天皇陛下の大悲が列島を包む…御用邸開放に御料も下賜
「一日も早く被災地に…」そう願われていた両陛下が福島の被災者を見舞われた。御料牧場の食材下賜に続いて那須御用邸の浴室も開放。被災者へのお心遣いが復興に向けて日本人を突き動かす。
「じっくり話を聞いて頂き、嬉しかった。まだまだ頑張らなきゃという気持ちになった」
福島県いわき市から都内に避難して来た76歳の男性は感動を隠せない模様で語った。施設が被災した為、車イス生活を送る妻の介護が出来なくなり、夫婦で故郷を後にしたという。
▼足立区の東京武道館にご到着3月30日(ロイター)
天皇陛下・皇后陛下におかれては3月30日、東京・足立区の東京武道館に行幸啓され、被災者をご慰問された。東京武道館は17日から被災者・避難民を受け入れ、約300人が身を寄せている。
30日午後3時半に東京武道館に到着された天皇陛下・皇后陛下は、仕切られた区画を一つずつ巡られ、すべてのグループにお見舞いと励ましの言葉をおくられた。
▼膝をつかれてお話される3月30日(AP通信)
「本当に心配して下さっている気持ちが伝わってきた」
福島県浪江町から避難している男性は、そう語る。天皇陛下・皇后陛下は床に膝をお付きになって話しかけられた。その中には生後7ヵ月の乳児を連れた女性もいた。
「皇后陛下には息子のミルクの心配をして、優しい言葉を掛けて頂いた」
▼身を乗り出されて話しかけられる(ロイター)
「陛下に『眠れていますか?』とお声を掛けていただき、皇后陛下には握手して頂いた。とても優しい手で元気が伝わってきた」
いわき市の80歳の男性は、そう振り返る。突然の行幸啓とあって仕切り板には洗濯物が干されたままだったが、天皇陛下はお気になさらないご様子だ。
▼御前で低頭する被災者の男性(AP通信)
天皇陛下からお言葉を賜り、手を付いてお辞儀する男性の姿もあった。また胡座をかいたままだが、両手を合わせて拝む若い被災者もいた。
▼御前で手をあわせる若者2人組(ロイター)
天皇陛下・皇后陛下の東京武道館ご訪問は、予定時刻オーバーの約1時間。都職員による説明を省略し、被災者へのお見舞いに費やされたという。
今回の大震災後初の行幸啓に同避難所が選ばれたことは、原発事故と無関係ではないようにも窺える。
【史上初の御用邸開放に感謝の声】
「いつになったら家に帰れるか先が見えない不安の中、膝をついて話しかけてくださる優しい姿に力づけられた。妻と2人で大きな勇気を貰いました」
東京武道館で天皇陛下・皇后陛下よりお言葉を賜った夫婦は、福島県南相馬市から避難してきた。自宅は福島第1原発の30㌔圏内。この避難所には、福島県内から移ってきた被災者が多い。
▼全グループにお声を掛けられた3月30日(AP通信)
原発不安が続く中、旅館や病院で差別的な待遇を受けたと訴える福島県内からの避難者もいる。少なくとも今回の行幸啓は、風評被害を軽減させる効果もあっただろう。
参照:読売新聞3月30日『「避難所後」の生活不安 福島からの50人聞き取り』
3月26日、栃木県の那須御用邸にある浴室が被災者に開放された。初日に訪れた22人は、福島県内から那須町の避難所に身を寄せている家族らだった。
▼那須御用邸を訪れた被災者3月26日(AP通信)
「気持ち良かった。避難しているということを忘れさせてくれました」
そう感激したのは、福島県波江町から避難してきた女性だ。福島第1原発に近い浪江町は、ほぼ全域が避難指示と自主避難の対象になっている。また相馬市から妻子と共に避難してきた男性は、こう語る。
「久しぶりに温まった。めったに来られる所じゃないし、一時だけど観光気分になれたよ」
▼御用邸内でくつろぐ被災者3月26日(代表撮影)
男性の自宅は震災で半壊。福島第1原発から約40キロの場所だったが、原発事故が鎮静化しないことから18日に栃木県に移った。御用邸での入浴は被災後2度目だったという。
「宮内庁関連施設を役立ててもらえないか」
宮内庁の羽毛田長官は24日の会見で、そう天皇陛下から指示を受けたと明かした。瀟洒な佇まいの那須御用邸が建てられたのは大正15年。長い歴史の中で一般開放されたのは初めてのケースだ。
▼那須御用邸の供奉員施設3月26日(AP通信)
被災者が入浴したのは供奉(ぐぶ)員宿舎の風呂だが、供奉とは侍従長や侍従などで単なる職員用施設ではない。歴代の侍従長らも利用したやんごとなき浴室である。
また御用邸での被災者入浴を前に、宮内庁ではタオル3000枚以上を用意。その袋詰め作業には、秋篠宮妃殿下と眞子内親王殿下、佳子内親王殿下が参加されたという。
▼御用邸内を案内される被災者3月26日(代表撮影)
同時に栃木県は保健師を派遣して被災者の健康相談に応じた他、送迎バスも運行。4月末までに多くの被災者を御用邸の浴場に案内する予定だという。
そして被災者に対する天皇陛下の御配慮は、これだけではなかった。
【御料牧場の食材下賜に感激の声】
那須御用邸開放の前日、同じ栃木県にある御料牧場では食料品が次々に車に積み込まれていた。天皇陛下が御料牧場で生産された食品を被災者に下賜されたのだ。
▼御料牧場食材の積み込み作業3月25日(下野新聞)
運び込まれたのは、栃木県益子町にある避難所だった。そこに居る約100人は、原発事故で福島県内から避難してきた人々だ。相馬市から避難している女性は、こう感激する。
「本当にありがたい。感謝の気持ちでいっぱいです」
下賜されたのは1200個余りの鶏卵の他、鶏肉の薫製やソーセージの缶詰など250個以上。御料牧場の生産品は通常、ご皇室関連行事で使われるが、近くに避難所が設置されたことから下賜される運びになった。
▼箱詰めする御料牧場の職員3月25日(下野新聞)
「ささやかではあるが、避難している人たちのために役立てて欲しい」
天皇陛下・皇后陛下は、そう指示されたという。避難所の所長は「両陛下のおぼしめしを、避難された方にも伝えたい」と語り、届いた直後に調理し、夕食として被災者に提供した。
「子供たちと一緒にありがたく頂きたいと思います」
▼避難所で暮らす福島の被災者3月25日(ANN)
御料牧場の食品が下賜されるのは極めて稀だが、初めてではない。平成12年9月、三宅島の噴火で都内に避難していた子供達に牛乳が贈られたことがあった。
「両陛下の温かい心遣いを受けて、つらい思いをしている被災者には大きな励ましになる」
御用邸の開放を含めて栃木県の福田知事は、そう述べている。またとない恩賜の食材と湯船だ。そして現在、大御心に感動を覚えているのは、被災者だけではない。
【非常時に国民が頼るご威光と包容力】
「できることを実行されているのに感動する」
3月15日から御所で続けられている“自主停電”。その事実が広まると共に、反響も高まった。体調を気遣う声も多いが、羽毛田長官によると天皇陛下は、こう仰せられているという。
「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいい」
▼節電で宮殿も閉鎖中だった3月17日(代表撮影)
東電が見送った日も定時に電気をお止めになり、暗い中で夕食を執られるケースもあると伝えられる。東宮御所でも“自主停電”が行われていることも明らかになった。
こうしたエピソードを知って、節電に努めている国民も多いに違いない。東電は節電効果が出始めていると説明しているが、天皇陛下の影響は絶大だ。宮内庁幹部は、こう漏らしている。
「閣僚のPRより、両陛下のお姿のほうが、国民に強く計画停電の重要性を訴えるのかも知れない」
▼“平成の玉音放送”を観る国民3月16日(ロイター)
国が困難な時に際立つのが御皇室だ。米国は震災後、我が国に向け複数の声明を発表しているが、オバマ大統領は改めて天皇陛下にお見舞いのメッセージを送った。絶大な影響力を鑑みたのかも知れない。
参照:在東京米国大使館HP3月31日プレスリリース『オバマ大統領の天皇陛下への手紙全文』
天皇陛下・皇后陛下は大震災の発生直後から「一日でも早く被災地を訪れたい」との御意向を示されているという。しかし未だに被害の全容が判明していない事などから延期になっている。
▼東京武道館の被災者ご慰問3月30日(AP通信)
これまで天皇陛下・皇后陛下は甚大な災害が起きる度、逸早く被災地に向かわれ、被災者を励まされた。阪神大震災の時は、約2週間後。その際、皇后陛下が供えられた水仙の逸話は伝説的でもある。
■ YouTube『両陛下、阪神淡路大震災の被災地ご訪問 希望の水仙 2/2』
どれほど有能な政治家であれ、ひと言で国民が一丸になることはない。御皇室の威光と包容力は一瞬で全国民を結ぶ。いつの世も変わりない。本格的な復興への扉を開くのは天皇陛下だ。
〆
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参考記事:
■産経社説4月1日『両陛下がお見舞い 苦難を共にし立ち直ろう』
■産経抄3月27日
■産経新聞3月31日『両陛下、都内の避難所をご訪問 すべてのグループに声をおかけに』
■亀有経済新聞3月31日『両陛下、綾瀬・東京武道館の避難者をお見舞いに-地元民にも元気与える』
■時事通信3月30日『両陛下、都内の避難所訪問=被災者に直接お見舞い』
■スポーツ報知3月30日『天皇、皇后両陛下が避難所お見舞い』
■日経新聞3月30日『両陛下、都内の避難所を慰問』
■読売新聞3月27日『那須御用邸の風呂ぬくもり感謝』
■下野新聞3月25日『両陛下「被災者のために」 那須御用邸の温泉解放』
■毎日新聞3月26日『「気持ちいい」栃木・那須御用邸の温泉施設開放』
■共同通信3月26日『被災者が御用邸の温泉で入浴 「役立てば」と両陛下』
■朝日新聞3月25日『御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め』
■下野新聞3月26日『御料牧場の食料品を下賜』
■産経新聞3月25日『両陛下「自主停電」、反響3千件』
■朝日新聞3月24日『両陛下は毎日「自主節電」東電の計画停電に合わせ』
■産経新聞3月24日『両陛下、「自主停電」お続けに』
■WSJ3月30日『Japan Imperial Household Offers Crisis Help』
↑(末尾に和訳版への案内あり)
「じっくり話を聞いて頂き、嬉しかった。まだまだ頑張らなきゃという気持ちになった」
福島県いわき市から都内に避難して来た76歳の男性は感動を隠せない模様で語った。施設が被災した為、車イス生活を送る妻の介護が出来なくなり、夫婦で故郷を後にしたという。
▼足立区の東京武道館にご到着3月30日(ロイター)
天皇陛下・皇后陛下におかれては3月30日、東京・足立区の東京武道館に行幸啓され、被災者をご慰問された。東京武道館は17日から被災者・避難民を受け入れ、約300人が身を寄せている。
30日午後3時半に東京武道館に到着された天皇陛下・皇后陛下は、仕切られた区画を一つずつ巡られ、すべてのグループにお見舞いと励ましの言葉をおくられた。
▼膝をつかれてお話される3月30日(AP通信)
「本当に心配して下さっている気持ちが伝わってきた」
福島県浪江町から避難している男性は、そう語る。天皇陛下・皇后陛下は床に膝をお付きになって話しかけられた。その中には生後7ヵ月の乳児を連れた女性もいた。
「皇后陛下には息子のミルクの心配をして、優しい言葉を掛けて頂いた」
▼身を乗り出されて話しかけられる(ロイター)
「陛下に『眠れていますか?』とお声を掛けていただき、皇后陛下には握手して頂いた。とても優しい手で元気が伝わってきた」
いわき市の80歳の男性は、そう振り返る。突然の行幸啓とあって仕切り板には洗濯物が干されたままだったが、天皇陛下はお気になさらないご様子だ。
▼御前で低頭する被災者の男性(AP通信)
天皇陛下からお言葉を賜り、手を付いてお辞儀する男性の姿もあった。また胡座をかいたままだが、両手を合わせて拝む若い被災者もいた。
▼御前で手をあわせる若者2人組(ロイター)
天皇陛下・皇后陛下の東京武道館ご訪問は、予定時刻オーバーの約1時間。都職員による説明を省略し、被災者へのお見舞いに費やされたという。
今回の大震災後初の行幸啓に同避難所が選ばれたことは、原発事故と無関係ではないようにも窺える。
【史上初の御用邸開放に感謝の声】
「いつになったら家に帰れるか先が見えない不安の中、膝をついて話しかけてくださる優しい姿に力づけられた。妻と2人で大きな勇気を貰いました」
東京武道館で天皇陛下・皇后陛下よりお言葉を賜った夫婦は、福島県南相馬市から避難してきた。自宅は福島第1原発の30㌔圏内。この避難所には、福島県内から移ってきた被災者が多い。
▼全グループにお声を掛けられた3月30日(AP通信)
原発不安が続く中、旅館や病院で差別的な待遇を受けたと訴える福島県内からの避難者もいる。少なくとも今回の行幸啓は、風評被害を軽減させる効果もあっただろう。
参照:読売新聞3月30日『「避難所後」の生活不安 福島からの50人聞き取り』
3月26日、栃木県の那須御用邸にある浴室が被災者に開放された。初日に訪れた22人は、福島県内から那須町の避難所に身を寄せている家族らだった。
▼那須御用邸を訪れた被災者3月26日(AP通信)
「気持ち良かった。避難しているということを忘れさせてくれました」
そう感激したのは、福島県波江町から避難してきた女性だ。福島第1原発に近い浪江町は、ほぼ全域が避難指示と自主避難の対象になっている。また相馬市から妻子と共に避難してきた男性は、こう語る。
「久しぶりに温まった。めったに来られる所じゃないし、一時だけど観光気分になれたよ」
▼御用邸内でくつろぐ被災者3月26日(代表撮影)
男性の自宅は震災で半壊。福島第1原発から約40キロの場所だったが、原発事故が鎮静化しないことから18日に栃木県に移った。御用邸での入浴は被災後2度目だったという。
「宮内庁関連施設を役立ててもらえないか」
宮内庁の羽毛田長官は24日の会見で、そう天皇陛下から指示を受けたと明かした。瀟洒な佇まいの那須御用邸が建てられたのは大正15年。長い歴史の中で一般開放されたのは初めてのケースだ。
▼那須御用邸の供奉員施設3月26日(AP通信)
被災者が入浴したのは供奉(ぐぶ)員宿舎の風呂だが、供奉とは侍従長や侍従などで単なる職員用施設ではない。歴代の侍従長らも利用したやんごとなき浴室である。
また御用邸での被災者入浴を前に、宮内庁ではタオル3000枚以上を用意。その袋詰め作業には、秋篠宮妃殿下と眞子内親王殿下、佳子内親王殿下が参加されたという。
▼御用邸内を案内される被災者3月26日(代表撮影)
同時に栃木県は保健師を派遣して被災者の健康相談に応じた他、送迎バスも運行。4月末までに多くの被災者を御用邸の浴場に案内する予定だという。
そして被災者に対する天皇陛下の御配慮は、これだけではなかった。
【御料牧場の食材下賜に感激の声】
那須御用邸開放の前日、同じ栃木県にある御料牧場では食料品が次々に車に積み込まれていた。天皇陛下が御料牧場で生産された食品を被災者に下賜されたのだ。
▼御料牧場食材の積み込み作業3月25日(下野新聞)
運び込まれたのは、栃木県益子町にある避難所だった。そこに居る約100人は、原発事故で福島県内から避難してきた人々だ。相馬市から避難している女性は、こう感激する。
「本当にありがたい。感謝の気持ちでいっぱいです」
下賜されたのは1200個余りの鶏卵の他、鶏肉の薫製やソーセージの缶詰など250個以上。御料牧場の生産品は通常、ご皇室関連行事で使われるが、近くに避難所が設置されたことから下賜される運びになった。
▼箱詰めする御料牧場の職員3月25日(下野新聞)
「ささやかではあるが、避難している人たちのために役立てて欲しい」
天皇陛下・皇后陛下は、そう指示されたという。避難所の所長は「両陛下のおぼしめしを、避難された方にも伝えたい」と語り、届いた直後に調理し、夕食として被災者に提供した。
「子供たちと一緒にありがたく頂きたいと思います」
▼避難所で暮らす福島の被災者3月25日(ANN)
御料牧場の食品が下賜されるのは極めて稀だが、初めてではない。平成12年9月、三宅島の噴火で都内に避難していた子供達に牛乳が贈られたことがあった。
「両陛下の温かい心遣いを受けて、つらい思いをしている被災者には大きな励ましになる」
御用邸の開放を含めて栃木県の福田知事は、そう述べている。またとない恩賜の食材と湯船だ。そして現在、大御心に感動を覚えているのは、被災者だけではない。
【非常時に国民が頼るご威光と包容力】
「できることを実行されているのに感動する」
3月15日から御所で続けられている“自主停電”。その事実が広まると共に、反響も高まった。体調を気遣う声も多いが、羽毛田長官によると天皇陛下は、こう仰せられているという。
「大勢の被災者、苦しんでいる人たちがおり、電源すらない人もいる。私の体調を気遣ってくれるのはありがたいが、寒いのは厚着をすればいい」
▼節電で宮殿も閉鎖中だった3月17日(代表撮影)
東電が見送った日も定時に電気をお止めになり、暗い中で夕食を執られるケースもあると伝えられる。東宮御所でも“自主停電”が行われていることも明らかになった。
こうしたエピソードを知って、節電に努めている国民も多いに違いない。東電は節電効果が出始めていると説明しているが、天皇陛下の影響は絶大だ。宮内庁幹部は、こう漏らしている。
「閣僚のPRより、両陛下のお姿のほうが、国民に強く計画停電の重要性を訴えるのかも知れない」
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天皇陛下・皇后陛下は大震災の発生直後から「一日でも早く被災地を訪れたい」との御意向を示されているという。しかし未だに被害の全容が判明していない事などから延期になっている。
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これまで天皇陛下・皇后陛下は甚大な災害が起きる度、逸早く被災地に向かわれ、被災者を励まされた。阪神大震災の時は、約2週間後。その際、皇后陛下が供えられた水仙の逸話は伝説的でもある。
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どれほど有能な政治家であれ、ひと言で国民が一丸になることはない。御皇室の威光と包容力は一瞬で全国民を結ぶ。いつの世も変わりない。本格的な復興への扉を開くのは天皇陛下だ。
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■産経社説4月1日『両陛下がお見舞い 苦難を共にし立ち直ろう』
■産経抄3月27日
■産経新聞3月31日『両陛下、都内の避難所をご訪問 すべてのグループに声をおかけに』
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■スポーツ報知3月30日『天皇、皇后両陛下が避難所お見舞い』
■日経新聞3月30日『両陛下、都内の避難所を慰問』
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■朝日新聞3月25日『御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め』
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この記事へのコメント
ところで上から11枚目の画像がダブって説明文と違っていますよ。
それから、気が付いたことがあります。
よくニュースで見聞きするのですが、
東電の現場作業員が1日2食で頑張っているとか、
その食事も乾パンと缶詰だけ。
また現場で働いている自衛官も暖かい食事は
被災者にあげて、自分たちは缶詰だけ。
彼らに何か元気の出る物はあげられないものか?
チョコレートあたりがカロリーがあって
甘くて、保存も良いと思います。
イラク戦争で、米軍が現地の飲物を飲んでいるのを
見たペプシ・コーラ社長が「アメリカの恥だ」と言って
直ちにコーラを数万本送った話がありました。
日本の食品会社あたりが、これら現場で働いている人達に
何か送る・・・というようなことは出来ないのか?
被災者も大事ですが、彼ら現場の人達も大事にしなくては
ならないと思います。
陛下のお姿・お一言が被災者にも被災しなかった人にも勇気と感動を与えて下さいます。日本人は改めて「皇室あっての日本」ということを実感しました。それが、大震災という不幸な出来事の中で唯一の救いでした。
ところで、日本のメディアに『東アジア黙示録』を見せたいものです。陛下に関してこれだけ詳しく報道するメディアがひとつも無いことに憤りを覚えずにはおられません。16日のメッセージにしても、TVは繰り返し予告したうえで放送し、なおかつ事後も反復放送して然るべきと思います。下らない映像や不安を煽る映像をしつこく流すよりもはるかに建設的だと思うのですが、所詮は無い物ねだりでしょうね。
手を合わしたり、正座して話たり、色んな場面があったにも関わらずそのカットを取り出して流すという編集の仕方に何か意図を感じてしまいます。
素晴しい記事をありがとうございます。
御料牧場の食材を下賜されたのですか…はじめて知りました。疲弊している被災者の励みになったことと存じます。
アップ後にチェックしていませんでした…有り難うございます。キャプション内容の画像に差し替えました。ご皇室関連のエントリは書いているだけで気分が落着くものです。
>谷豊さま
備蓄食糧が尽きたのか、ビスケットだけの時もあると伝えられていました。重機は来ても食材は来ないのか…「シャワーなし」では除染も出来ず、作業員の安全以前の問題です。
>風来坊さま
16日の詔勅は繰り返して全編ノーカットで放映すべきです。また30秒バージョンを作ってACの代わりに流すとか出来ないものでしょうかね。
一部の記事によると御前で涙ぐむ被災者もいたとのことです。TV各局は全て録画しているはずで、意図的にカットしたのは明らか。地元経済紙によると沿道でも大勢の市民が出迎えたそうです。
>現役保険営業マン様
御料牧場の下賜についてNHKが取り上げたのか不明です。国民に伝えるべきグッドニュースなんですが…また陸前高田市に御料の一部が届けられたと受け取れる報道もありました。
>赤子さま
物資山積の映像が大きな反響を呼んでいるようです。現地には保守系の組織も活躍しているので後に衝撃告発もあるかと。問題は辻元の担当部門が情報を公開していないことでしょう。
この女、仲間を集め積極的に偽善活動しているようですが、目的はあくまでもステルス式な浸透と左翼勢力拡大。
秘書給与を横領するようなこの女、支援物資の横流しや横領疑惑が出るは身からでた錆。止むを得ないと思います。
1989年大日本愛國党
赤尾敏総裁最後の立候補(字幕付き)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3727235
被災者「菅の視察はすごい迷惑だった」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14039027
1分33秒~2分8秒
「到着することによって、会場をきれいにしてくださいとか、これはちょっと。車を整理してくださいとか、何でここの、いま大変なときにそんな体裁をつくらなきゃならないのかなと思って。ちょっとこれは意外でした」