よど号犯・田中義三の“突然死”…偽ドルと拉致を知る男

「よど号」グループの田中義三が急死した。北朝鮮の偽造ドル流通と欧州の日本人拉致にも関わる“生き証人”が再び闇の奥に去った…しかし、「よど号」犯が荷担した悪辣な犯罪事実が消える事はない。
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【田中義三の最後の2週間】

ニューイヤーのカウントダウンが終わり、新年を迎えた直後のことだった。

千葉県内の病院で「よど号」犯のひとり田中義三が息を引き取った。死亡時刻1月1日午前零時15分。死因は肝臓がん。

そのニュースは1日の午後には早くも伝えられたが、余りにも急な訃報だった。それは、突然死と言っても過言ではない急激な展開だった…

先月15日、産経新聞など一部メディアは、熊本刑務所に服役中だった田中義三が重病となり、東京高検が刑の執行を停止すると報道したばかりっであった。

公安事件での刑執行停止は異例中の異例の事態である。

これは田中義三の弁護側が医療刑務所の治療には不足があるとして、一般病院への移送を求めたのに対し、東京高検側が受け入れた為である。

この報道後、間もなく田中義三は千葉県内の病院に移されたもようだ。複数のテレビ局が移送の瞬間をカメラに収めているが、正確な日時は不明だ。
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マスクと帽子で表情は分からないが、車椅子に乗る田中義三の姿は、2週間後に急死する末期がん患者とは思えない…

そして、この映像が撮られてから間もなく、戦後の日本社会を震撼させた「よど号」犯のメンバーは永遠に沈黙することになった。

今こそ、田中義三が北朝鮮国家犯罪の“生き証人”として再び脚光を浴び、秘密を語る必要があったのだが、全ては闇の中に仕舞われた…

【チュチェの戦士=「よど号」犯】

1970年3月31日、日本初のハイジャック事件が列島を震撼させた。余りにも有名な「よど号」事件である。そのメンバーの中に21歳の田中義三がいた。

ハイジャック事件で北朝鮮に渡った「よど号」メンバーについて、日本国内では様々な反応が巻き起こったようだ。それは事件に傷害など凶悪な要素が少なく、またメンバーの思想が稚拙だったことにも起因する。
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「われわれは明日のジョーになる」といった声明文や、北朝鮮を蔑称である「北鮮」と呼ぶなど独裁国家に関する知識にも欠けていことからも幼さが判る。

左旋回していた世論やメディアも、「よど号」犯への風当たりは穏やかで、また、現地で暮らすメンバーたち活動も知られていなかった。こうした状況から、わが国では支援組織も生まれ、北朝鮮にいるメンバーとの連絡も想像以上に可能であった。

90年代半ば頃まで、「よど号」犯たちは平壌の一角でやや不自由な暮らしをしていると本気で信じられていたようだ。

だが、それは連中がウソで塗り固めたストーリーに基づいたものであった。

田中義三は頻繁に北朝鮮から出国し、東欧の北工作員の拠点であった在ユーゴの通称「ザグレブ機関」を軸に工作活動の一翼を担っていたのだ。

支援者の前にも姿を見せることのなかった田中義三は、96年、意外な場所に姿を現す。

それは今に至って金正日を窮地に陥れている偽造ドル紙幣に深く絡んだものだった。

【26年ぶりに姿見せた「よど号」犯】

1996年3月24日、カンボジア・ベトナムの陸路国境で、北朝鮮大使館の公用車が停止命令を受ける。その公用車には尾行の車が付いていたという。

車内には、二人の北朝鮮大使館員と一人の男がいた。その男こそ「よど号」犯・田中義三だった。

北朝鮮大使館員らは外交特権を振りかざし、検査を拒否。ろう城の末に国境を突破を図るが、カンボジアの警官は射撃態勢を取って防いだという。

カンボジアはシハヌーク元国王と金日成との交友などから、北朝鮮にとっては、どうとでも出来る国だった。この時も、ワイロで逃げ切れると考えていたようだ。

しかし、現実は違った。

北朝鮮大使館の公用車を追跡していたのは米国の諜報員だった。警官が強硬な対応をとった背後には、CIAと米財務省のSS(シークレット・サービス)が控えていた。

ちなみに、先の北京での米朝金融交渉の米国担当官ダニエル・グレーザーもSSの高官だった。つまり、クリントン時代から米財務省は一貫して北朝鮮の偽ドルを追い、証拠を集めているのだ。

公用車にいた田中義三は「ハヤシ」と名乗り、本名を明かすことなく逮捕され、インターポールの手配元であったタイのパタヤ署に移送される。
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朝鮮語しか話せないと言い放っていた「ハヤシ」はここで、取材に来たフジテレビ記者に対して突然、日本語で語り出した…

「わたしは『よど号』の田中義三です」

ハイジャック事件から26年、平壌で暮らしているはずの「よど号」犯が公然と姿を現した瞬間だった。

【謎の結末…スーパーK事件】

タイで行われた田中義三裁判は、不可解な展開を辿る。

99年6月に出された判決は無罪だったのだ。

まず田中義三の容疑は、タイのリゾート地パタヤで発見された大量のスーパーK偽造に関わるものだったが、証拠不十分とされた。また、カンボジア国境で拘束された時に所持していた米ドル札の中に偽造紙幣はなかったとも言われる。

だが、田中義三がパタヤで大量に発見された偽造ドル紙幣に絡んでいたことは明らかだ。更に、田中と現地協力者が共同経営したプノンペンの会社にはSS捜査官が踏み込み、計1238枚のスーパーKを押収している。

当時のプノンペンには現地資本の巨大カジノがあり、また正体不明の華僑系銀行が乱立していたことから、マネーロンダリングには格好の状況が揃っていた。田中義三が中心となり、スーパーKを市場に流していたことはほぼ明らかなのだ。

しかも、米財務省SSが高度な情報を元に追跡し、証拠品を押収したうえで全面的に裁判をバックアップしていた。それにも関わらず、タイの地方裁判所が、覆すことはまず常識では考えられない。

あくまでも筆者の推測だが、裏取引があったように思える。それは田中義三を日本へ移送する為のシナリオだ。

【日本移送の不可解な経緯】

タイの拘置所に田中義三を置いておくことは“キケン”だった…

日本とは報道規定が大きく異なり、現地では収監中の被告への面会が容易なのだ。その為に、日本からマスコミや支援者が駆け付け、実際に田中義三の発言は外部に伝えられていた。またテレビカメラで撮影することも自由だったという。

発言封じを目的に裁判は無罪として打ち切られ、日本に移送されたものと推測する。その発言とは「冤罪」を叫ぶ田中の主張だけではなく、日本政府にとっても隠しておきたい事実があったように思えるのだ。
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タイ外務省報道官は、2国間に犯罪者移送協定が存在しないため、田中義三は無罪判決のあと、なんと1929年の「身柄引渡国際条約」に基づいて移送されると発言している。

異例の取り引きだ。

複数の過去資料をあたっても、何を根拠に田中義三の身柄が日本側に引き渡されたのか、要領を得ない。「よど号」犯の支援者グループにいたっては「自主帰国」と表現している。

2000年6月に田中義三は日本へ移送され、国外移送目的略取などの罪で3年後に懲役12年の刑が確定した。これも地裁判決のあと高裁が控訴を棄却、上告が取り下げられたことで刑が確定したものだ。

昭和史に刻まれた大事件にしては異例のスピード判決である。

田中義三のバックには元全共闘幹部の強力な弁護団が付いていたが、余りにもあっさりと刑が確定している。これも奇妙な風景だ。

結果的に、田中義三に発言の機会は殆ど与えられなかったのだ。

北朝鮮工作員の一大拠点・ザグレブ機関に深く関与していた田中義三は、偽造ドルの流通だけではなく、様々な工作活動に従事していたはずだ。しかし、裁判の過程でそうした活動に関わる証言は皆無だった…

「よど号」犯は金日成に受け入れられた事で、北朝鮮ではエリートとされていた。
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革命根拠地を築くべく北朝鮮の土を踏んだハイジャック犯に対し、72年5月6日に接見した金日成は「きみたちは金の卵である」と絶賛した。北朝鮮工作員の中でも金日成から直々に礼賛された者は希少だ。

長年、東欧や北欧を舞台に暗躍していたエリート工作員・田中義三は、北朝鮮の極秘活動を知り得る立場にいただけでなく、実行犯として関与していた。

そこにはマドリード作戦とよばれた留学生拉致事件もある。

田中義三が下手人となった日本人拉致事件への関与は不透明な部分が多いが、有本恵子さんの“教育係”を努めたのが義三の妻・田中協子であることは関係者の証言でも明らかになっている。
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田中義三は知っていたのだ。

偽造ドルや拉致工作といった北朝鮮の国家犯罪を知っていたのだ。そして、日本の公安機関がようたく確保した貴重な“生き証人”でもあった。

それが、肝臓がん公表から僅か2週間余りで永遠の闇の中に消えてしまった…

果たして我が国の公安機関は、どこまで北の犯罪について田中義三から証言を獲得できたのだろうか?

偽造ドル疑惑で米国と足並みを揃え、情報を共有する時、田中ルートの解明は大きく役に立ち、独自の証拠集めも可能だったのだが…

【拉致事件を認めない支援者の醜態】

「よど号」犯を英雄視する支援者グループが国内に存在することは前述したが、負犬サヨクでもあるその連中は、ある時期から赤色テロリストの帰国を強く主張するようになった。

その一人には、あるジャーナリストも含まれていた。

赤軍の源である共産同(ブント)活動家だったジャーナリスト・高沢晧司さんだ。有本恵子さん、福留貴美子さん拉致のスクープしたノンフィクション『宿命』の著者である。
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高沢さんは、「よど号」犯の支援組織にも関わり、実際に平壌を訪れて田宮高麿と対面している。何回と話す間に疑問を抱き始め、「よど号」犯の欧州での活動を調査し、犯罪を告発。『宿命』には、北朝鮮の異常性や「よど号」グループによる犯罪への怒りが満ち溢れている。

だが、支援組織はその高沢さんを裏切り者として糾弾した。幻想にしがみ付きたかったのだろう。

そこへ2002年の金正日による拉致自供が加わる。支援組織は、それまでの立場を失ったはずなのだが、ごく最近の彼らの主張を知って驚愕した。

未だに拉致事件を認めずに「拉致疑惑」と表現しているのだ。

~~~~~~~~~~~
この「拉致疑惑」を口実に朝鮮敵視の感情が広く日本国民の間で煽られています。
~~~~引用終わり~~
「かりの会」帰国支援センターとは

慌てて日付を確認したが2004年6月以降に書かれたものである。この連中には拉致被害者家族の苦しみが何ひとつ見えていない。

鬼畜サヨクとは良く言ったものだ。総連より醜悪である。

改めて断言しておこう。

「よど号」犯は全員が拉致犯罪者でもある。

そして、平壌で優雅に暮らす彼ら亡命貴族を支援する者は、圧政に苦しむ北の庶民を泥靴で踏みつける悪の共犯者に他ならない。

          〆
最後まで読んで頂き有り難うございます♪
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参考資料:
高沢晧司著『宿命』(新潮文庫)
高世仁著『金正日『闇ドル帝国』の壊死」(光文社)

参考記事:
電脳補完録~田中協子関連記事

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この記事へのコメント

ごんべえ
2007年01月05日 15:09
よど号事件の10日ほど後に羽田空港を利用したのですが、ボディチェックが極めて念入りでした。

田中が日本へ移送された後、日本での裁判が余りにもあっけなく終結した背景には何があったのでしょうか…闇の仕組みが明るみに出るのを恐れ、弁護団が白旗を揚げた?
マルコおいちゃん
2007年01月05日 18:28
アネモネさん、
イザ版にもコメントしましたが、拉致はかれら元赤軍派亡命者たちの建議により立案計画され一部実行されたのではないかという疑惑がわいてきます。時間的にも拉致が実行された時期にも合致します。「鬼畜」とはまだ生ぬるい表現ではないでしょうか?
また田中のようにもっと広い工作に関与していた者の不透明な捜査・裁判と、今回の不審死、疑惑は益々深まります。我が国当局が売国筋からの圧力をうけて不透明な判断をしたのではないことを祈ります。我が政府は、いままで入手した資料証拠を大いに活用して拉致事件解決、北との「戦争」勝利のため、当局に対し強力な行政指導を為すべきでしょう。安倍総理の最大の課題の一つは拉致事件解決なのですから。
2007年01月05日 19:44
>ごんべえ様
あの事件のあとで慌ててハイジャック防止法を作ったのだそうですね。いかに、我が国が国際音痴だったか判るケースです。
深い闇はあると考えているんですが、今回は陰謀論を自粛しました。別の機会でよど号問題をたっぷり語りたいと思っています。
2007年01月05日 19:49
>マルコおいちゃん
すごいヒントになりました。ありがとうございます。イザ版のコメントでさわりを提示しました。
ハッキリ書きませんでしたが、見つかりにくい膵臓がんならともかく肝臓がんは早期発見も可能なのでは…どうも早過ぎる死なんですが。一方で公安は資料を確保済みと想像しています。出すタイミングが問題ですが葬られる恐れもなきにしもあらずです。
熊本刑務所・図書計算工場
2011年09月24日 19:29
初めまして、私は熊本刑務所にて田中さんと苦楽を共に服役していた者です。ニックネームにしましたが、厳密にいうと懲役が購入や差入れにて所持している書籍を管理し配本等をメインに行う図書工場と懲役は自給自足が原則で、日々安い賃金で作業しているのですが、その一般工場の懲役の報奨金の計算と受け持ち工場の作業日報のチェックを行う計算工場と分かれています。私と田中さんはその計算工場に配属されていました。私はその田中さんへ作業指導と工場内の当番やルールの教育係でした。そんな事から田中さんの体調が悪くなるまでの間では私が一番一緒に居た
でしょう。本人曰く著書や支援者にも語っていない話を私にしてくれた事がありました。ですが他界してしまった田中さんの話を私が勝手に言う事はできませんし全てを持って逝かれた田中さんと同じ時間を過ごした事は忘れないでしょう。私の方が先に刑期を終え出所となることから「雁の会」のホームページを起ち上げておいて欲しいと頼まれていたのですがそのままになっています。田中さんとは他にも色々な出来事があったので今度またお伝えします。
長くなりましたがお許し下さい。
takokuro
2013年10月18日 01:53
田中氏の死刑が報道されたのは、たしか?最初の安倍政権の元旦早々でしたが・・・アレ?と思いました・・
本当なのだろうか?なら、テロ国家ではないか?
他国で無実の判決を受け、すでに若気の至りだととても反省されてるのに。。
でもこのあと、すぐに安倍政権のもとで日本のタバコ産業などインフラ資金で英国の老舗株を買収したり、
NHKラジオがのっとられ始めたんですよね・・
不二家も・・・老舗のれんはそのままだけれど・・
元旦早々、田中氏の死刑が報道された年のこと・・
その後、急に安倍氏がお腹が痛いとかで政権をおりられ、成り澄まし?鳩山政権へ向かって行く過程の自民党にも大変な異変がありましたよね!
中川財相て伊バチカンに出向き、記者会見で白河日銀総裁を横にフラフラ会見をすることになってしまう・・・
世界に日本国家が異常事態だというメッセージのような感じだった・・
白川総裁って・・テロの手先だったのだろうか??

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