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zoom RSS 『東京裁判史観』とゼロを認めない数学者

<<   作成日時 : 2006/10/28 03:17   >>

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もう出尽くした感のある「東京裁判」批判だが、新たな視点を提示しよう。それは裁判そのものよりも、近代法の大原則からあの裁判の肯定論者を追い詰めるものだ。
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踏襲発言が問題になった国会答弁で、安倍首相は極東軍事裁判に関して、その不当性をこう表現していた。

「平和に対する罪と人道に対する罪で裁かれたが、(いずれも)その段階でつくられた概念だ。罪刑法定主義上、犯罪人だということ自体おかしい」

ここに登場する「罪刑法定主義」という一見難解な法学用語に注目する。

一応、法学上の定義を紹介するが、格式張った表現には辟易する。読み飛ばしても構わない。

「いかなる行為が犯罪となるか、それにいかなる刑罰が科せられるかは既定の法律によってのみ定められるとする主義。刑罰権の恣意(しい)的な行使を防ぐ人権保障の表れで、近代自由主義刑法の基本原則」
『大辞林』

ウィキペディアを見るとこの「罪刑法定主義」は「事後法」と同列であるかのような書き方をしているが、何も難しく考える必要はない。

“罪と罰”を使えば、平易な表現で説明可能だ。

近代法ではまず罰が先に決められ、罪が裁かれる。
絶対的な原則・ルールである。

罰→罪→刑

最初に罰(法)があるから破った者(罪)が生まれ、刑に処せられる。

実に簡単で、当たり前過ぎることだ。

極東軍事裁判ではこの鉄則が守られていなかった。東京裁判史観を攻撃・批判する論者は、この部分を追及して不当性を訴えてきた。

その態度は正しい。

しかし、今回、攻撃するのは極東軍事裁判を肯定する者たちだ。

この「罪刑法定主義」は近代法の大原則だ。一般教養課程の法学では最初の授業で登場する。
基礎中の基礎と言って良い。

これを数学に置き換えると0「ゼロ」の認識と同じレベルの原則だ。

ゼロを認めない数学者は存在しない。もしゼロを認めなかったら全ての方程式は破綻する。「ある方程式ではゼロの概念を外す」といったことはあり得ない。

同じように「罪刑法定主義」を認めない法学者が存在したら、その者の法認識は破綻する。

ところが、わが国にはこの「罪刑法定主義」を認めないケースもあり得ると主張する法学者が多数存在している。
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即ち「東京裁判史観」に立脚する法学者たちだ。

法学部教授の多くが極東軍事裁判の正当性を未だに認めている。
近代法の鉄則が守られていないと知っていても、極東軍事裁判を肯定している。

無茶苦茶な理屈だ。

ゼロを認めない数学者がいたら、瞬時に、学会から追放されるか狂人扱いだ。

ところが、近代法のルールを例外的に認めない法学者が、わが国では堂々と法を論じている。

こうした主張がまかり通るから、いつまで経っても社会科学は見下されるのだ…

例えば土井高子。

憲法学者を自称するが、極東軍事裁判を認めて支持するのならば、近代法の鉄則は「破られてもOK」と考えていることになる。

本来、あり得ないことなのだ。

【フセイン裁判が示した“良識”】

「罪刑法定主義」の原則に基づく「極東軍事裁判」批判は、まず米国で起こった。

米占領軍が主体となって催したあの裁判について米国の良心的な法学者から批判と疑問が出された。

それ以降、米国は終戦処理には慎重な態度をとってきた。

まず、91年の湾岸戦争処理。地上軍はバグダッドまで進撃せず、バスラ近郊で前線を止め、暫定休戦協定の受け入れを迫っただけだった。結局、フセイン大統領の罪は問わなかった。

対テロ・アフガン戦争ではタリバーン指導者オマル師を取り逃がし、なし崩し的に反タリバーン勢力が首都を制圧。戦争の終結は暫定政府の発足でウヤムヤになった。

そして、イラク戦争ではフセインの抹殺に失敗。困ったことに生け捕りにしてしまった。この時、占領下の首都で「バグダッド裁判」が開かれ、極東軍事裁判と同じ形式の戦犯法廷が強行されていれば、その不当性が全世界から非難されただろう。

誰よりも我が国の反米左派は自家撞着を起こして、論理破綻したに違いない。

しかし、米国は、その問題性を知っていたが為に、フセインをイラクの国内法で裁くしかなかった。
「罪刑法定主義」を貫いたのだ。

極東軍事裁判のような異常な法廷を先進国が主催することは二度とないだろう。

その不当な裁判を未だにサヨク陣営は支持し続けるしかないのだ。暴論を拠り所にする己の罪深さに苦しみ給え。

ただし、例外もある。

【恐怖の人民裁判を認めるか?】

「革命裁判」「人民裁判」と呼ばれる概念だ。

ルイ16世をギロチン台に送ったのが革命裁判だが、随分と昔の話である。18世紀のことだ。

その一方で、「人民裁判」はコミンテルン思想に発する革命後の敵討ちだ。こちらは20世紀前半に生まれた概念。

戦後の我が国に広がった武闘派サヨクは、この「人民裁判」を認め、革命の暁には、保守派の人間を独り残らず裁く勢いだった。

その残滓が、未だに極東軍事裁判を認める勢力にはあるのだ。
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ストレートに言えば、東京裁判史観に立脚する者は、この革命人民裁判を問題無しと捉える前近代的な野蛮人だ。

東京裁判史観と近代法治国家は同時に存在し得ない。
どちらか一方である。

かつてのサヨク論客は堂々とこの人民裁判形式を支持し、その延長線上にある東京裁判史観にも絶対的な自信を持っていた。

少しでも異議を唱えようものなら「軍国主義者」と罵って終わりだった。
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ところが、先の靖国論争を慎重に見ると、左派の論客の中にも「東京裁判にも問題点があるが…」などとエクスキューズを挟んで論じている者が少なくなかった。

ひと昔前ではあり得なかったことだ。
東京裁判史観が崩れてきている証拠である。

前段で強く主張したが、ゼロを認めない数学者はいない。近代法の鉄則を例外的に認めて全体を論じることは許されない。

エクスキューズを挟んだ瞬間に理屈は成立しなくなるのだ。

「東京裁判史観」では今や、完全にサヨク陣営は劣勢だと想像できる。

近代法の概念を持ち出したら、何一つ弁護できないことは明らかだ。

***************
【side story】

用語についてやや混乱した表現を使ったことをお許し頂きたい。

いわゆる東京裁判の正式名称は極東軍事裁判だが、筆者は不当性を訴える意図で「東京人民裁判」という造語を使いたい。

批判する史観については「東京裁判史観」に統一した。
ややこしい。

3種類の表現を使うと更に大混乱するので今回は涙を呑んでお気に入りの「東京人民裁判」をハズした。

                                〆

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東京裁判は国内法を超越しているそうです
馬鹿馬鹿しい話題の列挙http://nippon01.seesaa.net/article/37184851.htmlまず一番上から民主の岡田は東京裁判に正当性があると思ってるらしい要するに戦争に勝った者は負けた側に対して何をしてもよい負けた側は一切文句を言わずそれに従わなければならない、と言ってるわけだなならばアメリカと戦争して勝つための準備を始めよう!そしてアメリカを日本の植民地にしよう! ...続きを見る
右派社民党公式ブログ
2007/03/29 22:36
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今の日本人に最も必要な歴史の学び、それをこの作品から始めて欲しい。 ...続きを見る
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