに東アジア地域から唯一加わっていたのが、ご皇室である。厳粛な式典の中、皇太子殿下・皇太子妃殿下の泰然とされたお姿を拝し、誇らしく想った。
▼即位式後、レセプション会場へ(AFP)
アムステルダム新教会には、その日、日本国のプライドが輝いていたのだ。
〆
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参考動画:
YouTube『Arrival Princes New Church Amsterdam April 30, 2013』
参考記事:
■AFP5月1日『皇太子ご夫妻、オランダ国王即位式にご出席』
■イザ5月1日『雅子さま ご回復に期待 オランダ国王即位式ご出席』
■イザ4月19日『昭和天皇の時代から交流 オランダ王室、皇室と縁深く』
■イザ4月30日『雅子さまオランダご訪問、現地でも関心』
■女性セブン5月9日号『オランダ訪問の雅子さま 地元紙「なんと美しい!」と報じる』
■毎日新聞5月4日『オランダで国王即位式「そろって参列し安堵」皇太子ご夫妻帰国』
■産経新聞5月3日『主権回復式典、安倍首相が式辞に込めた天皇陛下の思い』
■時事通信4月30日『亡き父ゆかりの桜と「再会」=安倍首相』
■産経新聞4月30日『中国にらみ安保協力強化 「脅威」が共通認識に』
■読売新聞4月27日『露大統領に「2プラス2」提案へ…北方領協議も』
■東京新聞4月30日『2+2で対北議論 日ロ首脳が連携で一致』
多くの国民の記憶に残るような歴史的な出来事ではないにせよ、ひとつの国が輝きを放つ一日がある。平成25年4月28日は、そんな一日だった。
「会場から『天皇陛下万歳』という声が上がって、みんながそれを唱和したのは良かった」
平沼赳夫元経産相は、セレモニーの最後を飾った聖寿万歳について、そう語る。初めて政府主催で開かれた主権回復記念式典。天皇陛下・皇后陛下がご退席される際、ごく自然に沸き起こった。
▼「主権回復の日」式典4月28日(産経)
壇上に控える安倍首相、麻生財務相も奉唱した。総理大臣が御前で聖寿万歳を唱えたのは、平成21年の天皇陛下御在位20周年式典で鳩山由紀夫が発声して以来のことだ。
会場にいた菅直人や松野頼久らが居眠りをするという不敬行為が取り沙汰された式典である。一方で、今回の聖寿万歳は、国民の多くに鮮やかな印象を与えた。感動的な、奇跡のようなページェントだった。
▼安倍首相らの聖寿万歳4月28日(産経)
安倍首相は、憲政記念館での式典を終えると、その足で羽田空港に向った。GW期間中の6日間を費やすロシア・中東歴訪のスタートである。
▼モスクワ入りした安倍首相4月29日(ロイター)
現地時間4月28日午後、モスクワ・ブヌコボ空港に到着した安倍首相は、翌朝から精力的に活動を開始。無名戦士の墓での献花に続き、市内にあるドンスコエ修道院附属の日本人墓地を参拝した。
ここには、昭和20年8月、愛新覚羅溥儀の日本亡命を計り、奉天でソ連軍に捕われた帝国陸軍・吉岡安直中将、同じく抑留中に亡くなった宮川船夫ハルビン総領事の墓石が建つ。
▼ドンスコエ日本人墓地4月29日(官邸HP)
そして、今回の首脳外交の幕開けとなるプーチン大統領との会談。現地時間29日午後6時過ぎから始まった会談は、3時間を超えた。我が国の対ロシア政策を大きく変える可能性を秘めた重要な会談だった。
「この困難な問題を一気に解決する魔法の杖は、残念ながら存在しない。双方の立場に依然、隔たりが大きいのも事実であるが、腰を据えて今後の交渉にあたっていきたいと思う」
共同会見で安倍首相は、そう述べた。困難な問題とは北方領土返還交渉である。民主党政権下で大幅に後退した返還問題は、確実に新たな局面を迎えた。
▼共同会見する日ロ首脳4月29日(AP)
日本のメディアが、この地殻変動に格段の注意を払うことはなかった。反応は鈍い。それにも増して殆ど伝えられなかったのが、我が国とロシアの「2プラス2」会合創設だ。驚きの事態である。
【中共の意表をつく防衛連携】
「プーチン大統領が安倍首相に冷や水を浴びせた」
4月30日付けの機関紙を通じて中共は、そう酷評した。事実を歪曲して叫ぶのが中共だ。ならば、日ロ首脳会談は大成功だったと言える。特に「2プラス2」の新設に中共は強い衝撃を受けたはずだ。
「2プラス2」とは、防衛・外務担当閣僚による安保保障協議委員会を指す。我が国は1990年に同盟国・米国と枠組みをスタートさせ、2007年からは豪州とも会合を持つことになった。
▼会談に臨む日ロ首脳4月29日(AP)
これまで僅か2ヵ国の特殊な関係だ。97年の新ガイドライン合意や、普天間基地の辺野古移設V字滑走路案で最終決着したのも、日米「2プラス2」だった。
そんな重要な枠組みに、ロシアが新たなパートナーとして加わるという…意外過ぎる展開。ロシア側も「2プラス2」の相手は、伊・英・仏の3ヵ国で、ヨーロッパ以外は初めてだ。
▼日米防衛相会談4月29日(防衛省HP)
しかも、日ロ首脳会談の12時間後には、日米防衛相会談が控えていた。我が国は会談で、尖閣について米国から「安保適用内」との新たな言質を得る必要があった。本来なら、デリケートな局面である。
「しきりに安保協力を求めてきているが、2プラス2なんて…」
日ロ首脳会談の数日前、首相周辺はそう漏らしていたという。産経新聞は、ロシア側から設置を求めてきたと伝えるが、読売などは逆に、安倍首相側の呼び掛けにクレムリンが応じたものだとする。
▼桜の植樹を行う安倍首相4月30日(時事)
真相は今のところ判らない。だが、首脳会談の2日前、日本海にロシア軍の長距離対潜哨戒機TU-142が2機飛来し、空自機がスクランブル発進していた。とても「2プラス2」発表の環境にはない。
▼挑発飛行するTU-142機4月27日(空自撮影)
それでも中共が警戒を強めるのは当然だ。今回のロシア・中東歴訪は、いずれも安全保障面に重点が置かれていた。
【特ア抜きの正しい全方位外交】
「日本とNATOは、新たに出現しつつある安保上の課題に対処するために協力する必要性を認識した」
日ロ会談の2週間前、安倍首相とNATOのラスムセン事務局長は、共同政治宣言に署名した。こうした宣言を発表するするのは、もちろん初めてのケースだ。
▼安倍・ラスムセン会見4月15日(官邸HP)
参考記事:時事通信4月15日『日・NATO共同政治宣言要旨』
「民主主義・人権」といった共通の価値観を全面に掲げた共同政治宣言。明らかに一党独裁・人類史上最悪の虐殺国家である中共をツマ弾きにするもので、反日メディアがベタ記事以下に扱うのも頷ける。
同様に、今回のロシア・中東歴訪でも殆どのメディアが、原発関連の取り決めなど大規模経済ミッションの動きに注目し、安全保障面での進展を大胆に無視した。
▼安倍首相の中東政策演説5月1日(共同)
モスクワに続いて訪問したサウジアラビア、UAEで、安倍首相は防衛・外務当局による事務レベル対話を始めることで合意。更に、我が国の首相として初めて「中東政策演説」を現地で行った。
参照:外務省HP5月1日『共生・共栄・協働がつくる新時代の日本・中東関係』(PDF)
また、一旦引き返すルートで最後に訪問したトルコでも、防衛当局者による協議の促進で一致。ちなみにトルコは、東西冷戦下でNATO軍の最前線だった国家である。
4月28日から5月4日午後の帰国まで、一週間に及んだ安倍首相のGW歴訪。それに並行して岸田外相は南米から北米を縦断、麻生財務相はスリランカ・インドを巡った。
▼デリーの麻生・シン会談5月4日(共同)
特ア抜きの痛快なGW外交だ。そして、首相と副総理・閣僚による歴訪マップの空白地帯も、見事に埋められることとなった。
【世界がプリンセス登場に注目】
安倍首相の出発から約2時間…羽田空港のVIP機専用スポットでは、もうひとつの政府専用機が離陸の瞬間を待っていた。皇太子殿下・皇太子妃殿下のオランダご訪問である。
▼羽田空港ご出発4月28日(産経)
出発前の宮内庁側の不穏な発言や週刊誌による連続バッシング…不安がよぎるのも当然だ。しかし、現実は違った。皇太子殿下・皇太子妃殿下ともに晴れやかなご様子だった。
皇太子妃殿下におかれては11年ぶりの海外公式ご訪問だ。羽田からアムステルダムまで12時間に及ぶフライト…そして政府専用機は現地時間4月28日午後、スキポール空港に舞い降りた。
▼アムス・スキポール空港ご到着4月28日
お疲れのご様子も見られない。御料車に乗り込む間際、妃殿下がプレスの放列に気付かれ、皇太子殿下を呼び止められるという微笑ましいシーンもあった。
「11年ぶりの海外公式訪問がオランダになったのです。これは特別なことです」
取材するオランダ人記者は、嬉しそうに語る。同国で最大発行部数を誇るテレグラーフ紙は、到着時の写真を大きく掲載。海外プレスの注目度は飛び抜けていたのだ。
▼4月29日付テレグラーフ紙(産経)
Her Imperial Highness Crown Princess
英字メディアを眺めると、そこには「皇太子妃殿下」を示す格別な表現があった。クラウン・プリンセスもごく少数だが、インペリアルの冠がつくのは世界で、雅子皇太子妃殿下ただお一方である。
4月30日。この日をもってオランダ・ベアトリクス女王が退位。アムスの名所、ダム広場に面した王宮で式典が行われた後、舞台は隣接する新教会に移る。アレクサンダー新国王の即位式だ。
▼ベアトリクス女王の退位挨拶4月30日(EPA)
これが圧巻だった。
【厳粛な式典を中継カメラが追う】
オランダでは全土に向け、女王の涙の退位式から即位式まで生中継が行われたのが、演出がかなり凝っていた。荘厳と言うより、派手でダイナミックな印象だ。
▼各国王族を迎える儀仗兵4月30日
まず新教会に各国の王族を乗せた2台のリムジンバスが時間差で到着する。順々に車を降りて、報道陣ブース前でご挨拶。そしてブルーのカーペット上をゆっくりと進む…
▼ダム広場の仮設プレス席前で挨拶
どこか見覚えのある光景だ。カンヌとか国際映画祭の雰囲気である。コーナーには、まさかのクレーンカメラが待ち構え、俯瞰ショットから回り込んで王族方の後ろ姿をフォローしたりする。
▼中継カメラが追う新教会入り口付近
おそらく、本末転倒なのだ。レッドカーペットで知られる国際映画祭が、欧州の王室式典を真似たのではないか?こちらこそが、本家本物の「カーペット・ウォーク」だと断言したい。
▼新教会へブルーカーペットが続く
皇太子殿下・皇太子妃殿下のお出ましである。皇太子殿下におかれては燕尾服に、勲章を着用されていた。皇太子妃殿下は、アイボリーのロング・アフタヌーンドレスをお召しになられている。
そして、教会の扉に達するタイミングで、中継カメラがリレーされ、正面ショットに切り替わる。華やかさと同時に厳かな空気が漂う教会内。複数の映像カメラが賓客をアップで捉え続ける…
▼壮麗なアムステルダム新教会内
緊張感はMAXだ。その中、皇太子殿下・皇太子妃殿下は、笑顔を絶やされることなく、最前列の英チャールズ皇太子夫妻らと挨拶を交わされたのち、ゆっくりと着席された。
即位式は、伝統に則った厳粛なスタイルで1時間半ほど続いた。教会内部の張りつめた雰囲気は少しも変わらない。続くレセプションを含めると計4時間にも達するロング・プログラムだった。
▼レセプションの記念撮影(AFP)
事前のメディアの不愉快な記事は何だったのか…皇太子殿下・皇太子妃殿下は、大役を果たされた。新国王の即位式参列。それは我が国とオランダの未来に関わる極めて重要なものだったのだ。
【日蘭の未来開いた伝説のご訪問】
もう10年以上前になるが、アムステルダムに2週間ほど滞在した。中央駅からダム広場、その東側に広がる運河地帯をまめに歩いたものだ。スリリングでフリーダムな良い街である。是非、再訪したい。
アムスはオランダの団塊世代が残した自由都市という横顔を持つ。本場のリベラルなのだが、毎年4月30日のクイーンズ・デイは市民総出で盛り上がり、街はシンボルカラーのオレンジ一色に染まる。
▼会場周辺は約25000人で埋まった
リベラル勢力も女王の誕生日を心から祝う。これが普通の王国の姿だ。しかしオランダには一部に根強い反日感情があり、戦後の日蘭関係は決して一筋縄でないかなかった。ABCD包囲網のDである。
大東亜戦争で我が軍はオランダ軍と激突した。昭和17年1月のボルネオ島北部上陸作戦から連合軍降伏まで僅か2ヵ月という電撃制圧。オランダは300年以上支配していた植民地を60日足らずで失った。
▼即位式後の運河パレード4月30日(ロイター)
我が軍の大勝利から約30年。先帝陛下が1971年にオランダをご訪問された際、不逞蘭人による嫌がらせ事件が発生。一部に残る反日感情の表面化は、かつて交戦国だった記憶を両国に甦らせた。
全世界のVIPが参列した大喪の礼にも、オランダ元首の姿はなかった。国内の反対論に押された模様だが、ベアトリクス女王は事態を憂慮し、平成3年に自ら強く望んで来日を果たした。
▼女王退位式の街頭モニター生中継(AP)
それでも関係は一気に進展せず、天皇陛下のオランダご訪問は2000年まで待たなければならなかった。そして、オランダの国民感情を決定的に変えたのが、この歴史的ご訪問だった。
▼2000年5月のオランダご訪問(FNN)
オランダ・ライデン大学。学生寮1階の外壁には今もパネルが飾られている。2000年5月、天皇陛下・皇后陛下がベアトリクス女王と共に、ここを訪れられた際のスナップだ。
▼ライデン大学寮の記念パネル
窓から身を乗り出し、ご訪問の様子を眺めていた女学生に、天皇陛下が歩み寄られ、お声を掛けたのである。フランクなご様子に、オランダ国民は激しく感動したという。日蘭関係は、劇的に変わった。
天皇陛下が、我が国とオランダの“戦後”にピリオドを打たれたのだ。
【王が祝福する“究極の外交”】
平成18年夏、東宮ご一家は非公式で海外をご訪問された。ご療養先として選ばれたのがオランダ王室の離宮だったのだ。これは、皇太子妃殿下のご病状を心配したマクシマ新王妃の誘いで実ったものだという。
▼オランダ非公式ご訪問2006年8月
アレクサンダー新国王は平成22年にも来日。皇太子殿下が千葉・利根運河を案内された。皇太子殿下が名誉総裁を務められる国際学術会議で新国王は議長を務め、今年3月のNYご訪問でも交流されていた。
東宮ご一家と新国王ファミリーは、たいへん親密な関係にある。そのことからも今回の即位式ご出席は重要だった。直前まで不協和音がうるさかったが、大舞台は華やかな印象を残して幕を閉じた。
ファミリー同士の絆が深まっただけではない。我が国とオランダの関係も、過去413年間で最も良好な状態に入った。これぞ外交を超える外交である。
ご皇室外交を「政治利用」として批判することは誤りだ。外交は政治家や官僚の専売特許ではない。王と王の交流や取り決めは、中世よりも前に始まる古典的な外交だ。
▼アムス新教会の即位式4月30日(AFP)
首相も1年から数年で変わり、政権政党も移り変わる。一方で、王室は揺るがない。ご皇室とオランダ・オラニエ家の繋がりで、日蘭関係は今後100年単位で安泰とも言える。元から時間的スケールが違う。
2つの主権国家が権益で衝突することは、常に可能性として残る。ギリギリの局面で王室同士の関係によって踏み止まったケースは、歴史が物語る通りだ。昔からの知恵が詰まった究極の安全保障である。
▼即位式に参列した各国王室(AFP)
オランダ国王即位式には、宗派を超えて各国の王族方が集った。それでも数は多くない。現在、王国と認められているのは27ヵ国余りだ。新たな王国の誕生もない。限られた“小さなサークル”だ。
そこに東アジア地域から唯一加わっていたのが、ご皇室である。厳粛な式典の中、皇太子殿下・皇太子妃殿下の泰然とされたお姿を拝し、誇らしく想った。
▼即位式後、レセプション会場へ(AFP)
アムステルダム新教会には、その日、日本国のプライドが輝いていたのだ。
〆
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参考動画:
YouTube『Arrival Princes New Church Amsterdam April 30, 2013』
参考記事:
■AFP5月1日『皇太子ご夫妻、オランダ国王即位式にご出席』
■イザ5月1日『雅子さま ご回復に期待 オランダ国王即位式ご出席』
■イザ4月19日『昭和天皇の時代から交流 オランダ王室、皇室と縁深く』
■イザ4月30日『雅子さまオランダご訪問、現地でも関心』
■女性セブン5月9日号『オランダ訪問の雅子さま 地元紙「なんと美しい!」と報じる』
■毎日新聞5月4日『オランダで国王即位式「そろって参列し安堵」皇太子ご夫妻帰国』
■産経新聞5月3日『主権回復式典、安倍首相が式辞に込めた天皇陛下の思い』
■時事通信4月30日『亡き父ゆかりの桜と「再会」=安倍首相』
■産経新聞4月30日『中国にらみ安保協力強化 「脅威」が共通認識に』
■読売新聞4月27日『露大統領に「2プラス2」提案へ…北方領協議も』
■東京新聞4月30日『2+2で対北議論 日ロ首脳が連携で一致』
この記事へのコメント
「神話時代から2,600年、史料等で確認できる限りでも1,300年以上続く皇室には、時々スカな人もいたしなぁ」なんて思っていた自分を深く恥じました。
それにしてもNHKは雪山での遭難や高速バス事故一周年のことはトップ報道しても、総理のロシア訪問もトルコ訪問も後回しか完全無視でした。
国会はNHK予算を否認してNHKを退治すべし!
巷では何かと論評があったようですが、この度の皇太子殿下・妃殿下のオランダご訪問もまさに“元から時間的スケールが違う”外交力を示してくださいました。
記念撮影での両陛下の立ち位置もサミットで蚊帳の外に置かれていた菅直人とは…比べるだけ野暮ですね。
こちらこそです。ベアトリクス女王の夫クラウス殿下(元ドイツ外交官)もメンタルな病いで長年、苦労したそうで、ポイントは病気への理解にあるように思えます。
>ココアさま
ありがとうございます。報道は短くあったようですが、豪華な即位式を「めったにない映像コンテンツ」として認識できないところが、既存メディアの限界なんでしょうね。
>風来坊さま
エネルギー・資源の獲得は安全保障と不可分であることを専門家も語っていませんでした。そんな中、安倍政権復活のタイミングで11年ぶり海外ご公務が実現したことも嬉しかったです。
長く新記事が無くてさびしかったですが、今回の記事を読ませていただき胸が熱くなりました。
激励、感謝です。海外ご公務の時は、写真が豊富に配信されるので、楽しみだったりもするのですが、機会は少ない…それだから貴重なのかも。特に今回は“王子サミット”風だったので、華やかでした。
一方、安倍総理のロシア中東歴訪は大成功でした。ご指摘のようにロシアとの2+2新設には中共指導部は心底恐怖を覚えているはずです。
この安倍外交と皇室外交を重ね合わせてみるアネモネさんの視点は秀逸です。シナ・コリア政府は狂ったように日本孤立化政策を米国に働きかけていますが、実は自らが安倍外交により孤立化させられている現実への自覚の裏返しにすぎません。またあれら毒亜の人民もホンネでは皇室を羨んでいるのです。ゆえに一層のこと毒亜政府は焦りまくるのでせう。
そうオランダは、お隣りでしたね。まともな国と接しているドイツが羨ましい。今回の即位式全体が良い雰囲気で、印象あざやかでした。同じ頃、ロシアがにわかに動き出したようにも…その後の関連ニュースが全くないのも妙な感じです。
2006年12月
原発の電源喪失に伴う原子炉冷却に関する質問で、
「必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない。」として、
「原子炉の冷却ができない事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。」
と答弁し、そのまま放置した
安倍首相を信じましょう。
2013年2月
少なくない国民が望んだであろう、「政府主催の『竹島の日記念式典』」を
政府主催とせず島尻安伊子内閣府政務官の出席に留めた
安倍首相を信じましょう。
2013年3月
選挙公約で「『聖域なき関税撤廃』を前提にする限り、TPP交渉参加に反対します」として、
聖域交渉はこれから行うと言い、TPP交渉参加した
安倍首相を信じましょう。
2013年4月
麻生副総理や他の国会議員は参拝したが、
『靖国神社』で最も重要な祭事である『春秋例大祭』に参拝しない
安倍首相を信じましょう。
2013年5月
過去公明党も推進した『人権擁護法案』や『人権委員会設置法案』と同じく
「三条委員会」の設置を認めるマイナンバー法案を衆議院で通過させた
安倍首相を信じましょう。
菅義偉官房長官により、『村山談話』を
「(談話)全体を歴代内閣と同じように引き継ぐと申し上げる」
と修正された
安倍首相を信じましょう。
皆さん、安倍首相を信じましょう。