闘将ボース2年間の閃光…日印を繋ぐ巨星よ永遠なれ

大東亜戦争で我が国が劣勢に転じる中、遥か彼方より馳せ参じた闘将がいた。大演説に激戦地…疾走し続けた2年間。C・ボース将軍こそ日印の現代史に輝く巨星だ。
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インド国会での演説、日印首脳会談を終えた安倍首相は8月23日午前、デリーのパラム空軍基地から政府専用機でインド東部の中心都市カルカッタ(現コルカタ)に入った。

予てからアナウンスされていた通り、安倍首相はカルカッタでラダ・ビノート・パール博士の長男プロシャント・パール氏(81歳)と面会した。

「お目に掛かれてうれしく思います。お父様は今でも多くの日本人の尊敬を集めています」
▽P・パール氏と対面した安倍首相(代表撮影)
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一部外電によれば、首相周辺からは面会が波紋を広げることを懸念し「会わずに出国を」と進言する動きもあったという。しかし結局、反対論は退けられ面会が実現する運びとなったようだ。

安倍首相はプロシャント氏に対し、故パール博士の業績を、こう称賛した。

「日印関係の基礎を築かれた一人だ。パール判事のご遺志は日印関係を発展させることだったと思う。今日、日印関係は大変強化されている」
▽写真を贈呈するP・パール氏(NHK)
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プロシャント氏は昭和41年に父パール博士と共に来日し、岸元首相と対面。その時に撮影した写真を安倍首相に贈呈し、日印関係の発展を訴えたという。また安倍首相との面会後、プロシャント氏は仏の通信社に対して率直に、こう感想を述べている。

「非常に喜ばしいこと。父の公正な判断が人々の記憶にとどまっていてくれることを誇りに思う」

更にプロシャント氏は、父パール博士が極東軍事裁判で示した判定について改めて正しさを強調した。

「戦争の片方の当事者のみを戦争犯罪で裁くことが可能だとは思わない」
▽父のアルバム見るP・パール氏(AFP)
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パール博士が述べた正論を忌み嫌うNHKや東京新聞など反日勢力は博士の偉業を歪曲することに必死だが、裁判の不当性は今になってより鮮明になってきている。

我が国のメディアはパール博士絡みのエピソードを取り上げていたが、安倍首相のカルカッタ訪問は「ベンガルの偉人」総ざらいといった趣きだった。

【詩聖タゴール、そしてマザー・テレサ】

日本国総理がカルカッタを公式訪問したのは、昭和35年の池田勇人首相以来だという。実に47年ぶりのことだ。
▽カルカッタ到着時の歓迎(ロイター)
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インド4大都市のうち首都デリーは政治の中心地で、ムンバイ(ボンベイ)は金融・商業の拠点。そしてカルカッタは文化の中心都市だ。芸術の都として名高い。

カルカッタは西ベンガル州の州都で、そこに暮らすベンガル人はインド人の中でも異彩を放っている。傑出した人物が多いのも特徴だ。個人的なことながら筆者はカルカッタを複数回訪れていて愛着がある。

ベンガルの大地が生んだ偉人の中で、日本と所縁が深い歴史上の人物がパール博士を含めて3人いるが、安倍首相は短いスケジュールで全員を顕彰した。他の2人とは、チャンドラ・ボース将軍と詩聖タゴール。

23日、安倍首相は日印文化センターの開館式に出席した。このセンターは、日本語教育・日本文化の普及とベンガル文化の学習・研究を目的とした施設で、昨年末に起工された。
▽本を贈られた安倍首相(AP)
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開館式で安倍首相は、西ベンガル州のブッダデーブ首相から1冊の本を贈呈された。アジア初のノーベル文学賞受賞者であるタゴールの書物「Talks In Japan」で、現地報道によるとスピーチ集のようだ。

「アジアはひとつなり」と提唱した岡倉天心に共鳴し、互いに親交を深めたのがタゴールだ。ベンガルの大詩人は、大正5年の初来日を皮切りに数度我が国を訪問している。
▽詩聖タゴール(ウィキペディアより)
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タゴールこそ日印文化交流の先駆者である。セレモニーで安倍首相は、こう挨拶した。

「コルカタ訪問は、日印関係強化の原点と言うべきベンガル地方との友好を確認するため」

岡倉天心はタゴールに招かれてカルカッタに長逗留。『東洋の理想』を書き上げたのはタゴールの自宅だった。そして、岡倉の案内で横山大観ら日本人画家が相次いでカルカッタを訪れるなど芸術交流が続いた。

また3大偉人とは関係がないが、明恵夫人は同日、単身でテレサハウスを訪問した。
▽テレサハウスを訪れた明恵夫人(AP)
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世界的に有名だったマザー・テレサもカルカッタ市民の誇りだ。10年前に87年の生涯を終えた時、インド政府は異例の国葬を執り行なった。

突然やってきた10代のアルバニア人修道女を受け入れたのは、カルカッタのヒンドゥー寺院だったという。異教徒への寛容性というか深く考えない所が如何にもベンガル人らしい。

マザー・テレサを含めて3人の偉人が登場したが、我が国にとって忘れ難い重要人物が、スバス・チャンドラ・ボース将軍である。

【日本が支援した反英独立の闘士】

意図的なのかどうか…我が国のメディアが触れようとしなかったのが、安倍首相とボース将軍の遺族との対面だ。

カルカッタ駆け足訪問の最後に安倍首相が足を運んだのが、市内南部バワニプル(Bhowanipore)にあるボース記念館だった。インド独立の影の英雄であるネタージことスバス・チャンドラ・ボース将軍の遺品や写真が展示されている。
▽ボース記念館の展示品(AFP)
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ごく私的な印象ではベンガル人から最も尊敬され、敬慕されている政治指導者がボース将軍だ。反英民族独立運動の闘士にして伝説的な英雄…カルカッタではガンジーを軽く上回る絶大な人気を誇る。

特に近年になって再評価の動きが強まっているのも特徴だ。市内北部の空港は、10年前の生誕100周年を記念して「スバス・チャンドラ・ボース国際空港」とその名を改めた。
▽記念館を訪れた安倍首相(AFP)
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日の丸の小旗で迎えられた安倍首相がボース記念館で対面したのは、将軍の姪にあたるクリシュナ・ボースさん。現在、記念館の館長を務めている女性だ。

クリシュナ・ボースさんは厳密には血縁関係のある子孫ではなく、将軍の実兄スレス・ボース氏の息子の夫人で、夫の亡き後、館の運営に当たっている。

「英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している」
▽クリシュナさんと安倍首相(ロイター)
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対面した安倍首相はそう述べて、ネタージの写真パネルを寄贈した。小さくて判別しにくいが、軍服などから恐らく昭和18年の来日時のショットだ。

たった1枚の写真かも知れないが、それは我が国と将軍の縁を物語る貴重な写真だろう。晩年のネタージの写真は多く残っていないはずである。

ちなみにこの記念館の正式英語名称は「Netaji Research Institute」で、ボースの名前はどこにもない。ネタージとは「統領、指導者」の意味で、将軍は親しみを込めてそう呼ばれる。実際には「ネタジ」が原音に近い。
▽記念館に展示されたネタージの愛車(AFP)
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安倍首相の訪問を受けたクリシュナ・ボースさんは、格別な言葉を返してくれた。

「日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したことを支援したのが、日本だったことを思い出すべきだ」

素晴しい発言だ。正にその通りである。
▽クリシュナさんと握手する安倍首相(ロイター)
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戦後62年の歳月は、そのままネタージの没後と重なる。果たして何割の日本人がボース将軍の功績を記憶に留めているのか…そして何割のインド人がINA(インド国民軍)と我が軍の関係を知っているのか。

【ドイツから日本へ深海の使者】

昭和18年4月28日朝、インド洋遥かマダガスカル島南東の海域で2隻の潜水艦が邂逅した。ナチス・ドイツのU180と帝国海軍の伊26だ。

たった1人の人物を独国から我が国に招く為、2隻の潜水艦は英軍が制海制空権を持つエリアで危険覚悟の接触を試みた。僅かな浮上時間内に伊26に乗り移った人物こそチャンドラ・ボース将軍その人だった。
▽ネタージことチャンドラ・ボース将軍(中央)
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インドが誇る独立運動闘士がアジアに回帰した歴史的瞬間だ。

1897年、チャンドラ・ボースは名家の6男としてインド東部オリッサ州に生まれた。学業優秀だったスバス青年はカルカッタ大、ケンブリッジ大に学び、インド高文官試験に合格する。

しかし官吏の道を選ばず、英国からインドに帰国すると民族運動に挺身。コングレス(国民会議派)に参加し、27歳でカルカッタ市の主席行政官に就任して脚光を浴びるが、弾圧され投獄を繰り返す。
▽1938年当時のガンジーとボース
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1930年には獄中からカルカッタ市長に当選、37年にはコングレスの議長に選ばれる。だが急進的な志向からガンジー、ネルーに睨まれ、孤立。第二次大戦の勃発を機にインドからアフガンを経てドイツに身を寄せる。

ドイツでは独自のインド人部隊創設を要求するが、折り合いは悪かった。その頃、強いインド人指導者の出現を待っていたのが、極東の我が国であった。

【東条首相を魅了した初会談】

マダガスカル沖で伊26に乗り移ったネタージは、スマトラ北部のサバン島を経由して昭和18年5月16日、東京に到着した。杉山参謀総長を表敬訪問したボース将軍は開口一番、こう進言したという。

「なぜ日本はインドに進攻しないのか。チッタゴン辺りにインド国民軍の旗を立てれば、必ず全インドは我々に呼応して叛乱を起こす」

急進派の面目躍如たる発言だが、ネタージは単なる過激なリーダーではなく不思議な魅力を秘めた人物だった。杉山参謀総長も重光外相も初対面で熱烈な支持者になったという。
▽軍装のチャンドラ・ボース将軍
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ボース擁立案は順調に進むかと思われたが、肝心の東条首相だけは懐疑的な目を向け、東京到着後も会おうとしなかった。会談が実現したのは、3週間以上もたった6月10日のことだった。

ボース・東条会談。その日、会談が始まる前と終わった後では、東条首相は別人のようだったという。

「さすがに英雄だ、頼もしい人物だ。インド国民軍を指揮する資格は十分にある」

その時、ネタージが何を語ったのか定かではないが、会談後、東条首相はネタージを絶賛し、あらゆる支援を約束。専用機まで提供する厚遇ぶりだった。
▽昭和18年6月22日ボース・東条会談(記念館所蔵)
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INA(インド国民軍)創設の立役者であるF機関の藤原岩市参謀も初対面で電撃的なショックを受けた人物の1人だ。

「軍服に身を固め、巨躯群を抜き、気品と威厳一際見事な、偉丈夫が、私の前に進み出た。(略)哲人を思わせる純血高貴な風貌、その中に秘められた鋼鉄の意志と烈火の魂が偲ばれる。高邁な英智と洗練された国際的教養がうかがわれる。一見して非凡の傑士であることが、感得された」(『F機関』348頁)

ネタージが語ったいくつかの言葉が残っている。

【熱狂を呼んだ反英インド進撃宣言】

極秘事項だったボース将軍来日は到着から1ヵ月以上経って大々的に公表される。昭和18年6月20日付け新聞には日本国民に向けた声明が掲載された。

「日本こそは19世紀にアジアを襲った侵略の潮流を食い止めようとした東亜で最初の強国であった。1905年のロシアに対する日本の勝利はアジアの出発点であり、それはインドの大衆に熱狂的に迎えられたのであった。アジアの復興にとって過去において必要であったように現在も強力な日本が必要である」

更にその翌日には、祖国に向けたラジオ放送で演説を行なう。

「インド人たちよ、私はいま東京に在る。大戦が勃発した時、会議派のある者は、圧力と妥協によってイギリスから自治と独立への譲歩が引き出せると考えた。しかしイギリス帝国主義は徴動もしていない。イギリスが自発的に植民地を放棄すると期待することこそ真夏の夜の夢にすぎない。我々の独立に妥協は許されない。真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ」
▽シンガポールに現れたネタージ(『F機関』より)
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そしてボース将軍は、満を持してINA将兵が待つシンガポールに登場する。ガンジーらと思想的に決定的に違ったのは、ネタージが軍隊の必要性を訴えていたことだった。この世界を突き動かすのは「理想」ではなく「力」だ…

7月5日、シンガポール市庁舎前広場に整列したINA将兵1万5000人を前に、最高司令官として歴史的な演説を行なった。

「今日は私の生涯を通じて最も誇りとする日である。インド国民軍の結成を世界に宣明する日である。(略)同志諸君、わが兵士諸君、諸君の雄叫びは『デリーへ、デリーへ』である」

「長い抗英闘争中、インドが、あらゆる闘争手段を持っていたが、唯一持ち得なかったもの、そして最も重要なるもの、それは軍隊であった。(略)この歴史的軍隊に、真先に挺身参加したのは、諸君の特権であり、名誉である」(『F機関』344~345頁)
▽INA将兵を前に演説するボース将軍
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その場にいた将兵は、8ヵ月後には悲劇的なインパール作戦の戦場に向かうが、演説でネタージは激戦を予見し、覚悟を語っていた。

「現在私が、諸君に呈上し得るものは、飢渇、欠乏、その上に、進軍、また進軍、そして死以外のなにものでもない。しかし、諸君が生死を私に托して従うならば、私はかならずや諸君を、勝利と自由に導き得ると確信する。

われわれの中、幾人が生きて自由印度を見るかは、問題ではない。われわれの母なる国、印度が、自由になること、印度を自由にするため、われわれの全部を捧げること、それで十分なのである」
(前掲書346頁)

【目前で撤退…インパール作戦の惨状】

シンガポール演説のあと、10月には自由インド臨時政府を樹立。日独伊、満州、タイなどから承認される。それを受けて自由インドは英米に宣戦布告した。

続いて11月、ネタージは東京で開催された大東亜会議に参加。そこではビルマに近いアンダマン・二コバル諸島の自由インド帰属が正式に決定。また会議に同席していた南京政府の汪兆銘と意気投合し、南京に出向いて国民党軍に対日講話を呼びかけるラジオ演説も行なった。
▽ラジオ演説するボース将軍
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そして翌年春、ネタージはINA最高司令官として戦場に立つ。しかし緒戦の勢いは1ヵ月しか続かず、補給路寸断に加え挟撃を受け、INAは祖国の地アッサムを目前にして反転せざる得なかった。

作戦中止・転戦命令に対してボース将軍は、ビルマ方面軍の河辺正三司令官に対して、こう言明したという。

「死傷の続出、補給の杜絶、餓死も、進軍を中止する理由にはならない。全軍魂魄になっても祖国への進軍をやめないのが革命軍の本領である」

河辺司令官は凄まじい気迫に押されながらも説得を続け、INA造反という最悪の事態は回避された。だが、壊滅的な被害が既に生じていた。参戦した6,000人以上のインド兵のうち、生存者は約2600人。半数を上回る命が失われた。
▽INAの訓練風景
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昭和19年3月に始まったインパール作戦は、大東亜戦争末期の無謀な戦いと評される。だが、悲願だった国軍を得たボース将軍の視点から眺めると別の意味が見えてくる。断じて無駄な戦いではなかった。

日本の敗戦後、英国に反旗を翻したINA将兵の処罰をめぐってインド国内が騒然となり、激しい独立闘争への導火線となったことは昨年12月8日のエントリ『その名はF機関…大東亜戦争の英雄・藤原岩市』に記した。

「生きて自由印度を見るかは、問題ではない」…ネタージはかつて演説でそう叫んだ。INAの兵士の多くが戦場に消えたが、インド独立の悲願は達成された。

そしてネタージもまた生きて祖国の土を踏むことはなかった。

【敗戦直後の遭難…遅過ぎたアジア回帰】

悲劇は終戦の3日後に起きた。

シンガポールで日本の敗戦を知ったネタージは、サイゴンに飛び、そこで寺内元帥に「ソ連行き」を希望する。大本営は言下に拒否したが、寺内元帥は独断で双発爆撃機を手配した。

日本人将校ら乗客11人と共に、台湾・松山飛行場から大連へ向けて離陸した直後、左エンジンに異常が発生。機体はバランスを崩して落下、やがて炎に包まれた。

同乗していたラーマン副官は軽傷だったが、ネタージは全身に火傷を負った。直ちに台北軍病院に収容されたものの、絶望的だった…
▽事故が起きた松山飛行場(MISSION NETAJI)
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事故から6時間後の昭和20年8月18日午後8時、インド独立運動の闘士は、その生涯に幕を閉じた。享年48。

「あと1年日本到着が早かったら…」と藤原岩市参謀は戦後に述懐している。

昭和17年か18年初めまでにINAと日本軍が共同でインド進攻作戦を敢行していれば、その影響はインドのみならずアジアの戦後史を塗り替えていただろう、と説く。
▽最晩年のボース将軍
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さらに、ガンジーではなくチャンドラ・ボースが戦後インドの主人公であれば、インド分割の悲劇はなかったかも知れない、とも語る。ビルマ北部の司令部で、ある夜ネタージは独立インドの青写真を、こう明かしていた。

「印度の独立にあたって、自分は十年以上の独裁政治を選んで、統一を成就する。でなければヒンズー、回教の相剋から、折角の独立も分裂と破滅につながる」(『大本営の密使』250頁)

3次に渡って膨大な犠牲者を生んだ印パ戦争を目の当たりにして、藤原大佐は、忘れていたネタージの言葉を思い出した…
▽昭和43年軍刀返還式に臨む藤原元参謀(『大本営の密使』より)
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そこにもう一点、付け加えれば、ボース将軍指導下の独立インドならば、中共のチベット侵攻初期に曖昧な態度は取らなかったように思える。

【歴史の彼方に眠る大東亜の巨星】

実際のボース・インドがどのような歴史を刻んだか想像の範囲を超える。しかし、生前の姿を直接知る者にとってネタージは「もし生きていたなら」と考えさせる強力なリーダーシップの持ち主であったことは確かだ。

同時に、その非業の死を信じたくない者も多く、独立後も暫くボース将軍生存説がインドに根強かった。昭和31年には死因調査団が組まれ、実兄のスレス・ボース氏が来日したが「死んでいない」と語って遺骨の引き取りを中止した。
▽ボース将軍の肖像
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台湾で荼毘に付された後、その遺骨は日本に運ばれていのだ。

そこには生存説といったファンタジックな要素の他にも複雑なインド政界の事情もあった。コングレスの政敵だったネルー家の影響だ。インディラ・ガンジーやラジーブ、ソニアを輩出した名門である。

死してもなおボース将軍の陰に怯えるネルー家ではあったが、徐々に政治力は弱まっている。それが生誕100年を機にインド国内でネタージ再評価の動きが表面化した要因でもあったが、遺骨の帰国は未だ果たされていない。

ネタージの遺骨は今も東京杉並区の蓮光寺に安置されたままだ。
▽蓮光寺で営まれる法要(AFP)
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大東亜戦争の最後の2年間、極東に彗星の如く現れた闘将は、その弁舌で人々を魅了し、そして大部隊を率いて祖国に向け進撃した。日本にとっては一瞬の閃光のような存在だったか…

祖国インドでは揺るぎない人気を誇り、今も躍動しているが、ひきかえ、我が国では歴史の彼方に埋もれ、曇りガラスの向う側にいる。

大東亜戦争の本義に共鳴し、獅子吼したネタージは反日自虐史観の信者には邪魔者だった。

しかし、再び日印が同じ夢を見る時、この大東亜の巨星を歴史の闇から引き揚げ、新たな輝きを与える必要がある。
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『われらの国の大地と水を』

われらの国の大地と水を、空と果実を、甘美にして下さい、神よ!

われらの国の家庭と市場を、森と畑を、豊かにして下さい、神よ!

われらの民の約束と希望を、行為と言葉を、真実にして下さい、神よ!

われらの民族の息子と娘の生命と心情を、一つにして下さい、神よ!
     ラビンドラナート・タゴール


      〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考文献:
藤原岩市著『F機関』(原書房)昭和41年刊
藤原岩市著『大本営の密使』(番町書房)昭和47年刊
土生良樹著『神本利男とマレーのハリマオ』(展転社)平成8年刊
長崎陽子著『インド独立 逆光の中のチャンドラ・ボース』(朝日新聞社)平成元年刊
田中正明著『アジア独立への道』(展転社)平成3年刊
山室静訳『新編タゴール詩集』彌生書房

参考記事:
AFPBB8月23日『訪印中の安倍首相、東京裁判のパール判事の息子らと面会』
産経新聞8月23日『安倍首相、パール判事長男と面会業績たたえる』

参照:
東條由布子の「凛として愛する国に」渡印の思い出
ネタジと日本人
英雄チャンドラ・ボースいまだ帰国せず
『MISSION NETAJI』

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この記事へのコメント

だめ狼
2007年08月24日 17:09
やはり安倍ちゃんの外交政策はGJですな。
朝日が必死になってインドを貶めているのを見ても、左巻き連中には相当嫌な事なんでしょう。

【朝日新聞社説】「日本にとって中国の重要性、インドの比ではない。安倍首相、一本調子の価値観外交考え直せ」
http://www.asahi.com/paper
/editorial20070824.html

朝日が嫌がる事は日本の為になる事w
インドネシア~インドでの関係強化を目的とした外遊は、かなり良い仕事だと思います。「安倍ちゃん支持は間違ってなかった」と思わせてもらった瞬間でした。
あれ?そう言えば安倍ちゃんの話題なのに多馬さんを見かけませんね?この件についてどんな意見をお持ちなんでしょうか?お聞きしてみたい所なんですが。
花うさぎ
2007年08月24日 17:13
ボース将軍の「進めデリーへ!」の演説はあまりにも有名ですが、詳しく紹介してくれてありがとう、大変勉強になりました。

東条英機を魅了するくらいですから、本当にカリスマ性を持った闘志なのでしょうね。できれば将軍と革命軍の手で独立を達成させてあげたかった…。
神戸の印度人
2007年08月24日 17:15
全部読み終えて、感動の波が押し寄せてきました。こんな偉大な印度の指導者を日本が支えていた歴史について、あまりにも自分が知らなかった事が多く、恥ずかしい。そして、そういうことをちゃんと教育していない現在の歴史教育のみすぼらしさよ。情けない。もっと素晴らしい日印の歴史の絆について、認識を広めていくことが大切だと思いました。立派なブログを拝読させて頂き、有難うございました。
古田
2007年08月24日 18:24
岸首相~安倍晋太郎~安倍首相に受け継がれていたんでしょうね、安倍首相良い仕事をしています。応援を続けないと日本は駄目に成ります。
なだれ三昧
2007年08月24日 18:41
重箱の隅をつつくようですが、パール父子が昭和41年来日し当時の岸首相に会ったというが
41年当時は佐藤首相のはずなので訂正を・・・
アサピー嫌い
2007年08月24日 19:10
昨日の『報道ステーション』では、
安倍首相が(A級戦犯の)岸氏の孫であることをことさら大きくクローズアップし、
パール判事が、「A級戦犯の無罪」を訴えたことと結びつけて、あたかも自分のお爺さんを無罪にしてくれたことへの個人的な恩義で会いに行ったかのような印象操作をしていた。
朝日は本当のクズメディアだ!!!
風来坊
2007年08月24日 19:53
本当に安倍首相は良い仕事をした。パール博士やチャンドラー・ボース氏などを、改めて日本人の記憶に蘇らせる仕事をした。
貴殿の昨年の記事に触発されて読んだ「F機関」の中のネタージは感動的でした。ネタージが大東亜戦争の本義に共鳴したことは間違いないが、もしかすると、日本の方がネタージに共鳴し、エネルギーを貰ったのでは?とさえ思える。
貴殿の「ボース将軍指導下の独立インドならば、中共のチベット侵攻初期に曖昧な態度は取らなかったように思える。」とのご意見にも全く同感です。
反日教育は、こうした人たちを、歴史の彼方に埋もれさせ、曇りガラスの向こう側に追いやっている。日本と日本人にとって、今こそ真っ当な歴史教育が必要な時だと思います。

A
2007年08月24日 19:56
インドにも日本にも全く素晴らしい方たちがいたのですね。すごいです。日本人全てに、世界中の人に知って欲しい!

それにしても、イギリスやフランスが植民地などと言うとんでもない事をしなければ、植民地にされていた国の人全て、そして日本だって苦しまずにすんだのですね。
死ななくてもすんだ。

1番悪いのは植民地などと言う恐ろしい事をした国です。
2007年08月24日 20:43
さすがインド・スペシャリストのアネモネさんらしい力のこもった一編でした。「F機関」に関するエントリーの感動がまたよみがえりました。

ボースは、軍用機の寒さに耐えかねセーターを着込んでいたそうです。そこに火がまわり重度の火傷を負い命取りになったという事をどこかで読んだ覚えがあります。

インド独立のためにはソ連とも手を結ぼうとしたボースのその戦略性は現インド指導部にも受け継がれていると思います。総理におかれてはもちろんご承知とは思いますが、情ではなくあくまで戦略を以ってインドとの協力関係強化を推し進めていただきたいと願っています。
怜音
2007年08月25日 00:10
前エントリといい、今日のエントリといい、涙が出そうでした。
つい最近までチャンドラ・ボースという名前すら知りませんでした。
このような素晴らしい方がいたこと、そして日本とつながりがあったこと、誇らしく思います。
今回の安倍総理の外遊、実に良いですよね。
そのことが少しでも広まってほしいです。
日本人
2007年08月25日 00:40
ボースの名前をはじめて知りました。安倍氏は忘れられようとしている歴史の一環を掘り起こしてくれました。相変わらず日本のマスコミは偏向報道ばかりで事実を報道しません。過去の日本の割ることばかり記憶させることしか考えていないようです。
ビードロ
2007年08月25日 01:08
本件、ニューヨーク・タイムズ(24日付け)でも取り上げられていました。実際AFPのコピーなので、いつもの偏見に溢れる日本関連ニュースとはちょっと違っていましたが。クリシュナさんの息子は、米ハーバード大学で歴史学の教授として活躍されているそうですね。

でも、まあ、靖国非訪問に抗議して「小指」を送りつけた事件を一緒に掲載している辺りはいつものニューヨーク・タイムズでした。。

http://www.nytimes.com/2007/08/24/world/asia/24japan.html?ref=asia
神谷晃良
2007年08月25日 01:14
今、インド国会に於ける安倍総理大臣の演説「二つの海の交わり」を読んで来ました。感動しました。安倍総理大臣はやはり立派な総理大臣です。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_abe/iim_07/india_gai.html
『大衆レベルでインドに関心を向けつつある日本人の意識は、いま拡大アジアの現実に追いつこうとしています。利害と価値観を共にする相手として、誰に対しても透明で開かれた、自由と繁栄の海を共に豊かにしていく仲間として、日本はインドを「発見」(The Discovery of India)し直しました』。
『アショカ王の治世からマハトマ・ガンディーの不服従運動に至るまで、日本人はインドの精神史に、寛容の心が脈々と流れているのを知っています』。
『貴国に対する日本のODAには、あるライトモティーフがありました。それは、「森」と「水」にほかなりません』。『これらは皆、インドの水よ、清くあれと願っての事業です』。

自由と民主主義と資本主義と寛容の精神。中共には無いものばかりです。
神谷晃良
2007年08月25日 01:48
私もテロ朝報ステの、「パール判事に対する、安倍総理大臣の個人的恩義」には、激怒した一人です。子供の頃から、只一人東京裁判で無罪の判断を下された、パール判事に感謝の念を持ってはいますが、それ以上に尊敬して来ました。『謝罪しろ』『反省しろ』『賠償しろ』の朝鮮人や中共人など、斬って捨てれば良いのです。日本人は、さっさと東アジアから立ち去って、東アジア大陸に「日本人もぬけの殻」にしてやりたい。中共人朝鮮人を罵り合わせて、共喰いさせれば良いんです。

しかし、朝日新聞社説、「安倍首相は価値観外交を考え直せ。日本にとって中国の重要性は、インドの比ではない」。誰の利益を語っているのだ?

南京映画を何本も創り、朝鮮人の慰安婦決議運動に資金提供し、世界中に毒入り食品をばら撒く。人毛で醤油を造り、ダンボール入り肉まんを平気で売って他人に食わせる、中共の何処が日本にとって重要か?戦前から連綿と続く、中共の手先。新聞社を装う政治圧力団体。朝日新聞そしてテロ朝。何か手盾は無いのか?    _| ̄|○




神谷晃良
2007年08月25日 01:55
連投スマソ。
安倍総理大臣のインド国会演説は、是非読んで頂きたい。個人的には小泉前総理大臣の「郵政解散演説」と同じ様に、何かを教えて貰った。と言う気にさせられる内容です。
再度アドレス。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/
press/enzetsu/19/eabe_0822.html
「真実はこうだ」
2007年08月25日 02:17
戦後、ひた隠しにされてきた歴史の裏面・・・という感じですね。
物事の見方が多角的になる。
マスコミの思想統制がいかに凄まじかったかを思い知り、慄然とする。
2007年08月25日 05:32
>だめ狼さま
朝日が絶叫するアジアにはインドが含まれていないことが良く分かります。サヨクの言うアジア=特亜3国の模範解答ですね。
>花うさぎ様
やっぱり白眉はシンガポール演説でしょうね。『F機関』に長く引用されていますが、言葉の熱さには電撃ショックを受けました。
>神戸の印度人さま
いえいえ、こちらこそ。日本メディアではインド系の言論人がいないのが淋しい限りです。シナ人は沢山いて雑音大なのですが…
>古田さま
首相のカルカッタ訪問は短時間でしたが、ポイントを押さえていました。日印外交的には画期的だったと思います。
>なだれ三昧さま
ご指摘有り難うございます。岸首相は60年安保で退いていた…元首相の訂正しておきます。
>アサピー嫌い様
『報ステ』も相変わらず安易な主張でお茶を濁してくれますね。パール博士の正論は個々の容疑者とは余り関係ないのに…
>風来坊さま
田中正明氏は大東亜会議で思想的に核心をついたのがネタージだと指摘しています。巨星との表現は間違いなさそうです。
2007年08月25日 05:33
>Aさま
東京裁判の不当性は欧米の植民地犯罪をなし崩しに点でしょう。人頭税で有名だった仏が原告席にいたのはお笑いです。
>マルコおいちゃん
なるほど、隣にいた副官は軽傷だったのに…歴史は残酷ですね。今後、外務省は戦略的に印度人脈を強める必要がありそうです。
>怜音さま
ボース将軍に関しては決定的な書物がないのが現状です。読み易い本があれば紹介したかったのですが、残念です。
>日本人さま
反日メディアは日本叩きに繋がる歴史しか援用しないのでインド系は除外…アジア現代史そのものが歪められているように思います。
>ビードロさま
情報ありがとうございます。海外では紹介されたんですね。ヒンドゥスタンタイムなど現地紙はしっかり報道していました。
>神谷晃良さま
言葉の選び方など国会演説は実に良かった。寛容性は当地で栄誉です。なぜかインド人の気分になって嬉しかったから不思議。
>「真実はこうだ」様
特亜3国から見た戦争史観とは別に、アジア全域から見つめ直す作業が必要に思えます。反日勢力は隠したい史実でしょうが。
梅昆布茶
2007年08月25日 05:55
安倍さんの今回の外遊が無ければ、インドやインドネシアと日本のこうした関係など、戦後生まれには全く教えられませんからね。いや、一味も二味も違った外遊でした。 この様な形での外交を行った首相は安倍さんが初めてでしょう。 やはり、安倍政権は今暫らく続いてもらう必要があります!

それはそうと、インドはロシアを破った日本に、過大な期待・幻想を持ちすぎたのでは?と思っています。日露戦争の勝利は日本にとって、限界ギリギリでの勝利でしたが、植民地支配下にあったアジア諸国の指導者達には、日本が救世主の様に写ったのでしょうね。そして日本も、彼等の過度の期待に自身の身の丈も判らなくなって、同じ幻想に浸ったまま無理な戦線拡大を仕掛けてしまったように思います。
2007年08月25日 06:32
>梅昆布茶さま
欧州歴訪等とは違って史的背景が滲み出てきますね。敢えて踏み込んだのは良かった。周辺から反対論が出たのは気になりますが…
■余りにも長文になったのでカットしたタゴールの詩を末尾に加えました。当時のインドの苦悩を写した代表作です。
憂国防人
2007年08月25日 07:22

朝日新聞もテロ朝も、毎日系やNHKも、いい加減、覚醒した日本国民の手によって徹底的なツブシにかけなくてはなりませんな。

 アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む。

けだし、名言である。
忘れ雪
2007年08月25日 09:16
大変良いエントリー有難う御座います。
安倍首相は今回も意義ある外交をされました。

昭和18年に開催された「大東亜会議」は今では、
日本の歴史から消された感すらあり、学校の日本史でも教えられていないようです。
アジア諸国の政治的指導者が結集した歴史的会議であったのにです。
結果、戦後亜細亜から植民地が消え去る事になった。

数年前、杉並の蓮光寺に参った事があります。
その胸像は実に凛々しく、遠くを見つめるお顔
でした。
名無しの経営者
2007年08月25日 10:16
アネモネさん紹介のタゴールの詩の翻案です。

「美しい国土と水に」

豊かな美しい国土、清らかな水に、青い空、

なごやかな家庭、にぎやかな市場、緑豊かな森と豊かな田畑、

賢明な国民、素晴らしい未来、

神様、われらの気持ちを一つにして、この国を強くし、これからも栄えさせてください。 
花うさぎ
2007年08月25日 11:13
神谷晃良さん

>安倍総理大臣のインド国会演説は、是非読んで頂きたい。

ご紹介、感謝です。「二つの海の交わり」、全部プリントして二回目を通したけど素晴らしい。これならスタンディングオベーションものでしょう。
藤田達男
2007年08月25日 12:31
アネモネさんのサイトに初めて投稿したのは、インドのエントリーだった気がします。私も親印派の端くれとして、今回や前回のエントリーに感動しました。
初めてTB送らせて頂きました。もう一人のボース、ビハリ・ボース関連の記事なので、何かのお役にでも立てれば幸いです。
間を持たせに来た神谷晃良
2007年08月26日 02:06
『二つの海の交わり』。インド国会に於ける安倍総理大臣の演説。不覚にも私は何故か勝手に、神社の境内を連想してしまいました。もっと具体的に言えば、伊勢神宮(内宮)の境内。参道真ん中に、参拝客の往来を遮るかの様に、立っている巨木達を思い浮かべてしまいました。樹齢何年の巨木達か?私には判りませんが、彼等は最初から巨木であった訳ではありません。何百年もの昔には、彼等は人の膝小僧や腰の背丈位しかなかった時代もあった筈です。当時の参拝客たるいにしえの日本人が、彼等を倒さない様に避けて歩いていた筈なのです。その光景が思い起こされ、思わず顔が綻びます。しかしその一方で、(靖国)神社に参拝するに際しても、反日国是の隣国配慮と真っ直ぐ王道を歩けない日本人の情けなさに忸怩たる思いもします。

『インドの水よ、清くあれと願っての事業です』。

台風通過直後に訪れた五十鈴川は、ほんの少し白濁しているだけでした。あの川が土色に染まる事ってあるのだろうか?そう云えば雨の日の、伊勢神宮参拝はした事の無い私です。

安倍総理大臣がインドに見出している寛容の心は、此処伊勢神宮の境内にも溢れている様に思われます。
間を持たせに来た神谷晃良
2007年08月26日 02:40
『強いインドは日本の利益であり、強い日本はインドの利益である』。安倍総理大臣の言葉。正に正鵠を得た発言に、中共に怒りおびえる一日本人の私としては、ほっと安堵の念が禁じえません。

キーティング米太平洋軍指令官訪中に際し、中共側軍事当局者が『太平洋東西分割管理』を提案したそうです。アメリカに東太平洋支配を認める代わりに、中共に西太平洋を管理させろとの事。狙いは台湾日本支配。なんと言う覇権侵略主義。それが中共の正体であり、身の程知らずぶりなのです。

西洋文明の根幹。ルール・マニュアル遵守と情報開示。そのどちらも履行できず、毒入り食品を世界中にばら撒き、手抜き工事で毎月のように橋を落とす中共は、近い将来地球環境にとっての猛威です。原子力発電所建設ラッシュで、スモッグの様に放射能を撒き散らしそうで恐ろしいです。

しかしそれにしても、『安倍首相は価値観外交を考え直せ。日本にとって中国の重要性は、インドの比ではない 』。この期に及んで、朝日新聞の中共機関ぶりは容認できるレベルでは無い様に思われます。朝日新聞に再び、日本人の命が啜られそうです。以後自重。


安倍
2007年08月26日 04:46
また随分とデタラメばっかり書いてあるブログだこと
安倍
2007年08月26日 04:47
また随分とデタラメばっかり書いてあるブログだこと
紙屋
2007年08月26日 06:32
>また随分とデタラメばっかり書いてあるブログだこと

>また随分とデタラメばっかり書いてあるブログだこと

その程度の事しか言えんのか?おまけに2回も書き込んで。プゲラ。
チワワマン
2007年08月26日 09:47
知らないことばかり。大東亜戦争のころの日本を誇りに思えるようになるとは思ってもみなかった。なるとは
幽谷の名無し
2007年08月26日 13:37
管理人様こんにちは。印度の嘗ての英雄、ボース将軍の激動では有りましたが、その物語を拝読し、感動しました。(落涙)是を読めば如何にあの朝日などの反日売国媚中派、媚韓派も色褪せて見えます。今後は是非共、日印同盟を実現させ、特亜の人的・物的謀略を必ず打ち破らなければなりません。
OZ
2007年08月26日 14:17
ボース将軍とは、あの小津安二郎がシンガポールで会ったようですね。厚田カメラマンほか数名と、某機関の依頼でドキュメンタリーを準備中でした。
フィルムは処分しちゃったみたいですが。モスクワか英吉利あたりに眠ってないかなあ。
たかゆく
2007年08月27日 10:02
不謹慎かもしれませんが、かっこよすぎです。
今の日本をみたらネタジは何と嘆くだろうか…。
憂国士団
2007年08月27日 11:28
日本人にとってインドとは如何なる国であろう?
単に貧しさやカースト制度だけが思い当たるだけではないだろうか?

街の中にはSuzukiが走り(他の日本車が少ないのが情けないが)、既に軒並み交通渋滞もある。
コンピューターの普及どころか、ソフトの生産を始めて10年以上経ち、世界の長者番付に入る人も多い。

中国人は拝金主義であり、金を稼いで美味いものを食いいい女を妾にすることを人生最大の目標としているが、インドには銭勘定以外の価値観があり、それらは宇宙の原理を追求するまでに及ぶ。

非暴力で菜食主義を重んじ、しつこくはあるが言い掛かりなど付けない紳士的な民族である(貧しさ故にそうでない人も多いが)。

ダムダム空港がスバス・チャンドラボース空港と改名された時到着した私は、日本人として感慨を深くし、暫く黙祷を捧げたものである。

アジアにおける日本の役割は、戦争が終わって経済によるものとなった。
経済的取り引きに関しては契約が重要であるが、契約を反故にする中国や南北朝鮮に較べれば、インドは歓迎すべき国家である。
憂国士団
2007年08月27日 11:43
コピーに関してもそれほど氾濫しないのは、人間の頭脳・精神に対する尊重を失わないからであろう。

今回の安倍首相のインドネシア、インド歴訪は非常に価値のあるものであるが、それを理解することのできる日本人が殆どいないことは、嘆かわしいことである。

また、その根源がNHKを始めとした多くのマスコミであることに、国を憂う心はますます募るばかりである。
格言大将
2007年08月27日 17:43
***** アカが書き、ヤクザが売って、バカが読む。 *****
凄く納得 本年度格言大賞 決定か??
スレ違い大変スマソの神谷晃良
2007年08月27日 23:29
今日のテロ朝報ステ、物凄く注目していました。安倍改造内閣そっちのけです。あの「愛知女子拉致殺害事件」、さらっとではありますが、触れていました。「朝日新聞販売員 神田司」って瞬間的にテロップ入れていました。
感心、感心。でも、拡張員なんだけどな。
ところで、テロ朝に限った事では無いですけれど、奴等は散々格差是正とか、ワーキングプア云々とか尤もらしく批判していませんでしたか?で、今回あの神田司とか言う新聞拡張員は、月給は歩合制で10万円前後ですって。その一方で、テレビの向こうで尤もらしく講釈垂れている、朝日新聞編集委員や論説委員共等は幾ら貰っているのよ?4000万?5000万?これこそ、格差社会の象徴です。先ず、朝日新聞から体質改善すべきなのでは?と言うか体質解体すべきでは?

よく判らんけど、総務大臣に増田寛也氏(民間)はどうなんだろう?テロ朝や朝日新聞を潰せる方にして欲しかったなあ。

TBS膳場貴子23では、被害者の自宅は映すくせに、朝日新聞拡張員の肩書き伏せて報じやがった。マスゴミの奴等は狂っているとしか言い様が無いです。
taka
2007年08月27日 23:31
「F機関」、すでに廃盤になってますよね。
あきらめきれずに図書館で探しました。
名古屋市鶴舞図書館に1冊だけありました。
もう、ボロボロでしたがすごい内容でした。「男がここで泣かずに何時泣くのかぁぁ!」の記述が一杯。
また、藤原大佐(当時?)がうまい具合に饒舌じゃなくって、訥々と書き連ねてるんですが、それがむしろ...どうもうまく言えません。
不適切覚悟で「日本男児なら読め!そして、泣け!」です。
「F機関」ではネタージの記述は最後の方にちょっとしか載ってなかったように思いますけど、いや、ネタージを迎えるまでがまた、紆余曲折で凄い。「日本男児なら読め!そして、泣け!」です。
あ、名古屋-鶴舞図書館の「F機関」、しおりの紐、切れちゃった。てか、切っちゃった。後で読まれる皆さん。本当に申し訳ありません。
スレ違い大変スマソの神谷晃良
2007年08月28日 00:12
>TBS膳場貴子23では、被害者の自宅は映すくせに、朝日新聞拡張員の肩書き伏せて報じやがった。
自己レススマソ。

そう云えば、毎日新聞の販促員も茨城で、飲食コーナーで相席求めてきた男性を殴って殺していましたわ、26日同じ日に。朝日新聞といい毎日新聞といい、人殺しに忙しい事ですこと。
何れにしても新聞社の社員と新聞販売店の社員の年収違い過ぎですね。それこそまるで圧政搾取の封建制度か、北朝鮮か中共みたい。あっ、だから奴等新聞社やテレビ局は、中共や北朝鮮の側に立って報道するのか?

無理やりな論拠かも知れ無いですが、新聞なんて最早、戸別に配るものでもない様な気がします。森林資源を守る為にも、強制的に減らして行くべきでわ?禁煙と同じ。煙草産業を縮小させて行くのと同じです。危険な戸別新聞配達制度など止めさせるべきではないのかな?そう云えば、東京での一人暮らしの学生時代、販売促進員に怖い思いも、不愉快な思いもさせられました(凄く遠い目)。

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