戦神・根本博中将の義勇…台湾を死守した大和魂

終戦から4年…約束を果たす為、元司令官は再び戦場へ向かった。共産軍を撃破した決戦の陰には我が陸軍の根本博中将がいた。驚くべき作戦と勇敢な行動。埋もれていた日台秘史が鮮やかに甦る。
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台湾本土から西に約270㌔離れた海域に浮かぶ金門島。福建・廈門(アモイ)から僅か数㌔という目と鼻の先に台湾国固有の領土があるのは何故か…

2008年8月、金門島で「八二三砲戦」から50年を記念する式典が開かれた。この砲戦は、1958年に中共軍が金門島に向け短期間に47万発もの砲撃を加え、島民ら3,000人以上が死傷した侵略戦争である。

国際社会からの強い非難と米軍セブンス・フリートの出撃で、中共の侵略行為は頓挫したが、その後、金門島は長きに渡り、軍の要衝として一般人の立ち入りが制限されることとなった。

「この戦いは台湾の運命の転換点であり、これにより台湾はその後数十年間の平和と安定した環境を手に入れた」
▼式典に参列した馬英九総統(台湾週報)
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式典で馬英九は、そう演説した。しかし台湾国内では疑問の声が噴出したという。 八二三砲戦よりも重要な戦いを忘れてはいなか…それが1949年10月に攻め寄せる中共軍を駆逐した「古寧頭(こねいとう)の戦い」だった。

そして翌年、金門島で古寧頭戦役60周年を記念する式典が開かれた。総統・馬英九も再び記念演説を行う盛大なセレモニー。多数の元兵士が詰めかけた会場には、日本人の姿もあった。

その1人は、第7代台湾総督・明石元二郎大将の孫であった。台北支局からやって来た日本メディアの記者は、どうして式典に日本人が招かれたのか、解らなかったという。
▼式典で台湾入りした明石元紹氏ら(台湾週報)
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日台間で60年以上も埋もれていた歴史…それが、式典にも参加したノンフィクション作家・門田隆将氏(上写真左端)の新著『この命、義に捧ぐ』によって明らかになった。

注)このエントリは門田氏の労作を全面的に参考にしています。

【台湾防衛戦に奮い立ち、再び戦場へ】

昭和24年6月26日夜、宮崎・延岡市の沿岸から一隻の老朽船が、暗い日向灘に滑り出した。乗り込んでいるのは元皇軍将兵ら8人。その中心人物が根本博陸軍中将(陸士23期、陸大34期)だった。

その時、年齢は58歳。我が軍のトップエリートだった指揮官は、祖国が復興に向かう中、戦場へ舞い戻ろうとしていたのだ…
▼根本博中将
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北支那方面軍司令官として終戦を迎えた根本中将は昭和21年8月に復員。家族と共に都内・南多摩郡の自宅で暮らしていたが、国府軍(国民党軍)の潰走に衝撃を受け、自ら台湾に入る策を練っていた。

「根本閣下のお力がどうしても必要なのです」(前掲書86頁)

シナ人女性から1通の手紙が届いたのは、そんな時だった。送り主は、日本通として知られたシナ国民政府要人の娘。さらに手紙が届いてから間もなく現れた1人の台湾人青年も、同じく助力を求めた。

「国民党の密使」を名乗る青年。彼は、明石元二郎提督の長男・元長氏がアジアの青年を支援する為に設立した「東亜修好会」のメンバーだった。
▼台湾を愛した明石元二郎総督
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貴族院議員も務めた明石元長氏は、父がこよなく愛した台湾が中共軍の手に落ちることを看過できなかった。そして「東亜修好会」のメンバーと共に、戦術に秀でた帝国軍人を探していたのだ。

「根本博・陸軍中将。この人を送り込めば、なんとかしてくれる。彼なら台湾を救ってくれる。明石を突き動かしていたのは、その強い思いだけだった」(前掲書29頁)

根本中将を送る計画は、本人の決意も手伝って実現した。しかし、老朽船は出帆直後に嵐に遭遇するなど航海は危険と隣り合わせ。食糧難に陥りながら、実に14日を要して台湾国北部・基隆に到着した。

安心したのも束の間、根本中将ら乗員は“密航者”として地元官憲に逮捕・投獄されてしまう。獄中生活が2週間に及ぶ頃、突然、獄吏に風呂に入るよう命じられ、根本中将らは処刑を覚悟したという…

小船で遥か台湾国を目指した命懸けの航海。危険を顧みない行動だった。そこまで根本中将を突き動かしたものは果たして何だったのか。

【武装解除を拒んだ司令官の英断】

明治24年に福島県仁井田村で生まれた根本博中将は、仙台陸軍幼年学校から陸士、陸大で学んだエリート将校だった。32歳で入った参謀本部では支那班に所属するなど陸軍きってのシナ通でもあった。

国府軍との攻防が続く昭和15年から南支那方面軍参謀長を務め、昭和19年には駐蒙軍司令官の地位にあった。そして北京北方の要衝・張家口で玉音放送を耳にした。悪夢の敗戦である。

これによって我が軍は武装解除に応じなければならなかった。しかし根本中将はパニックに陥る在留邦人に対して「我が身命を賭けて守り抜く」と訴え、更に配下の部隊に、こう宣言する。

「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ連軍を断乎撃滅すべし。これに対する責任は、司令官たるこの根本が一切を負う」(前掲書43頁)

根本中将は8月9日から始まったソ連侵攻で関東軍が大打撃を受け、満州で相次ぎ発生している凄惨な事態を把握。武装解除に応じれば、在留邦人らの安全が守れないことを知っていたのだ。
▼満州に侵攻したソ連軍
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終戦交渉の相手となる国府軍の傅作義(ふ・さくぎ)将軍宛の遺書を軍服に忍ばせ、根本中将は決然として南下するソ連軍に立ち向かった。終戦後の最後の死闘である。

侵攻するソ連軍との戦いは激烈であった。しかし、この根本中将の決断が結果的に、在留邦人4万人と35万人にのぼる我が軍将兵の祖国帰還に繋がった。

終戦後に北支那方面軍司令官を兼任した根本中将は、在シナの我が軍トップとして戦後処理にあたり、昭和20年の暮れに蒋介石と会談した。2人は大正15年に南京で対面していた。20年ぶりの再会だ。

再会した蒋介石は、根本中将に対し、早く帰国して日本再建に尽くすよう訴えたという。
▼故宮で調印式に臨んだ根本中将
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「しかし閣下、私は35万の兵を残して先に帰国することはできません。北支那方面軍の司令官として、私は戦争の責任を問われなければなりません」(前掲書83頁)

この申し出に対して蒋介石は、戦犯は戦争以外のことで最も悪質な行為をした者に限ると主張し、根本を労った。翌年、根本中将が北京を去る際には特別列車が仕立てられ、礼を尽くして送られたという。

「東亜の平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます」(前掲書84頁)

会談した時、根本中将は蒋介石に向かって宣言した。その言葉に偽りも誇張もなかった。北京を去ってから僅か3年後、根本中将は蒋介石が苦境に陥る中、敢然として台湾に乗り込んだのだ。

【謎の司令官顧問が提唱した迎撃戦】

突然の入浴命令に処刑を覚悟した根本中将らだが、理由は別だった。軍幹部が獄舎を訪問することが決まったのだ。「台湾を助けに来た」と訴える妙な日本人の噂が、参謀総長の耳に届いたのだった。

「根本将軍が来ておられる」

かつて交流があった参謀総長は直感し、基隆の獄舎に駆け付けた。かくして難を逃れた根本中将は、昭和24年8月、台北に招かれ、蒋介石と対面を果たす。宮崎を漕ぎ出てから実に1ヵ月以上が経っていた。

「なにより日本軍の規律と闘志は、国府軍を凌駕していた。そして、陸士、陸大を出た日本陸軍のエリートたちが立案する作戦に苦汁を嘗めつづけた経験は、蒋介石にとって忘れようとしても忘れられるものではなかった」(前掲書125頁)
▼根本中将(左)と再会した蒋介石(昭和35年頃)
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蒋介石の即断で根本中将は司令官顧問に就任。共産軍の大攻勢の前で形勢悪化が続く中、湯恩伯(ゆ・おんぱく)将軍と共に根本中将は重要な「福建攻防戦」を指揮することが直ちに決定した。

「林保源」というシナ名を与えられた根本中将は、湯恩伯将軍と大型陸揚艦に乗り込み、廈門・金門島方面の視察に向かった。将軍が「顧問閣下」と呼ぶ人物が日本軍司令官であったことを兵員は知らない。

戦略家としての根本中将の実力は、いきなり最初の視察から発揮された。三方を塞がれる廈門で持久戦を行うことは不可能と判断。自軍が敗北感に包まれない格好で撤退する作戦を提唱し、こう訴えた。

「共産軍を迎え討つのは、金門島をおいてほかにありません」(前掲書143頁)
▼湯恩伯将軍
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廈門死守を任された湯恩伯将軍にとっては受け入れ難い作戦だった。顧問の立案を呑むスタイルでなければ、将軍は決断できなかっただろう。だが、この判断が後々まで金門島を台湾領内に留める結果となった。

【完勝に導いた帝国軍人の作戦】

昭和24年10月。いよいよ共産軍の魔の手が廈門に迫って来た。我が軍の古い駆逐艦を改造した艦船で洋上指揮を執る根本中将は、戦闘区域に突入して砲撃に加わるなど勇猛果敢な活躍を果たす。

大軍に包囲されて廈門は陥落するが、この時、根本中将は孤立した精鋭部隊の救出に全力を傾けるよう指示した。勇猛な部隊を見捨てることが全軍の士気低下に繋がることを知っていたのだ。

こうした判断は、長年に渡り支那大陸で我が陸軍を指揮してきた将官ならではである。更に、金門島攻防戦にあたって根本中将は、重要な作戦を提案。それは敵兵を上陸後に殲滅することだった。
▼金門島防衛戦の形勢図
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通常は、上陸する瞬間を狙って攻撃する。しかし根本中将は、敵軍が漁民から奪って使うジャンク船の数に限界があるとの情報を重視。敵兵の上陸後に焼き払う作戦を示した。これが敵軍の増派を防いだ。

その際、根本中将は塹壕を作って潜伏する作戦を提唱。兵士が小さな塹壕を掘り、奇襲するスタイルは我が軍独特のものだ。根本中将はどこに塹壕を掘るか地図上に細かく印して作戦を進めた。

それまでの内戦で連戦連勝していた共産軍は、術中にはまり、大打撃を受けて金門島北西部に追い詰められた。最後の決戦となった場所が古寧頭村であった。伝説的な「古寧頭の戦い」の始まりだ。


ここでも根本中将の英断が事態を大きく左右した。共産軍兵士は村を盾にする形で国府軍と対峙。戦車隊が突入する一掃作戦に踏み切れば、古寧頭村は跡形もなくなってしまう。

「このままでは巻き添えで一般の村民が大勢死ぬ」(前掲書190頁)

根本中将は幕僚会議で唯一人、村人の命を守ることを主張。退路を設けて海岸に誘い出したうえで洋上から一斉に砲撃する作戦を提案、了承された。作戦は見事に的中し、2万人規模の共産軍部隊は壊滅した。

【村人は謎の日本人を“戦神”と呼んだ】

根本中将が台湾国から航空機で羽田空港に戻ったのは昭和27年6月のことだった。再び戦場で指揮を執り、金門島の戦いを勝利に導いたことなど語らず、昭和41年5月、静かに世を去った。享年、74。

なぜ根本中将の戦いは今まで知られることがなかったのか…『この命、義に捧ぐ』で埋もれた歴史を掘り起こした門田隆将氏は、現地の調査で意外な事実を突き止める。
▼金門島に残る激戦の跡
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金門島には「古寧頭戦史館」が建設され、伝説的な戦いの記録が残っている。ところが、展示資料から湯恩伯将軍の存在が掻き消されていたのだ。それは内戦後に起きた国民党内に政争が原因だった。

湯恩伯将軍が歴史から“抹殺”された以上、その顧問として活躍した根本中将の名前が刻まれることは有り得なかった。だが、門田氏は米国の大学に残る蒋介石の資料などから根本中将の存在を確認し、追跡。また在台の歴史研究者は古寧頭村で朧げな手掛かりを発見している。

「古寧頭村で村の老人たちにさまざまな話を聞くうちに、その日本人が“戦神”と呼ばれていたことも知りました。(略)その人が自分たちを助けてくれた、というのです」(前掲書264~5頁)
▼古寧頭戦争資料館の展示物
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門田氏の資料発掘・関係者への聞き取りが、歴史の闇に光を射し入れたのは確かだ。その努力が実り、遂に古寧頭戦役60周年に際して台湾政府が認めるに至った。国防部常務次長は昨年10月、こう語った。

「当時の古寧頭戦役における日本人関係者の協力に感謝しており、これは『雪中炭を送る(困った時に手を差し延べる)』の行為と言える」
■古寧頭戦役60周年式典(昨年10月)


村の古老たちの記憶する“戦神”は、60年の時を越えて蘇った。義によって再び戦場に向かった帝国軍人が居たことは、我々日本人の誇りだ。国民党で党史編纂に携わった教授は、こう訴えている。

「根本さんは、ただ私たちと一緒に“死のうとしてくれた”のだと思います。そういう日本人が現実に存在したこと、そのことを今の台湾の若い人に是非知って欲しいと思います。日本の若い人もそうですが、こういう日本人がいたことを台湾人は忘れてはならないと思います」(前掲書276頁)



  〆
最後まで読んで頂き有り難うございます
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【Side Story】

門田隆将氏の『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』は集英社より今年4月末に発売されました。まだ4ヵ月に満たない新刊ですが、エントリ内に引用文が多く、コピーライトを侵害したようで多少気が引けています。既に読まれた方も少なくないかと思いますが、是非、一読して下さい。
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本書には、ソ連軍が攻めよる北支の模様なども詳しく描かれている他、関係者・遺族の貴重なインタビューも多数盛り込まれています。

触れなかった部分にも興味深い物語が多くあります。「国民党の密使」を名乗った東亜修好会メンバーの意外な正体とは…渡台工作をセットした明石元長氏の志半ばの死…蒋介石が送った花瓶のエピソート…日本メディアが誤解し続ける帰国後の根本中将…

そして、エピローグでは式典での胸のすく逸話が紹介され、清涼感たっぷりの読後感が味わえます。国民党の戦記という側面を持ちながら、各々の登場人物に刻まれた台湾への深い愛情が感じられる傑作ノンフィクションです。

当日になってしまいましたが、8月15日午後2時からの『ザ・ノンフィクション』(CX系列)で、台湾の式典の模様なども取材したドキュメンタリー『父は、なぜ海を渡ったか』が放映されます。
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/thenonfx/

これは録画で観るとして、本日は靖国神社に参ります。


参考記事:
■イザ4月23日『花瓶に込められた友情…蒋介石と根本元中将』
■イザ4月23日『台湾存立の戦いに貢献した根本博元陸軍中将、台湾国防部公式に功績を認める』

■台湾大使館(台湾週報)2008年8月25日『 馬英九総統「823戦役(金門島砲撃戦)50周年」紀念大会に出席』
■台湾大使館(台湾週報)2009年10月26日『馬英九総統が金門島の「古寧頭戦役」60周年紀念活動に参加』
■台湾大使館(台湾週報)2009年10月27日『古寧頭戦役60周年に日本の軍事顧問団関係者の家族らが台湾を訪問』




この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡~
集英社
門田 隆将

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この記事へのコメント

花うさぎ
2010年08月15日 09:26
アネモネさん、GJ!!! 素晴らしいです(^^)。
2010年08月15日 13:36
こんにちは。
埋もれていた秘話を取り上げてくださり感謝です。

戦後まもなく台湾に渡り、共産軍の「開放」から台湾を守った明石中将はまさに真の武人ですね。

>我が軍の古い駆逐艦を改造した艦船
>>ひょっとしたらこの艦船は、あの奇跡の駆逐艦「雪風」かもしれませんね。
現役保険営業マン
2010年08月15日 13:37
↑訂正!!明石中将ではなく、根元中将でした。お恥ずかしい。
tiamat
2010年08月17日 01:40
日台共闘秘話の紹介ありがとうございました。
この根本中将がかの「白団」のメンバーなのでしょうか。
せっかくの8月、日本のテレビ局もこういう話を特集にして放映すればよいのに残念です。
ところで、戦時中の英霊達の声を集めた感動的な動画を発見しました。
御参考までにどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=FriNRAPenCM&playnext=1&videos=BI8rrkE7azQ
特に、一番最初の沖縄から飛び立った
21歳の特攻隊員の言った言葉が実に感動的です。
いっちゃん
2010年08月17日 21:18
一般には語られていない秘話が本当はもっとあるんでしょうね。大和魂を感じるお話しありがとうございます
風来坊
2010年08月18日 06:07
インパール、ニューギニア、ガダルカナル、硫黄島、沖縄…等々で散華した帝国軍人も、生きながらえて終戦を迎えた帝国軍人も、等しく持ち合わせていたのが「祖国のために潔く殉じる」という精神でした。そんな帝国軍人の一人が根本博中将であり、日台の歴史上輝かしい活躍をされたことを日本人として誇らしく思います。
「この命、義に捧ぐ」…実に美しい言葉ですが、今の日本人に必要なのはこの精神ではないでしょうか?

ところで、根本中将が採用した作戦(敵兵の上陸後に焼き払う作戦、塹壕を掘りめぐらす作戦)は、栗林忠道中将が硫黄島の戦闘で圧倒的な戦力を誇る米軍を最後まで苦しめた作戦と瓜二つであることに注目したいと思います。
二人ともエリート中のエリートだった。それを今の日本のリーダーに求めるのは“無いものねだり”でしかないようです。
2010年08月19日 00:51
コメント&情報、有難うございます。

15日放映された「ザ・ノンフィクション」は、現地取材のボリュームや関係者へのインタビューも的確で、なかなかの出来映えでした。支那大陸時代から中将の腹心として活躍し、一緒に渡台した吉村是二氏にもスポットをあて、貴重なエピソードも明かされていました。

金門島防衛戦後、根本中将がどのような活躍をしたのか不明な部分も残っていますが、白団を率いた岡村寧次大将と共に奮闘したことは想像に難くありません。まだ台湾国内には、当時を知る兵士が存命しています。再び戦場に戻った帝国軍人の活動が、掘り起こされることを願います。
シリカ
2012年03月27日 16:12
震災で台湾の皆さんの温情に感謝していますよ
それも、こちら根本さんの活躍があってこその
台湾の皆さんと日本の深いつながりがあると
考えております。

根本博さんは俺の誇りです。
なな
2014年03月21日 09:23
この人が蒋介石=国民党を助けたせいで台湾人が迷惑してるんですよね?
日本が敗戦した後やり残した事は、台湾の独立を世界に約束してもらうべきだったと思います。
個人的にはそこがすごく悔やまれます。
日本撤退後、追い打ちをかけるように台湾にやって来た国民党の手助けを日本人がしたかと思うと申し訳なさでいっぱいです…
なんと
2019年03月24日 19:02
台湾が共産化されたら、台湾海峡を日本の船舶が自由に通行することができなくなっていた。さらに、太平洋へ拡張を続ける共産軍の拠点になっていただろうし、台湾が民主主義国として存続するメリットは、日本にとっても、経済及び安全保障上の重要なポイントであることは否定できない。

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